「次の患者さん、どうぞ」と看護師に呼ばれて患者が診察室に入って来た。
今日もたくさんの患者が、朝から休む間もなく次から次へと診療所に訪れる。
「今日は、どうしました?―――れっ、レオンっ」
―――性懲りもなく、よくもまぁヌケヌケと私の前に顔を出せたものね。
周りの視線が痛かったが、ここは何もなかったように振舞わなきゃ。
「まだ、胸が痛みますか?」
「前より悪くなったような気がするんだ」
「だったら、こんなところに来るより、彼女に言って父親に名医を紹介してもらえばいいでしょう?」
―――あなたに効く薬なんて、世界中捜したってどこにもないって言ったはずよ?
「次の患者さんを中に入れて頂戴」とミシェルはレオンと一度も目を合わせることなく、看護師に次の患者を中に入れるように指示する。
「ダメなんだよ。君に診てもらわないと」
―――そんな弱々しい口調で人のことを騙したって、ダメなんだからね。
だいたい、何なのよ。
あんな女性がいながら私を誘ったりして、どういうつもりなの?
それだけでも失礼極まりないのにこうやってノコノコやって来るなんて、非常識にもほどがあるわよ。
実業家として成功したら、何でも自分の思い通りになるなんて大間違いなんだからっ。
「患者さんが待ってるんです。あなたの遊びに付き合っている暇はないの」
「次の患者さん、中へどうぞ」とレオンを無視するように言うと、彼は黙ってその場から出て行った。
少しきつい言い方だったかもしれない。
でも、命を扱う仕事なのだ。
お金持ちの道楽に振り回されて、自分を見失いたくはない。
これで良かったのだと自分に言い聞かせると、ミシェルはいつもの医師の顔に戻った。
◇
夕方になってようやく本日の診療を終え、みんなを先に見送るとミシェルはやっと静かな時間を迎えることができる…はずだったのだが…。
「先生?外に」
さっき、帰ったはずの看護師が再び診療所に戻って来た。
―――外に何か、あるのかしら?
「どうしたの?外に何―――レオン…」
ミシェルは何事かと外に出てみたが、そこには随分前に帰ったはずの、いや追い帰したはずのレオンが座り込んで眠っていたのだ。
―――何やってるのよ、こんなところで。
看護師にここは自分に任せて帰るように言うと、気持ち良さそうに眠っているレオンを起こす。
こんな場所でこれだけ熟睡できるということは、よっぽど疲れていたのかもしれない。
「レオン、起きて。起きなさいっ」
「ぅっん?やぁ、ミシェル」
「やぁ、じゃないでしょ。何で、こんなところで寝てるのよ」
「君が仕事を終えるのを待ってたら、眠ってしまったみたいだね」
まったく、この男は何を考えているのか、さっぱりわからない。
わざわざ、診療所が終わるのを外で待っていたなんて…。
「さぁ、帰りましょう。お腹空いちゃったし、早く帰って―――」
「だったら、食事に行こう」
「遠慮しておくわ」
「どうして?」
―――どうしてって、そんな真顔で聞かないでくれる?
また、あんな高価なドレスを身に纏って有名なレストランに連れて行かれたんじゃ。
それに今度は、別の女性に出くわすかも知れないし…。
「高級なレストランは、私に合わないからよ」
「大丈夫さ。僕のアパートに用意させているから」
「は?アパートですって?」
「服のことを気にすることもないし、今夜は二人っきりでゆっくり話ができるだろう」なんて、言われても…。
―――よりによって、レオンの家に行くなんて…。
そりゃぁ、彼の言う通り、服も気にしなくていいし、邪魔も入らないかもしれないけど、次は二人っきりというところが引っ掛かるのよ。
「あのね、今夜は悪いんだけど、これから予定があるの」
「予定?」
「そっ、そう。だから、あなたの家には行けないわ」
「嘘だね。君はさっき、お腹が空いたから早く帰ってって言ったじゃないか」
「そんなこと、言ったかしら?」
―――げっ、そんなこと言った?
よく、覚えてるわね。
「いっ、家で予定があるのよ。早く帰って、やらなきゃならないことが」
「君は、嘘がヘタだね」
「嘘じゃないわよ。私なんかを誘わなくたって、あの女性でも他の女性でも、たくさんいるんでしょ?」
「嫉妬?」
「はぁ?何で、私が嫉妬なんかっ」
―――こんなにムキになることじゃないのに…。
レオン・ターナーという男が女性にモテることくらい、わかってたことじゃない。
なのにどうして…。
「君は顔に出やすいタイプだから。ほら、帰る支度して。お腹、空いてるんだろう?」
どうしても彼の誘いを拒めないのは、どこかで一緒にいたいという気持ちがあるからだろうか…。
こんな男性(ひと)…私とは全然合わないし、きっと新しいコレクションに加わるだけに決まってるのに…。
彼の住む、マンハッタンにある超高級アパートから見る夜景は、ミシェルのそんな不安をも一瞬のうちに消してしまうほど素晴らしいものだった。
「すごい、夜景」
「気に入った?」
「毎日、こんなのを見てるの?」
「いいなぁ」というミシェルに「あぁ、そうだよ。何なら、君も一緒にどうだい?」なんて、冗談ともとれないことを言ってレオンはスーツの上着を脱ぐとワイシャツの袖を捲り、ネクタイを緩めてキッチンへと入って行く。
「レオン?」
「ちょっと待ってて。今、準備するから」
「えっ、まさか…あなたが作るんじゃ」
「いや、料理はシェフに頼んで用意してもらっているんだ。後は温めるだけだから、君はゆっくりくつろいでいて」
―――そう言われても…。
あの、レオン・ターナーがワイシャツの袖を捲ってキッチンに入る姿なんて、想像がつかないわよ。
「僕も一人暮らしが長いからね。一通りのことはできるよ。あっ、でも、ここに女性を招いて食事をするのは君が初めてだけどね」
「あら、光栄だわ」
「信じてないね」
屈託のない笑顔に彼の言葉をすんなり信じられれば苦労しないかもしれないが、今のミシェルにはそれは無理だろう。
まだ、会って間もないのだから。
レオンもそれがわかっているのか、微笑むと早速ディナーの準備に取り掛かる。
夜景を見るフリをしてそんな彼のことをジっと見つめていたミシェル、その手際の良さから一人暮らしが長いから一通りのことはできると言った言葉は本当だろう。
―――それにしても、何て素敵なの。
例え、どんなにいい男だったとしても、遊びでも付き合いたいと言う女性の言葉を聞くと神経を疑うが、今はほんの少しだけわかるような気がした。
だからって、惑わされちゃダメよ、ミシェル。
彼は、やっぱり危険な香りがするわ。
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