「祐里香。今夜、空いてない?」
午後を少し回った頃にそうあたしに声を掛けてきたのは同期の林 桂子、部が違うけど、よく飲みに行ったりして割と仲のいい子。
桂子は可愛いというよりもカッコいいという言葉が似合うスレンダーな美人で、さっぱりしてる性格が好感を持てる。
「空いてるけど?」
「じゃあ、ホストクラブに行ってみない?」
「ほ、ホストっクラブ!?」
「ちょっ、祐里香。声、大きいって」
あたしは急いで自分の口に手をあてた。
幸い傍には人がいなかったので助かったけど、こんなのを誰かに聞かれでもしたら、すぐに噂が広まっちゃう。
特に航貴になんて聞かれようものなら、大変なことになるわよ。
「ごめんごめん。で、なんでまた急にホストクラブなんてところに行こうっていうの?」
今度は小さい声で桂子の耳元でそう聞いてみた。
「実は、高校時代の友達の弟が、まだ大学生なんだけど内緒でホストのバイトしてるらしいのよ。友達が心配しちゃって、ちょっと見てきてくれないかって。お金はその友達から預かってきてるから」
なるほど、そういうことかぁ。
まぁ、確かに弟がホストのバイトなんて、あたしだったらビミョーに反対かな。
だけど、ちょっと興味はあるわね。
「そっか、そういうことなら仕方ないかな。一回、どういうところか見学もしてみたいし」
「でしょ?祐里香なら、そう言うと思ったのよ」
桂子はあたしがこの手の話に興味を示すことを知ってるから。
だけど、航貴には内緒にしておかないと…。
「あのさ―――」
「わかってるって、稲葉君には黙ってるから」
何も言わなくても、桂子はちゃんとわかっているようだ。
航貴と付き合っていることは暗黙の了解、ほとんどの人が知っている。
いくらなんでも、自分の彼女がホストクラブに通ってるなんて航貴も言われなくないだろうし。
ちょっとドキドキするけど、実は結構楽しみだったりして…。
あたしは早く定時にならないかな、なんて思いながらつい顔がニヤけていたのを航貴に見られていたとはその時は気付かなかった。
◇
場所は、若者が多く集まる人気のスポット。
例のホストクラブは、おしゃれなお店のたくさん入った雑居ビルの中にあった。
こんなに目立つところにあったら、入るの恥ずかしくないのかしらね。
「なんか、緊張するわね」
「あたしも。でも、ああいうところって、ホストくんがリードしてくれるんでしょ?」
あたしは既に緊張気味だったんだけど、桂子の言うように相手が楽しめるように場を盛り上げてくれるって何かの番組でやってたわね。
そんなことを考えていると、いつの間にか店の前まで来ていた。
「そう言えば、その弟くんの名前ってなんて言うの?」
「えっとね、お店ではハルって呼ばれてるらしいわよ」
「ハルくんかぁ」
「ハルくんがバイトしてるっていうお店はカジュアルな雰囲気のホストクラブらしくて、彼のように大学生のバイトは多いって話だし、それにみんなイケメンなんだって」
どんな子なのかな?今から楽しみだわ。
さっきまでの緊張が嘘のように桂子とあたしは店の中に足を踏み入れた。
ドアを開けると黒いスーツに身を纏った男性が、すぐに二人の前にやって来て席まで案内してくれた。
思ったより派手派手してなくて、一見普通のカラオケボックスが大きくなったみたいな感じ。
どの人がハルくんなのかしら?なんて、あたしはキョロキョロしていると指名はって聞かれて、どう答えていいかわからなかった。
「あたし達、今日が初めてなんで。テキトーにお願いします」
脇から桂子がそう言うと、男性は「わかりました」と奥に消えていった。
「あのね、こういうところって初めから指名したらいけないんだって」
それにいきなりハルくんを指名するより、傍で見ているっていうことも大事でしょ?って桂子は言う。
確かにその通りかも、だって今日の目的はホスト遊びじゃなくて、ハルくんの様子を見に来ることだったんだもんね。
逆に指名するよりも色んな人が相手をしてくれて楽しいんだってって、桂子はチェックしてきたみたい。
ところで、ハルくんはどの子なんだろう?
辺りを見回してみると5〜6人の若い全員バイトなのだろうか?ホストくん達が働いていた。
みんなこう見ると意外にも真剣な表情で、決して遊んでるようには見えない。
楽してお金を稼げる仕事なんてどこにもないんだなって、改めて知った気がした。
暫くして、ヒロくんという桂子好みのかっこいい子があたし達のところにやって来た。
「はじめまして、ヒロです」
「え?ヒロくんって言うの?あたし、桂子。そんで、こっちが祐里香よ」
少し興奮気味で、桂子はあたしのこともヒロくんに紹介してくれた。
取り敢えず、焼酎のお湯割を頼んだけど、“ドンペリ入りま〜す”なんてテレビみたいなのって本当なのかしら?
「桂子さんに祐里香さんですね。なんか、嬉しいなぁ。こんな、綺麗なお姉さま方の相手をできるなんて」
さすがホストくん、お客を喜ばせること言ってくれるじゃない。
なんて思っていたら、もう一人ホストくんがやって来てあたしの隣に座る。
「はじめまして、ハルです」
え?ハルって…もしかして、この子が例のハルくん?
あたしの隣に座ったハルくんはとても背が高くて、航貴と同じくらいかしら、それでいてとても可愛い感じ。
想像とは少し違うかなって思ったけど、かなりのイケメンだから、きっとモテるんだろうなぁ。
「お姉さんは、名前なんて言うんですか?」
「あたし?あたしは祐里香」
「祐里香さん?俺、今日すごくラッキーかも」
「どうして?」
ハルくんは、何がラッキーなのかしら?
「だって、祐里香さんみたいにすっごく綺麗なお姉さんのお相手ができるんだもん」
綺麗なお姉さんって、さっきからみんなお世辞が上手いわね。
教育されているのかしら?わかっていても、ちょっと嬉しい気もしたりして…。
こうやって、みんなハマっていくのかしら。
「はいはい、お決まりの言葉ありがとう」
あ〜なんて、可愛くないのかしらね、あたしって。
だって、あまりにみんなが同じ台詞を言うものだから、ちょっと言ってみたくもなるじゃない。
「祐里香さん、俺の言うこと信じてないでしょ」
「まぁね」
ハルくんが「すっげぇ、ショック」なんてガックリうな垂れてる姿は、やっぱり可愛いかも。
こんなふうに大学生の若い男の子と話す機会なんてないんだもの。
楽しまなきゃね。
「ねぇ、ハルくん。あたしホストクラブに来たの初めてなの。だから今日は思いっきり楽しませてくれる?」
あたしの言葉にハルくんは少し驚いた様子だったけど、すぐに「ハイっ!!」って笑ってくれた。
他愛もない話で盛り上がって、それもすごくいい感じでハルくんは引っ張っていってくれる。
「ハルくんは、大学生なんでしょう?」
初めて会ったのにいきなり大学生なのかって聞くのもどうかと思ったけど、このお店はそういうのが売りらしいから、怪しまれることもないだろう。
「そう、今3年なんだ。来年は大学も最後だし、やりたいこともできないだろうからね」
「そっか。ハルくんは将来、何になるとか決めてるの?」
「俺、実はアメリカに留学したいんだよね」
ハルくんは大学で心理学を専攻していて、将来は専門のカウンセラーとかそっちの道に進みたいらしい。
できればアメリカの大学院でもっと深く心理学の勉強をしたいのだそうだ。
そのために手っ取り早くお金が貯められて、それでいて相手の悩みや色々なことを本音で話せるホストのバイトを選んだと言っていた。
若いのにきちんと将来のことを考えていて、腰掛程度にOLやってるあたしとは大違いだわ。
「すごいわね、ハルくんは。あたしなんて短大だったから、二十歳で就職するのすっごく嫌だった。全然、先のことなんて考えられなかったもの」
小学校から通っていた私立の女子校で、そのまま短大までエスカレーター式に進学していって、気がついたら卒業だった。
就職なんて全然ピンとこなくて、みんなが受けるっていう有名企業を一緒に受けに行ったら、なぜかあたしだけ受かっちゃった。
気がつけば、あっという間に5年という歳月が過ぎていて…。
「俺の友達だってそうだよ、誰も将来のことなんて考えてない。まぁ、俺はたまたまそういう境遇だったんだと思うよ」
ハルくんはふっと暗い表情をしたけど、その後すぐにさっきまでの笑顔に戻った。
きっと、あたしにはわからないような何かがあったに違いない。
でも、お姉さんが心配するような理由でホストをやっていたんじゃないってことがわかって良かったって思う。
こんなしっかりした弟がいるなんて、いいな。
「ねぇ、祐里香さん。また、ここに来てくれる?」
「え?」
今日は桂子の友達の弟(ハルくん)がここでバイトしてるのを心配して偵察しに来ただけで、その目的がアメリカ留学の為だとわかった今は、もうここに来る理由もないわけで…。
「だめ?」
「って言うか、今日は友達に付き合っただけなの。ホスト遊びするほど余裕もないし、それに彼氏に内緒で来てるから」
本当は航貴に内緒でここに来ていること自体、理由はどうあれちょっと後ろめたい気もしている。
だから、もう二度とここに足を踏み入れることはないだろう。
「祐里香さんの彼氏って、どんな人?」
「うん、すっごいオレ様であたしのこといっつも子供扱いするんだけど、誰よりもあたしのことわかっててくれて、優しくてかっこいいの」
「なんか、ものすごいノロケだね」
ハルくんに言われて、初めて自分がすごく恥ずかしいことを言ったことに気がついた。
「いやっ、そういう…ことも…ないんだけど」
「祐里香さん、そんなに照れなくても。でも、なんか妬けちゃうな。祐里香さんみたいな素敵な彼女をもつその彼氏にさ」
「ハルくんにだって、彼女いるでしょ?」
こんなにカッコいいんだもの、絶対彼女がいるはずよね。
「彼女はいないけど、ずっと想ってる人はいるよ」
へぇ、ハルくんには好きな人がいるんだ。
ずっと想ってるなんて、なんだか少し意外かも。
でも、その人に自分の気持ちは伝えないのだろうか?
「その人に気持ちは伝えないの?」
「うん」
「どうして?」
どうして気持ちを伝えないのだろう?ハルくんなら相手だってきっと気持ちを受け入れてくれるだろうに。
「祐里香さんは、兄弟いる?」
「兄弟?」
会話の流れからは想像できない唐突な質問にあたしはちょっと拍子抜けしてしまう。
「いるわよ、ハルくんと違って憎たらしい弟が一人」
あたしには、2つ年下の永遠(えいと)という名の弟がいる。
これがあたしとは正反対にやたらに頭が良くて、いっつも理論的に責めてきて、まったく可愛くないのよね。
最高峰といわれる帝都大学にストレートで入学し、今はそこの大学院生だけど何を研究しているのやら、将来はノーベル賞とかもらっちゃったりぃ?
うちの家系から学者なんて、あり得ないってのに。
「もし…もしもの話だけど、祐里香さんの弟が祐里香さんのこと、姉としてでなく一人の女性として好きだったら、どう思う?」
「え?」
姉としてでなく一人の女性として好きって…それ、どういう意味?
え…まさか…ハルくんの想い人って、お姉さんなの?
「ハルくん、それ…」
「ごめん、変なこと聞いて。なんか、祐里香さんには何でも話せる気がして。祐里香さんのこと楽しませるって約束したのにな」
「ううん、あたしでよかったら言って。あんまり、力にはなれないかもしれないけど」
ハルはなぜかわからなかったが、姉と同い年くらいの祐里香になら自分のこの状況を話してもいいと思った。
「俺には、祐里香さんと同い年くらいの姉貴がいるんだ。綺麗で優しくて、5歳年上だからって何でも俺のことわかってる振りしてさ、いっつも子供扱いだけどな」
それって、さっきあたしが言ったのと同じじゃない。
思わず笑みがこぼれる。
「それってノロケ?」
「え?あっ」
あたしの言葉にやっと気付いたハルくんは、少し照れたように前髪をかき上げた。
「でもさ、俺と姉貴は血が繋がってないんだ。姉貴は父親の連れ子で、俺は母親の連れ子」
お姉さんの名前は美園(みその)さんと言って、ハルくんが5歳、お姉さんが10歳の時にご両親が再婚して姉弟になったそうだ。
「そうなの」
「祐里香さんは俺が姉貴のことを好きなのって、おかしいと思う?」
いくら血が繋がっていないとは言え弟が姉を好きになるなどということは、一般的には受け入れられないことかもしれない。
「あたしは、おかしいだなんて思わないわよ。人を好きになるって素晴らしいことでしょ?それがたまたまハルくんの場合、お姉さんを好きになったっていうだけだもの」
「祐里香さん…やっぱり、祐里香さんは俺の思った通りの人だな」
ハルくんは、その時一番の笑顔を見せた。
こんな子に想われたら、弟だって好きになっちゃうかもしれないわね。
だけど、永遠がもしあたしのこと好きだなんて言い出したら…ないない!!それは、絶対ないからっ。
思わず顔を左右に振ったあたしを不思議そうに見つめるハルくんだった。
←お話を気に入っていただけましたら、ポちっと押していただけるともしかして…。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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