恋の病
2


「ターナー様。本日は当店へ、ようこそいらっしゃました」

「さぁ、どうぞ」と何だかとっても偉そうな男性が迎えてくれたが、それもそのはず。
ここはニューヨークでも屈指の高級レストランで、豪華なだけじゃない、味も素晴らしいと評判のお店だったのだ。
そんなところにミシェルが到底来れるはずもなく…だいたい、ニューヨークに出て来ること自体、どれくらい振りだっただろうか。
―――さすがっ、お金持ち!!いや、大金持ちはイチイチやることが違うわ。
おのぼりさんみたいに、実際そうなのだから仕方がないが…つい、もの珍しくてキョロキョロしてしまう。
だって、一生に一度来られるか来られないかっていうような名店よ?
今夜は目も舌も目一杯駆使して堪能しなきゃ、もったいないもの。
そして、隣にはそれ以上に素敵な男性が自分をエスコートしているのだ。
たとえ一夜の夢だったとしても、貴重な時間を有意義に過ごしたい。

壁際のゆったりとできる席に案内されて周りを見渡せば、見るからに自分とは住む世界の違う紳士、淑女達で賑わっていた。

「ここは全てシェフのお任せなんだけど、何か好き嫌いがあったら言ってくれれば交渉するから」
「いいえ、とんでもない。どんなものでも、喜んでいただきます。食べられる時に食べておかないと」

ミシェルの即答にレオンはパーティーでの食欲旺盛だった彼女の姿を思い出した。
…今日も食べ損ねたのだろうか?
病院などという場所には殆ど足を向けることのないレオンだが、彼女の勤める小さな診療所は幅広い年齢層の患者で溢れんばかりだったし、中にはおしゃべりに来ているとしか思えないお年寄りの姿もちらほらと。
そういうところが彼女の人柄を表していると思うし、だからこそ、食事を取る暇もないほど忙しいのだろう。

「君らしいね。シェフも、きっと喜ぶと思うよ」

真っ直ぐに自分を見つめる彼の視線が痛い。
モテないなりにも、そこそこ男性とはお付き合いしてきたつもりのミシェルではあったが、こんなおとぎ話顔負けのストーリーをまさか、この自分が体験することになろうとは…。
―――何か、企んでいるんじゃないかしら…。
私を上手く丸め込んで、隠された遺産を手に入れるとか?
だけど、うちの家系にはどこをどう掘り下げてもお金持ちの人は存在しない。
レヴィン家はレオンが勘違いしたホテルチェーンのオーナではなく根っからの医者の家系で、祖父も父も医者だったが、儲けは二の次、住むところと食べることにさえ困らなければいいというような、そんな家庭。
それでも、家族仲良く楽しくやってきたから、今の生活に何の不満もない。
だいいち、彼は大金持ちなのだから、はした金を手に入れたとしても大して嬉しいことじゃないはず。
となると…。
モテない女を手玉にとっては堕ちる様を見るとか?
そして、ボロ雑巾みたいに捨てるのよ。
あぁ、こっちの方が当たってそう。
お金持ちの男性が、やりそうなことね。
でも、目の前の彼がそんなひどいことをする男性(ひと)には、どうしても思えないんだけど…。

「どうしたんだい?」
「ううん、何でもないわ」

グラスに注がれた深紅のワインの香りを楽しんだ後、静かに口に含む。
今までに飲んだことのない味で、とても言葉では表現できない。
彼らには、これが当たり前の味になっているのだろうか。

「もしかして、具合が悪いんじゃ」

目の前に出されたオードブルにも手を付けず、じっとグラスを見つめたままのミシェルの瞳の中に心配そうな表情のレオンが飛び込んできた。

「えっ、そうじゃないの。ちょっと、この場の雰囲気に飲まれただけ」
「なら、いいんだけど」

彼がどういうつもりで自分なんかをこんな素敵なお店に、それも着飾ってまで誘ったのか、その真意はわからない。
疑いたくはないけれど、そこにはミシェルが信じたくない裏があるのかもしれない。
だが、せっかくの料理を口にしないのとは別の話。

「美味しそう!!いただきま〜すっ」

パクっ
  パクっ

食べている時の姿がここまで魅力的な女性は、恐らく彼女だけだろう。
レオンのような立場の人間がこの世界に長く居ると女性と過ごす時間も必然的に多くなるのは確かだし、中には火遊びと言われるものも数知れず。
もちろん、神に誓っても彼女とそういう関係になろうとはこれっぽっちも思っていない。
自分でも不思議なくらい、恋の病という厄介な病気にかかってしまったのだから。

「レオンは食べないの?とっても美味しいのに」
「料理はもちろん美味しいとは思うけど、つい、美しい君に見惚れて食べるのを忘れてしまったよ」

今まで付き合った女性はダイエットだとか、女性にはそれぞれ理由があるにせよ、残してしまうのがほとんどだ。
それが悪いというわけではないが、ミシェルを見ているとどうしても比べてしまう。
この後も期待を裏切らないような素晴らしい料理が出てくるに違いないが、それ以上に彼女の極上の笑顔も見られることだろう。

「やっぱり、知り合いの眼科医を紹介した方がいいみたいね」

ワインのせいではない、彼の放つ女性を一瞬にして酔わせる言葉に慣れていないミシェルには、強がって返しても表情には隠せなかった。
こんな反応にもレオンは新鮮な発見を覚え、もっと別の顔も見たくなってくる。
…彼女のことだから、おばあさんになってもこうなんだろうな。
そんな先の話まで思い浮かべる自分にハっとしながら、彼女と歩む人生はどんなにか楽しいだろう。

「あらっ、レオンじゃない」

レオンのささやかな願望を邪魔をしたのは、「電話を掛けてもちっとも出てくれないと思ったら」とミシェルを値踏みするようにジロリと一睨みし、無神経にも食事をする場所でプンプンと香水の匂いを漂わせている厚化粧の女性…。
かつては彼女の美貌に虜になった男から出てきた言葉とは思えないが、人は簡単に変わるということ。

「やぁ、君も素晴らしい料理を堪能しに来たのかい?」
「え?まぁ、そんなとこね」

店の手前、本当のことは言えなかったのだろう。
彼女の隣にはレオンに誘ってもらえなかったからなのか、選んだ相手にしては少々頼りない老けた男性が立っていた。

「そうだわ。私達もご一緒にどうかしら?」

「ねぇ、いいでしょ?」と同伴の男性に同意を求める女性。

―――はっ?私達もご一緒に?って…。
勘弁してよぉ。
あぁ、やっぱりドラマみたいにお金持ちの素敵な男性の周りには、こういうケバケバしい女性が付きまとっているのよね。
まったく、やってられないわ。

「よろしくてよ。食事は大勢の方が楽しいですもの。ねぇ、レオン」
「ミシェル?」

反応に驚いたレオンを他所に嘘っぽい笑みで迎えるミシェルに言い出した本人もこういう展開になるとは思っていなかったのだろう、不意を衝かれたという目で見ていた。

「ミシェルが、いいと言うのなら」

すぐに空いていた席に二人分のテーブルセッティングをしてもらったが、どうにも空気は気まずかった。
パチパチと音を立てて火花を感じるのは、ミシェルだけだろうか…。

「レオン。こちらの女性とは、どういうお知り合いかしら?」
「彼女は、ミシェル・レヴィン。ドクターなんだ」

「僕も診てもらったんだ」とレオンが言う。

「あら、レオンどこが悪かったの?」
「ちょっと胸がね」
「胸って、心臓が悪いの?だったら、私がお父様に言って、心臓の名医を紹介していただくように頼んでみるわよ」

―――ムっ。
大げさな。
そりゃあ、診療所の医者なんてたかが知れてるけど、私にだってレオンが何でもないことくらいわかるわよ。

二人の会話を聞きながら、無心に料理を食べ続けるミシェル。
素晴らしい料理も、相手次第でこんなに味が変わるものだろうか。

「大丈夫さ。僕にはミシェルという優秀なドクターが付いてるから、すぐに処方箋を書いてくれるさ」

―――何が、優秀なドクターよ。
ふんっ。

「いいえ、私なんかより彼女のお父様に心臓の名医を紹介していただいた方がいいわよ?レオン。手遅れになっても遅いんだから」
「ミシェル、僕は―――」
「あなたに効く薬なんて、世界中捜したってどこにもないんだからっ」

最後まで味わうことができなかったのは残念極まりないけれど、こんな人達と一緒になんてまっぴら!!
ミシェルは「ごきげんよう」と思いっきり作り笑いを浮かべて、静かにその場を去って行った。


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