続 守備範囲
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あの日、司に食事に誘われてからというもの、電話は毎日欠かさず掛かって来る。
話す内容はというと他愛のない会社でのこととか日常のこととか、でもそれが佳織にとってはすごく楽しみだった。
ところが、一昨日も昨日も彼からの電話は掛かって来ない…。

―――どうしたのかしら…上条さん。
彼のことだから、何かあれば前もって言ってくるはずなのに…。
もしかして、私のこと嫌いになっちゃったとか…。

「佳織、どうしたの?携帯なんか、見つめて」

外で昼食を一緒に終えて、用事があるからと後から戻って来た久実子は携帯を握り締めたままボーっとしている佳織に声を掛けたのだが、すぐにその理由が司であることに気付く。

「ははーん、もしかして上条さんの電話を待ってたりして」

佳織の表情からそうだとわかったものの、そのわりに浮かない顔をしているのはなぜなのか?

「それが、一昨日から掛かって来ないの。毎日掛けて来てたのに」

いくら上条グループの御曹司でもなびかなかった佳織が、こんなにも健気に彼からの電話を待っているなんて…。
変われば変わるものと久実子は思ったが、それでも佳織をここまで変えてしまった司を誉めるべきだろう。
しかし、毎日掛けてきていた電話が来なくなった理由は何なのか?

「だったら、佳織から掛ければいいじゃない」
「え?」

掛かって来なければ、掛ければいい。
誰もが一番に思いつくことを佳織は気付いていなかったというか、わかっていてそれができないでいることを久実子はちゃんと知っていたのだが…。

「簡単でしょ?佳織から掛けてみればいいのよ。悩んでいたって、始まらないじゃない」
「そうなんだけど…」

何度もそうしようと思いつつ、手が止まってしまうのは、どんどん彼に惹かれている自分を認めたくなかったからかもしれない。

「いいじゃない。好きになっちゃったんでしょ?彼のこと」

―――好き…。

思えば、初めて食事をした時から芽生えていた感情。

「ほら。とっとと、掛けちゃいなさいって」

久実子は佳織から携帯を奪い、勝手に通話ボタンを押してしまう。

「やっ、ちょっとっ!やめてったらぁ」なんて佳織の言葉など無視して、久実子は「切っちゃダメよ」と携帯を佳織の手に乗せるとその場を去ってしまう。

―――もうっ、久実子ったら…。

仕方なく佳織は携帯を耳に当てると、そこから聞こえてきたのは意外にも女性の声。

『もしもし?』
「えっ、あの…この電話、上条さんのものでは」
『あぁ。司なら今、手が離せないの』

―――誰?この人、随分馴れ馴れしいわねぇ。
上条さんのことを司なんて呼んで。

「失礼ですが、あなたは…」
『あたし?あたしは、司の婚約者だけど』
「婚約…者?!」

―――嘘…上条さんには、婚約者がいたの?
あんなふうに誘われたから、てっきり…そう思ってたのは私だけだった?
毎日電話をもらって、舞い上がってただけだった…。

『あら、聞いていなかったのかしら?』
「いえ」
『いるのよね。司にちょっと優しくされたからって、その気になっちゃう子』
「私は…そんなこと…」
『そういうことだから、もう電話を掛けて来ないでね』

すると電話の向こうから『どうしたんだ?夏子』という声が聞こえたが、それは紛れもなく司の声…。
そのすぐ後、『何でもないわ』という彼女の言葉と共に通話は切れた。

―――ウフフ…ばっかみたい。
怒るとか悔しいとか騙されたとか、そんなことより、佳織にはなぜだか笑いが込み上げてくる。
私が、勝手にそう思ってただけ…。
それがわかったら、逆にすっきりした自分がいたりして。

昼休み終了を知らせる鐘が響き、佳織は自分の席に戻って行った。



「おい、夏子。勝手に人の携帯に出るなって、いつも言っているだろう?。だいたいなぁ、仕事中に会社に来るのもどうかと思うし。で、誰からだったんだ?」
「知らない。女の人だったけど」
「女の人?」

まさか…佳織さん。

「名前は?何て、言ってたんだ?」
「さぁ」
「さぁって…」

食事をした日以来、佳織に毎日電話を掛けていたのだが、一昨日からそれができなくなったのは司の不注意で携帯を紛失してしまっていたから。
すぐに利用を中止したものの、結局見つからなくてさっき新しいものに変えたばかりだった。
業務用とプライベート用は別にしていたから仕事に支障はなかったが、司にとっては大事な佳織の番号が入ったプライベート用の携帯を無くしたことで、友人である黒木の番号もわからず、聞くことができなかったのだ。

司は、夏子から携帯を取ると履歴を見る。
多分、佳織からだったのだろう…。
きっと、気になって掛けてきてくれたに違いない。
嬉しい反面、夏子が電話に出てしまったことで変なふうに思わなければいいが…っていうか、余計なことは言っていないだろうな。

「夏子、彼女に変なこと言ってないだろうな」
「変なことって何?あたしは、司は手が離せないって言っただけだけど」
「本当か?」
「本当よ。あたしのこと、信じてないの?」
「そういうわけじゃ…」

彼女に泣きそうな目で見つめられてしまうと、司も言い過ぎたと反省するしかない。
仕方なく抱き寄せて髪を撫でてやるが、心の中は佳織のことでいっぱいだった。

+++

夜、佳織が自分の部屋でくつろいでいると携帯が鳴り出した。
―――あっ、上条さん。
この時間に掛けてくる相手は彼しかいなかったので、無意識に手に取って出ようとしたが、昼のことを思い出して一瞬躊躇う。
念のために相手を確かめると、やはり彼からのもの。
一体、どういうつもりで掛けてくるのだろうか…婚約者というものが、ありながら…。
まぁ、彼にとってみれば佳織は単なる女友達に過ぎなかったのかもしれないし。
―――女友達…。
自分のことはともかく、こんなふうに電話を掛けるのは婚約者に対して失礼なのではないか?
さっきは何とも思わなかったのに、別の意味で許せなくなってくる。

「もしもし」
『上条ですが、佳織さんですか?』

相変わらずの優しい口調だったが、本心はさっぱりわからない。

「そうですけど」
『やっぱり、お昼に電話をくれたのは佳織さんだったんですね。勝手に夏子が出てしまって、失礼なことを言ったんじゃないかと』
「いえ、失礼なことなんて」
『そうですか?良かった』

―――何が、良かったよ。
失礼なのは、どっちなのかしらねぇ。

「あの。上条さんはこんなふうに電話を掛けてきて、彼女に悪いと思わないんですか?」
『彼女ですか?』
「その、夏子さんですよ」
『夏子は別に』

―――うわぁっ、しらばっくれてるし。
何なの?この男。

「しらばっくれないで下さい。婚約者なんですよね?そういう人がありながら、私に電話を掛けてくるなんて。非常識にもほどがあります」
『婚約者?!ちょっ、ちょっと待って下さい。夏子はそんなんじゃっ―――』
「もう、二度と電話を掛けて来ないで下さい。さようなら」
『ちょっ、佳織さ―――』

ブツッ。

佳織は、彼の言葉を遮るように電話を切った。

…◇…

暫く放心状態で、携帯を見つめたままの司。

夏子のやつ、佳織さんに婚約者なんて言ったのか…。

まだ、会社に残っていた司はデスクの上で頭を抱える。
勝手に電話に出たことで嫌な予感がしていたが、まさかそんな嘘を言っていたとは…。
彼女は父親とは古い友人で、上条グループとの関係も深い。
だから、夏子とは小さな頃から付き合いがあって、とはいってもそれは男女の関係ではなく、兄妹のようなもの。
なのに、彼女は司のお嫁さんになると言って聞かないのだ。
こんな自分を好きでいてくれる…気持ちは嬉しいが、後にも先にも司には佳織のことしか考えれらない。

あぁ〜どうすればいいんだ。

佳織を食事に誘った時だって、あからさまに嫌な態度をとられたことをわからなかったわけではない。
それでも諦め切れなかったから、強引に誘ってやっといい関係になってきたというのに…。

とにかく、今は誤解を解くしかない。
何度か携帯に電話を掛けてみたけれど、佳織が出ることは一度もなかった。


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