「佳織って、ああいうのも守備範囲だったの?」
上條 司に視線を向けながら意味深に笑みを浮かべる久実子に少々むっとしながらも、佳織は間髪入れずに返事を返す。
「まさか」
「よね。でもあの人、上條グループの御曹司なんでしょ?外見さえ気にしなければ、超玉の輿じゃない」
確かに久実子の言うように上條 司は、日本でも有数の大企業を有する上條グループの御曹司であり、将来は頂点に立つ男である。
そんな男を落とせれば文句なしの玉の輿だが、いかんせん上條 司はとにかくダサいのだ。
「いくら玉の輿でも、相手があれじゃあね」
外見第一の佳織には、到底受け入れることなどできるはずもなく…。
「佳織は、理想が高過ぎるのよ。まぁ、佳織ほどの美人ならわからなくもないけど。でも、世の中お金さえあればなんとでもなるわけだし、ちょっとくらいダサくても優しければいいと思うけどな」
お金さえあればなんとでもなるという久実子の言い分もわからないでもないが、なまじっか自分の容姿がいいだけにそう簡単には妥協できない。
それに…。
「それが嫌なの。絶対、お金目当てみたいに言われるもの」
どちらかと言えばこっちの方が、本音かもしれない。
今まで散々相手を選んでおきながら、ここへきて急に彼に近づいてお金に目が眩んだなどと言われるのはまっぴら御免である。
「でも彼、佳織に気があるんじゃないの?ずっとこっちを見てるわよ」
「あの人が見てるのは、私じゃなくて久実子なんじゃない?」
わざとはぐらかすように言ったが、さっきから何度も目が合っているのだから相手は佳織を見ていることは間違いないだろう。
いくら好かれても自分は、絶対彼を好きになったりしない。
そうこの時は確信していたが、思わぬ展開が待っているとは予想すらしなかった。
+++
佳織はお昼休みに会社近くのカジュアルな店で同僚達と食事を取っていると、バイブにしていた携帯が震えだした。
ディスプレイを見れば、登録していない見知らぬ番号。
―――最近、イタ電が多いのよね。
佳織はみんなに一言断って席を立つと、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『そちらは、美倉 佳織さんの携帯でしょうか?』
「はい、そうですけど」
相手は佳織のことを知っているようだが、まったく聞き覚えのない声。
『あぁ、良かった。今少し、お話してもよろしいでしょうか?』
「あの、どちら様でしょう」
『失礼しました、名乗らずに勝手にしゃべってしまって。この前、パーティでご一緒した上條 司です。覚えてませんか?』
―――え、上條 司?!
まさか、彼が電話を掛けてくるとは思わなかった。
というよりも、番号を教えていないのにどうして彼は佳織の携帯番号を知っているのだろうか?
「覚えてますけど、その上條さんが私にどのようなご用件でしょう」
至って冷静を装っているが、話口調はかなり冷たいものになっていたと思う。
『覚えていて下さったのですね。僕のことなんか、もう忘れてしまったかと思いました』
嬉しそうに話す上条 司だったが、佳織の心の中は…。
―――だ・か・ら・そんな前置きはいいから、早く用件を言いなさいよ!
「今、食事中ですので、手短にお願いできませんか」
『すみません、気が利かなくて。あの、今晩もしよろしければ、夕食をご一緒していただければと思ってお電話したのですが』
―――はぁ?何この人。
パーティーでほんのちょっと話したくらいで、いきなり食事の誘い?
「生憎今晩は、予定が入っておりますので」
『そうですか。急過ぎましたね。では、いつだったら空いてますか?』
遠まわしに断っているつもりなのに、この男はそういうことがわからないのだろうか?
「急に言われましても、すぐに返答いたしかねますが」
『そうですね。では申し訳ありませんが、都合のいい日を連絡していただけますか?』
まだ、行くともなんとも言っていないのに連絡してくれとは…。
しかし、ここでハイと言わなければ彼のこと、話は終わらないだろう。
せっかくの昼休みが時間切れになってしまう。
「わかりました。連絡先は、今掛けられている電話でよろしいですか?」
『ええ、こちらはいつでも構いませんので』
そう言って電話を切ると暫くの間、佳織は携帯を見つめたままだった。
上條 司という男は、一体どういう男なのだろう…。
もしかして、ストーカー?などと思いたくはないが、こんな電話をよこすなんて…そんなふうにも考えてしまう。
佳織は、気を取り直して席に戻った。
「どうかした?」
神妙な面持ちの佳織を見て、久実子が声を掛けた。
「うん、それがね」
上條 司からの電話で食事に誘われたと言うと、久実子はちょっと驚いた様子だった。
「上條 司もそう出たか。で、どうするの?誘いに乗るの?」
「そんなわけないでしょ。そうでも言わなきゃ、しつこく言われそうだもの。だけど、私の携帯番号どうしてわかったんだろう」
「あの人なら、どうとでもなるんじゃない?」
上條グループの力を使えば、パーティーにいた人間の素性などすぐにわかるだろう。
ここは希望をもたせるよりも、きっちり断っておく方が賢明だ。
取り敢えずその気はないから、少しの間は放っておいて向こうから掛かってくるようなことがあればしっかり言うことにしよう。
元々眼中にない男のこと、佳織はすっかり彼のことなど忘れていた。
+++
一週間ほどして、今度は家にいる時に佳織の携帯に登録していない相手からの電話が入った。
イタ電か間違いかと思ったが、それは一度見たことがある番号のもの。
居留守を使うべきか迷ったが、相手はそう簡単に引き下がるとは思えない。
仕方なく通話ボタンを押した。
「もしもし」
『夜分すみません、上條と申しますが。佳織さんですか?』
今度はきちんと自分の名前を名乗ったが、言われなくても聞き覚えのある声だった。
「はい」
『今、よろしいですか?』
「ええ」
『すみません、電話お待ちしていたんですが、忘れてしまったかなと思って』
―――さすがに忘れてましたとは、言えないわよねぇ。
「こちらこそ、掛けると言っておきながらそのままですみません」
『いいえ、それでお時間いつなら取れますか?』
「あの、どうして上條さんは私を食事に誘われるのでしょうか?特に親しい間柄でもないですし、第一私は携帯の番号も教えた覚えがないのですが」
言い方がきつくなってしまったかもしれないが、こういうのははっきり言って迷惑なのだ。
『電話番号は黒木君に教えていただきました。パーティーで佳織さんと話しているのを見て、教えてくれたんです。それとどうして食事に誘うのかという質問ですが、佳織さんは魚料理がお好きと聞いていましたので、是非”優前”にお連れしたいと思いまして、ご迷惑でしたね。一方的に誘ってしまって』
黒木というのは佳織の幼馴染だが、上條 司と知り合いだとは初耳だった。
そしてあのパーティーで魚好きという話は確かにしたし、優前と言えば上條グループの経営するかなり名の通った店で、いつかは行きたいと思っていたが、敷居が高く佳織でさえも誰か後ろ盾がなければ入ることはできないような場所である。
下心がないとは言い切れないが、彼の言い方では番号を無理に聞き出したわけでもなさそうだし、食事に誘った理由も純粋なものに感じられる。
無下に断るのがなんだか気の毒になってきた。
念のために言っておくが、これは優前に行きたいがためではない。
「迷惑などということではなくて、ただ急な誘いでしたのでこちらも躊躇してしまっただけですから。今のところ水曜日以外は空いてますが、お食事ご一緒させていただいてもいいですか?」
『いいんですか?』
「ええ」
『良かった。わかりました、では水曜日以外で予約を入れておきますので、改めてまたご連絡いたします』
こんなことに情けをかけるような女じゃなかったはずなのだが、どうにも彼に対しては断ってはいけないような気がしていた。
別に一度食事を共にしたからといって、恋愛関係に発展するわけではないのだから。
◇
次の日に早速、上條 司から電話が掛かってきて、その週の金曜日に食事に行く約束をした。
「結局、上條 司と食事に行くことにしちゃった」
久実子にそのことを話すと、かなり驚いた様子だった。
それもそのはず、男の容姿に限っては絶対妥協しない佳織がこともあろうにあの上條 司と食事に行くというのだから。
「へぇ、どういう風の吹き回し?佳織が、あの上條 司と食事に行くなんて」
久実子のちょっと意地悪な言い方が気にならなかったわけではないが、当の佳織でさえもなぜ承諾してしまったのか未だにわからない。
「なんとなく?」
「珍しいね。佳織がそんなこと言うの」
「私もわからないのよ。何で、あんな男の誘いに乗ったのか」
上條 司…。
外見はあの通りだし、特に電話の声が素敵ってわけでもない。
将来有望だから?
ううん、そんなこととも違う。
うまく表現できないけれど、人柄というか純粋な気持ちが現れているというか…。
一度くらい、付き合ってもいいんじゃないか。
ただ単にそんなふうに思っただけ、それだけ…。
+++
意外にも待ち合わせた場所は、最寄の駅。
てっきり車で送ってくれるものとばかり思っていたのに、少々宛が外れたかも。
佳織はワザと30分ほど遅れて着くように行ったのだが、もちろん彼は先に来て待っていた。
「上条さん、ごめんなさい。お待たせして」
「いいえ。佳織さんのお勤め先からでは、ここはちょっと遠かったですね」
「さぁ、行きましょうか」と、彼はニッコリ微笑んで歩き出す。
確かに上條 司の言う通り、ここまで来るには約束の時間ギリギリになってしまうが、間に合わないことはない。
ましてや30分も遅れたら普通は電話を掛けるとかするはずなのに、彼はこのくらい何でもないという様子。
今まで佳織が付き合ってきた男達は、ちょっとでも遅れるといちいち文句を言う。
なのに自分が遅れた時は、『ごめんごめん』なんて都合のいいことばかりだったのに…。
「上条さんは、お車で通勤されているのではないんですか?」
「僕ですか?僕はもっぱら、電車通勤ですよ。車は道路が込んでいると時間通りに着きませんから」
「えっ、上条さんが?」
「おかしいですか?」
「いえ、そんなことは…」
―――そうなの?
上条グループの御曹司が、電車通勤?!
変わっているというか、なんというか…。
それって、どうなのかしらねぇ。
まぁ、上條 司が電車通勤しようと私には関係ないんだけどっ。
優前は大通りを一本入った奥にある、都会のど真ん中に位置しながらも落ち着いた佇まいの格式高い店。
だけど、ここに上條 司と来るなんて、想像すらしていなかった。
「さぁ、どうぞ」
―――さすが、上條 司。
レディーファーストは、忘れていないわね。
生まれながらのお坊ちゃまというのは、外見はどうあれ身のこなしはスマートだ。
出迎えてくれた女性の後について、奥の個室に案内される。
あれ?それにしても、上条グループの御曹司が来たっていうのに店の人も特に対応が違うってわけでもないのね。
こういう時はなんとなく支配人とかが出迎えてくれそうな感じだが、対応は至って普通。
それが手を抜いているとか、そういうことでは決してなく、相手が誰でも同じ接客態度で臨む。
そんな感じだろうか。
電車通勤している彼を見れば、仕事に臨む姿勢も伺える。
「僕の方で勝手に頼んでしまいましたが、よろしかったですか?」
「ええ。お任せします」
「ここはメニューがあってないようなもので、その日に仕入れた一番いい素材で料理を作るんです。ある種、賭けみたいなところもありますが、お客様が何度足を運んでも飽きることがないようにという意図もあるんですよ」
―――なるほど。
来てみなければわからないって、わけね?
っていうことは、今日は何が出てくるのかしら。
楽しみだわ。
「佳織さんは、お酒は大丈夫ですか?」
「はい。嗜む程度ですが」
―――嘘ばっかり。
嗜むどころか、酒豪じゃない。
上条 司の前で、見栄張ってどうするのよ。
いつもならガンガン飲むところだけど、こんなすごい店に来たのなら、しっかり味わわないとね。
「良かった。珍しいものが手に入ったらしいので、お口に合うといいのですが」
「何から何まで、すみません。いいんですか?相手が私なんかで」
―――そうなのよ、そこなのよね?
私が、疑問に思ってたのは。
容姿には自信があるけど、何も私でなくても同等の人は他にもいる。
家柄とか考えたら、どうして私を誘ったりしたのかしら?
「佳織さんと来たかったんです」
「私と?」
「はい。佳織さんが、とても美味しそうに料理を食べられているのを見て、いいなって思いました。だから、うちの店ならそれ以上に素敵な顔が見られるんじゃないかと思ったんです」
―――それって、褒められてるのかしら…。
まぁね、『佳織って、ほんと美味しそうに食べるわね』とは、よく言われるわよ?
だからって、ねぇ。
でも、容姿とかそういうところで誘ったわけじゃなかったの…。
上条 司、らしいかも。
「食べるの大好きなので」
「そういう飾らないあなたが、素敵だと思います」
―――ヤダっ、そんなこっ恥ずかしいこと真顔で言わないでくれる?
照れるじゃない。
あっ、でも上条 司だからイヤらしくないのよね、きっと。
こんなことイケメンが言ったら、絶対お世辞とか思うもの。
彼がさっき言っていた珍しいお酒に、次々と料理が運ばれて来る。
色彩も綺麗で目も舌も楽しませてくれて、魚好きの私にはもうたまらない。
それが全部顔に出ていたと思うけど、何より上条 司の配慮っていうか、気配り?
ほろ酔い気分だったこともあって、彼があの上条 司なの?って疑うくらい素敵に見えてきたから不思議なものね。
多分、こんなに楽しかった食事は初めてかもしれない。
顔がいいとか…そんなこと、関係ないのに…。
そんなことで人を判断していた自分が、恥ずかしい…。
「佳織さん、気分が悪いんですか?僕が調子に乗って飲ませたりしたから、酔ってしまったんですね」
「いいえ。私、これくらいじゃ酔わないんです。嗜む程度って言ったのは、嘘なんです。いくら飲んでも酔わない、酒豪ですから」
「佳織さん?」
「ごめんなさい。私、上条さんとこうして一緒にいる資格なんて…ないんです」
途中で席を立つのは悪いと思ったけれど、このまま平気な顔をして彼と食事をしている自分が許せなかった。
駅に向かって歩きながら、せっかくの料理を食べずにもったいないことをしたななんて思うのはどうなのか。
―――私って、こんなところまで図々しい女なのね。
自分で自分が嫌になる…。
「佳織さんっ!」
「え…」
嘘…まさか、追ってくるとは思わなかった。
「僕が、気に触るようなことを言ったなら謝ります。ごめんなさい。それとも相手が僕だから、つまらなかった―――」
「違うんですっ。私がっ」
「つまらなかったのでは…」と言おうとした彼の言葉を遮るように佳織が言葉を発した。
―――そんなんじゃない、その逆だから…。
楽しかったからこそ、偏見の目で見ていた自分が恥ずかしかった。
「だったら、店に戻りましょう?」
「え?」
「まだまだ出てきますし、料理人が一生懸命作ったものを残すのは失礼ですから」
「上条さん…」
「さぁ」と握られた手から、電流のようなものが佳織の体を走り抜けた。
―――どうしよう…。
好きになっちゃうかも…。
こんなことでって思われても、自分でもわからないんだけど…。
握られた手に力を込めて、ふと顔を上げると優しく微笑む彼の顔があった。
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