プリンな彼女
story1


「新井、悪いけど手を貸してくれ」
「え?ちょっと今、忙しいんだけど」
「お前だったら、すぐ終わるよ」

稲葉がこう言う時は、絶対すぐになんか終わらない。
───また、残業になるに決まってる。
何でいつもあたしなのよ!他にも手伝ってくれる子いるでしょ?それも喜んでね。

あたしと稲葉は、5年前に入社して同じ部署に配属された同期。
といってもあたしは短大卒で稲葉は大学卒だから、歳は2歳あたしの方が若いんだけどね。
それでも同期だから、タメ口で通してる。
稲葉は、外見はかなりいいと思う。
外見はね、このあたしも認めるわ。
でも中身はオレ様系の自己中で、最悪なんだけどね。
なのにそれを知らない女子社員は、カッコイイだのなんだのって騒いでる。
あんなヤツのどこがいいっていうのよね。
みんな騙されてるわよ。

「実は、俺の管理ミスで明日会議で使う資料のデータが壊れてしまったんだよ。なんとか、明日の10時までに作り直してもらえないだろうか。新井しか頼めないし、できないだろうから」

稲葉の隣で、今にも泣き出しそうな顔をしてこっちを見つめている女の子がいた。
今年入ったばかりの新人の山本 真紀ちゃんだ。
なんかふわふわしてて、ものすごく可愛いのよ。
───なんだ、そういうことね。

「ファイルは、開けるの?」
「最新データはダメだけど、その手前のバージョンで保存しておいたのが残ってる状態。最新のバージョンは印刷した紙ベースでしか残ってないから追加分は新規で作り直さないとならないな」
「そう、でその追加分は何枚くらいあるの?」
「今のところ20枚ほど、俺もできる限り手伝うからなんとか頼むよ」

───20枚か。
今の時間が既に定時近くだから、かなりきついわね。
だけど、やるしかないでしょう。
これは、徹夜覚悟かな。

「わかった。なんとかやってみる」
「そう言ってくれると思ってた」

稲葉と真紀ちゃんの顔が、パッと明るくなった。

「あっ、わたしも手伝います」

横であたし達の会話を聞いていた真紀ちゃんが、消え入りそうな声で言う。

「まぁ、焼肉食べ放題で手を打つわよ」
「はぁ?なんでそこで、焼肉食べ放題が出てくるんだよ」
「あら、美人二人に手伝わせるんだものこれくらい安いものよね〜。真紀ちゃん」

あたしが真紀ちゃんに視線を向けると、大きな目を思いっきり見開いてブルブルと首を横に振っている。

「わかったよ。焼肉でもなんでも奢ってやるから、頼むよ」

半ばヤケになっている稲葉が、可笑しかった。

「ほんと?やった。絶対だからね。それじゃあ、真紀ちゃん」
「はいっ」
「まず、最新のバージョンの紙ベースをくれる?」
「はい。これです」
「新規で作り直さないといけない部分はどこ?」
「えっと、35頁から後が全部です」

───ほとんどが、グラフや表かあ。
これは、かなり時間がかかりそうね。
どこかにこれと同じようなものは、使われていないのかしら?
パラパラと前の頁をめくってみると、運よく半分くらい似たものがあった。
これは、使えそうね。

「あの…すみません。わたしが、データを壊してしまったせいで…」

真紀ちゃんが感極まって、とうとう泣き出してしまった。

「大丈夫、なんとかなるから。心配しなくても稲葉もいるし、なんたってこのあたしがついてるんだもの。それに、真紀ちゃんのせいだけじゃないからね。ほら、泣かない、せっかくの可愛い顔が台無しじゃない」

そっと真紀ちゃんを自分の方に抱き寄せて、背中をポンポンと叩く。
あたしには妹はいないけど、いたらこんな感じなのかな。



夢中でパソコンの画面に向かっていたけど、ふと時計を見ると22時を回ろうとしていた。
そろそろ、終電の時刻よね。
真紀ちゃんは、どこに住んでいるのかしら?

「真紀ちゃん、家はどこ?終電に間に合わないと困るから、もう帰っていいわよ」
「でも…」
「後はあたし達に任せて。もう半分以上できてるし、残りは今までのよりすぐにできると思うから」
「そうだな。新井もこう言ってることだし、山本さんは帰った方がいいよ」

なかなか帰ろうとしない真紀ちゃんに、稲葉も帰るように促した。

「わかりました。では、お先に失礼します」
「遅いから、変なヤツには十分気をつけてね。なんかあったら、すぐ電話するのよ」
「そうだな、新井と違って山本さんは可愛いからな」
「何それ」

あたしが口を尖らせて稲葉を睨みつけたけど、完全無視。
───この男、ムカつく。

「はい。駅まで親に迎えに来てもらいますので、大丈夫です。それでは、お疲れ様でした」
「お疲れさん」「お疲れー」

稲葉とあたしは真紀ちゃんを見送ると、作業の続きを始めた。
周りを見るとフロアに残っているのは、稲葉とあたしの二人だけだった。
自分たちのいるところ以外は、電気も消されて物音ひとつしない。
響いているのは、二人のキーボードを叩く音だけだった。
不意に入社して配属されたばかりの頃を思い出す。
あの時も稲葉と二人きりで、こうやって残業していたんだっけ。

「ホレ、少しは休憩しろよ」

稲葉は、そっとあたしの前に缶コーヒーを差し出した。
ちゃんと砂糖とミルクの入ってるやつ。
この男は悔しいけど、あたしが昔からコーヒーはブラックでは飲めないのを知っている。

「サンキュウ」

それを受け取って、プルタブを開ける。
ひと口含むと、コーヒーの苦甘い味が口の中に広がった。
稲葉は空いている隣の席に腰掛けると、足を組んで自分のブラックの缶を開ける。
彼は、あたしと違ってブラック派だった。

「お前、俺たちが入社したばかりの頃のことを思い出していただろ」

───この男はどうして、こんなに鋭いのだろう?
まるで、あたしの心の中までお見通しというくらいに。

「そう、あの時もこんなふうに二人で残業してて、こうやって稲葉がコーヒー買ってきてくれたのよね」
「なんか、すごい昔のことみたいだな」
「だって5年も経っちゃったんだもの。当たり前よ」
「そうだな」

───5年かぁ。
もう、そんなに経っちゃったのよね。
毎日一緒にいて、同じ時を過ごしていたせいか全く気にしなかったけど、お互いいい歳になっていたのよね。
稲葉はコーヒーを飲み干すと「じゃあ続き始めるか」、そう言って自分の席に戻って行った。
それから暫くの間、またキーボードの音だけが響きわたっていた。



「あぁ、終わったぁ」

あたしは両手を思いっきり頭の上に揚げると、大きく伸びをした。
窓の外を見れば、いつの間にか暗闇から薄っすらと太陽の光が見えている。
あぁ、もうこんな時間になってたのね。

「俺も終わったぁ」

後ろで稲葉の声が聞こえる。
あたしはゆっくり席を立つと窓際に行って、今まさに昇ろうとしいている朝陽を眺めていた。

「すっかり、朝になってたんだな」

知らぬ間に隣に稲葉が来てそう言った。

「徹夜なんて、いつ以来かしら?『お前だったらすぐ終わるだろ』なんて、すっかり騙されたわね」
「ごめん。あの時はああでも言わないと、手伝ってくれなかっただろ?でも、新井でなかったら絶対間に合わなかったな。ほんとありがとう」

いつになく稲葉の真面目な言い方にあたしは少し照れながらも素直に返すことができなくて、わざとおちゃらけるように言ってみる。

「感謝してる?」
「してる、してる」
「なんか、心がこもってな〜い」
「スッゲー、感謝してるって」

お互い顔を見合わせて笑い合った。
こうやって稲葉と笑うのも久しぶりだったのだと改めて思い出した。

「お腹、空いたわね」
「俺も思った」

そう言えば昨日の夜は食べる暇がなかったから、お昼から何も口にしていなかった。
それは、稲葉も同じことで。

「なんか、買いに行こうか」
「そうだな」

二人は会社を出ると近くのコンビニに行って、おにぎりやらサンドイッチやらを買い込んだ。

「お前、相変わらずプリン好きだな」
「何よ。お子様だって、言いたいわけ?」
「おっ、自覚してるわけか」

───やっぱ、この男ムカつくわ。
別にいいじゃないね。
何歳になっても、好きなものは好きなんだもの。

「稲葉こそ人のことイジメテばかりいないで、少しは大人になったらどうなの?」
「俺は十分大人だけどな。お前があんまりお子様だから、ついからかいたくもなるんだよ」
「・・・・・」

いつもならテンポよく返って来るはずの彼女の返事が返ってこないのを不思議に思って顔を覗き込むと、小さく寝息を立てて眠っていた。
───オイオイ、こんなところでそれもプリン食いながら寝るかよ。
まぁ、徹夜したんだ無理もないけどな。
稲葉は彼女の手からプリンを取ると、そっとソファーに横たわらせた。
ロッカーに行き、自分のスーツのジャケットを持って来て彼女に掛けてやる。
初めて見る寝顔につい見入ってしまう自分がいた。
───こいつ、こんなに睫毛が長かったのか。
普段は全然気付かなかったけど透き通るように白い肌、形のいい鼻と小さな口が彼女はとても綺麗なのだと改めて気付かされる。
───まいったな。これは反則だろう。
こんなの見せ付けられたら理性が効かなくなる。
だけど、無防備なこの姿を他の男にも見せているのだろうか?
考えただけでも、相手の男を殴り倒してしまいそうだった。
───そろそろ、限界だな。
そう小さく吐き捨てると、稲葉は煙草を吸うために喫煙室へ行った。


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