恋の病
1


さすが、お金持ちの集まるパーティーというのは豪華だ。
最高級ホテルの中でも一番大きなホールを貸し切っているということだけじゃない、ここに居る人達は地位も名誉も手に入れたほんの一握りの人生の勝ち組。

―――所詮、私のような凡人が来るようなところではないということだろう。
親友に誘われたら断れないし、一度くらい世の中の頂点に立った人々を拝むのも悪くないと思ったから。
しかし、好奇心だけで出席したものの、やはり借りてきた猫というか、この場にはどうにもそぐわない。

「そちらのお美しい女性。お一人ですか?」

まさか、自分のことを言われていると思わなかったミシェルは、男性の問い掛けにも全くもって気付くはずもなく、ひたすら滅多に口にできそうにない目の前に並ぶ豪華な料理を堪能していた。

「余程、お腹が空いているんですね」

「僕の声も聞こえないくらい」と、クスクス笑う声にようやっと彼女は視線を向けた。
長身で、ブロンドの髪にブルーグレーの瞳が印象的な絵に書いたようないい男とでも言ったら伝わるだろうか。
タキシード姿が妙に板についていて、まるでハリウッドスターのようだ。
だけど、女性に向かってこんなふうに声を掛けるのは紳士的じゃないし、失礼極まりない。
―――馬鹿にしてっ!!
どうせ、ガツガツした女で悪かったわね。
朝昼と忙しくって食べる暇がなかったんだから、仕方ないでしょ?
ミシェルはギロっと睨み返したが、目の前の男性は尚もクスクスと笑っている。

「朝も昼も、忙しくて食べる暇がなかったもので」
「見ていて気持ちいいくらいの食べっぷりだ」
「とても、褒められているとは思えないけど」

―――どうでもいいから、早くどこかに行ってくれないかしら?
さっきから、ミシェルとこの男性を見つめる視線がひどく突き刺さる。
それは、彼がいい男だからということと、隣に居る自分があまりに似合わないからに違いない。
いくら、この場ではもの珍しいからといって、よりによって私に声を掛けるなんてどうかしてる。

「そんなことはないよ。君はとても美しい」
「あなた、目が悪いの?だったら、良い眼科医を教えて差し上げるわ」

彼から離れるためにミシェルは隣のテーブルへと移動する。
―――よくもまぁ、『君は美しい』なんて、恥ずかしげもなくオスカー俳優も真っ青の浮いた台詞が言えるもんだわ。
背中がむずむずして、かゆくなる。

「いや、両目とも視力は1.5あるからね。君の顔はよく見えるよ。その、食べてしまいたくなるような唇にチャーミングな大きな瞳も」
「呆れた。まだ、居たの?」

「何で、付いて来るのよ」とピンク色に染まった頬を隠すようにミシェルは再び隣のテーブルに移動するが、まるで磁石のように吸い寄せられて彼も付いて来る。
お世辞にもミシェルは綺麗とも言えないし、だいいち、彼らのような身分もないのである。
なのになぜ、この男性は彼女に興味を抱いたのだろうか?

「君の名前は?」
「人に聞く前にまず、自分から名乗ったらどうなの?」
「失礼、そうだったね。僕の名前は、レオン・ターナー」
「レオン・ターナー?」

―――レオン・ターナーって、あのレオン・ターナー?
そうだとすれば、銀行や投資会社をいくつも経営する大実業家じゃない。
名前は聞いたことがあったけど、どう見ても30そこそこよね?こんなに若くていい男だとは思わなかったわ。
ここにいるだけで只者ではないことはわかったが、そんなすごい人物だったとは…。
こりゃ、モテるでしょうねぇ。
感動してる場合じゃないんだけど。

「僕のことは、知ってるみたいだね」
「そりゃあ、顔は知らなくても、名前くらいはみんな知ってるんじゃない?」
「で、君の名前は?」
「あぁ、えっとミシェル・レウ゛ィン」
「レウ゛ィンって、このホテルチェーンのオーナーの?」

―――え?
このホテルのオーナー?!
って、そんなわけないじゃない。
何か、勘違いしてるんじゃ…。

「えぇっ」
「そうか。噂には美しい娘がいると聞いていたど、それは君のことだったんだね」
「そんなこと」

「謙遜しなくてもいいのに」と微笑む彼につい、本当のことを言いそびれてしまったミシェル。
どうせ、もう二度と会うこともない、それに勝手に誤解したのは彼の方なのだから。

+++

―――電話番号くらい、まともなのを教えておくべきだったかな。
な〜んってね。
あんなキザな男と関わってたら、仕事が疎かになっちゃう。

「先生、次の患者さんを入れてもいいですか?」
「えぇ、お願い」

ミシェルの勤務する小さな診療所には、幼児からお年寄りまで、毎日患者がどっと押し寄せる。
おしゃれなんてしている場合じゃないから、すっぴんでいつもひっつめ髪にジーンズ姿。
あのパーティーは、まるでシンデレラになった気分だったわ。
ガラスの靴でも置いて来れば良かったかも?

「今日は、どうしました?」
「一週間前にパーティーに出席してから、胸が痛むんです」
「パーティーに?じゃあ、ちょっと診てみましょうか。胸を出して―――あなたっ、ミスター・ターナー」

―――どうして、彼がっ。
こんな、町外れにある小さな診療所に…。
でもでも、相変わらず素敵、道理で看護師達の顔が緩んでいると思ったのよ。

「先生、こうでいいですか?」
「は?」

ネクタイを緩めてワイシャツのボタンを外すと彼の引き締まった上半身が露になって、思わずミシェルは視線を遠くへ飛ばす。
見慣れているはずの裸なのにどうしたことか、今だけはまともに見ることができない。

「先生、どこが悪いんでしょうか」

聴診器をゆっくりあててみたが、特にこれといった病気というものは考えられない。

「どの辺が、痛むんですか?」
「ここです」

いきなり、ミシェルは手を捕まれて彼の左胸に添えられた。
素肌に触れると筋肉質の体がより一層感じられて、自分の胸の方が痛み出しそうだ。

「探しましたよ。ホテルオーナーの娘なんて嘘だったし」
「あれはっ、あなたが勝手に勘違いしたからっ」
「そういうことにしておきましょう」

「電話を掛けた先が、老人ホームでびっくりしたけどね」と、意地悪く言う彼は尚もミシェルの手を離そうとはしない。
咄嗟に電話番号を聞かれて口からでまかせを言ったのだが、老人ホームだったとは…それにしても、よくここを見付けられたものだ。
不覚にも名前だけは本当のことを言ってしまっていたから、彼ほどの力があれば簡単にわかることかもしれないけれど。

「あなたのせいですよ?おかげで、僕はあの日からずっと仕事も手に付かない」
「私のせい?」
「そうです。責任を取っていただかないと」

―――何で、私がっ。
ふと、気が付けば周りに人だかりが…。
看護師だけでなく、受付の女性や患者までっ。
愛だの恋だのには到底無関係のミシェルの前に、とんだ王子様が現れたのだ。
誰だって気になるというもの。

「わかりました。私はどうすれば、いいのかしら?」
「今夜、僕とディナーを共にしてくれれば」

仕方がない…。
ここは、大人しく言うことをききましょう。
やっと手を離してもらえたが、不意に降ってきた頬のキスにミシェルは更なる動揺に苦しめられた。



診療所を閉めると約束通り、ディナーに向かうためにミシェルは迎えの車の後部シートに腰を埋めた。
何て、乗り心地のいい車なんだろう。
自分の持っている車とは雲泥の差に、彼が隣に居ることも忘れて思わず眠ってしまいそうだ。

「こんな格好じゃ、ディナーってわけにもいかないでしょう。一度、アパートに寄ってもらってもいいかしら?」
「それなら、心配ないよ。僕の知り合いの店で好きなものを揃えるといい。もちろん、支払いのことなら任せて」
「そこまでしてもらう、理由はないわ」

「白衣姿も今のジーンズ姿の君も十分素敵だけど、今夜は僕の言う通りにしてもらうよ?」と言われてしまうと返す言葉もないが、お金持ちの考えることは到底理解できそうにない。

途中で寄った彼の知り合いだというブティックで全身を着飾ると、まるで別人のように変身してしまった自分に驚きながらもつかの間、それを楽しんでいるところもあったりして…。
―――だけど、いくらするんだろう?
私のお給料で返せる額なのかしら。
柔らかそうな、それは恐らくシルク素材のワンピースには、それとなくチェックしてみたが値札なんてものは付いていなかった。

「よく似合ってる」
「ありがとうございます。で、おいくらですか?後でお支払いしますから」
「お金のことなど、気にしなくていいと言ったよ?」
「ミスター・ターナー。困るんです、そういうの。何だか恵んでもらってるみたいで」

一週間前にパーティーで知り合ったに過ぎない彼から高価な洋服や靴をもらうというのは。
それに食事に誘われる意味だってわからないというのに。

「レオンと呼んで欲しいな、僕もミシェルと呼ばせてもらうから。だけど、女性はみんな喜んでくれるものなんだけどな」
「あなたの周りだけでしょ?」

「一緒にしないで」とご立腹の彼女を喜ばせるには、どうしたらいいのだろう?
レオンには、その方法がわからなかった。
パーティーで一目見た時、吸い寄せられるようにして彼女の元へ行くと、いつもなら絶対自分から声など掛けないのに予想外の行動に出ていたのは他の女性など視界の片隅にすら入らなかったからだ。
そして、ホテルチェーンのオーナーの娘でないと知るや否や、この一週間はそれこそ仕事そっちのけで必死に探しまくったし。
胸が痛んだのも本当だ。
あのレオン・ターナーが、恋の病というものにかかってしまったのだ。
…この僕が。

「怒らせてしまったのなら、ごめん」
「えっ、そういうわけじゃなくて」

―――そんな顔しないで。
レオン・ターナーが、私ごときにイチイチ凹んでどうするの?

「わかったわよ、レオン。ありがたく頂戴するから。でも、これっきりにしてね?」
「あぁ、ミシェル。もう、君の嫌がることはしないから」

―――その笑顔は反則よ。
あなたの隣でトキめかない女性なんて、いないんだから。


お名前提供:ミシェル・レヴィン&レオン・ターナー … ほるん さま


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