時刻は20時を回ったところ、麻衣は文章の携帯に電話を掛けた。
「もしもし、文章さんですか?」
『あっ、麻衣さん』
一応、誤解は解けたことを俊輔から文章も聞いていたので、きっとそのことだろうと胸を膨らませて電話に出る。
「すみません、今話してもいいですか?」
『もちろんだよ』
「今日、俊輔さんからお話は聞きました。この間はあんな失礼なことを言ってしまって、本当にすみませんでした。なんとお詫びをしていいのかわからないのですが、とにかく謝りたくて。本来なら電話ではなく、直接会ってお話ししなければならないのに」
『もう、いいんだよ。僕が麻衣さんに誤解されるような行動を取ってしまったことが原因なんだから、謝らなければならないのは僕の方なんだ』
「そんなことはありません。文章さんは、決して悪くなんてないんです」
『こんな時間だけど、少しだけでも会えないかな。会って話がしたい』
「わかりました」
『すぐ、家まで行くから』
電話を切ると、文章は急いで部屋を出て車を走らせた。
暫くして麻衣の家に到着するとまだ帰っていなかった父親に代わって母親に挨拶を済ませてから、文章は再び車を走らせる。
「なんだか、こうして会うのはすごく久し振りな気がするね」
たった一週間、話をしなかっただけなのに遠い昔のように感じてしまう。
それだけ、毎日なんらかの方法で話をしていたからかもしれない。
「すみませんでした」
「もう、いいよ。そんなに謝らないで、僕はまた麻衣さんとこうして会えただけで十分だから」
文章の想いが麻衣には痛いほどわかるが、これ以上彼に甘えるわけにはいかない。
目の前には、大都会を結ぶ大きなブリッジが見えてきた。
「少し歩きましょうか」という文章に言われ、麻衣は頷くと車を降りた。
ライトアップされた橋を見ながら、いくつかのカップルが愛の囁きを交わしているのか、それとも別れ話を切り出しているのか。
「あの、まだ父には言っていませんので、適当に理由をつけて文章さんからこのお見合いはなかったことにしていただくよう話していただけませんか?」
「え?」
文章への誤解は解けたはず、なのになぜ麻衣は見合いをなかったことになどと言うのだろうか…。
思ってもいなかった麻衣の言葉に、文章は呆然と立ち尽くす。
「どうして?僕とマリは従妹同士で、変な関係ではないと俊輔から聞いて麻衣さんはわかってくれたんじゃなかったの?」
「はい、それはわかってます。でも、私はこのまま文章さんとはお付き合いできません」
「それは…僕のことが嫌いだから?」
「いいえ、そんなことは決してありません」
麻衣は首を左右に振った。
そんな…嫌いになるなどということが、あるはずがない。
むしろその反対で、さっき俊輔には少しずつなどと言っていたが、麻衣は自分の中でどんどん大きくなっていく文章の存在をどう受け止めていいかわからなくなっていた。
ただ、なんとなくこのままこういう関係を続けていくことが、麻衣にはいけないような気がしていたから。
「じゃあ、なぜ別れなければならないの?」
どうしても納得できない文章は、麻衣に詰め寄った。
「ごめんなさい」
「僕は麻衣さんに謝って欲しいわけじゃない。理由を言ってくれないとわからないよ」
きっと文章には麻衣が何を言っても、受け入れてはもらえないだろう。
しかし、これ以上甘えるわけにはいかないのだ。
「私が文章さんの側にいると迷惑ばかりかけてしまいます。だから、もうお会いしない方がいいんです」
「そんなことない。今回の件だって僕が麻衣さんに誤解を招くような行動を取ったからで、決してあなたは悪くない」
「私自身が許せないからです。文章さんを信じることができなかった私が」
文章はいつだって本音でぶつかってきたのに、麻衣はそれを受け止めることができなかった。
親同士が決めた見合いだからといって、彼をこれ以上縛り付ける理由が麻衣にはない。
「僕は麻衣さんが好きだよ。可愛い顔もはっきりものを言う口も、全部」
いきなりの愛の告白に麻衣はどうしていいかわからない。
見合いの席で、文章は気に入ったと言ってはいたが、面と向かって好きだと言われるのは生まれて初めてのことだった。
頬が熱くなるのがわかったが、ここが薄明かりしかない外で良かったと麻衣は思った。
「麻衣さんの気持ちがまだ揺れているのはわかってる。強引に繋ぎとめていないとすぐに僕から離れていってしまうのもね」
文章と麻衣の関係は、今にも切れてしまいそうな細い糸で繋がれた凧のようなものだった。
強い風が吹けばすぐに糸が切れて、どこかに飛んで行ってしまう。
なんとかその糸が切れないように文章は操っていたつもりだったのだが、今回のことは計算外の出来事であったことは言うまでもない。
「でも、僕は麻衣さんを離したくないんだ。好きだから」
文章はゆっくりと麻衣の近くに寄ると、強くもなく弱くもない力で自分の腕の中に抱き寄せた。
一瞬、反応した麻衣だったが、大人しく彼の胸に顔を寄せる。
「文章さんには申し訳ありませんが、私の思いは変わりません」
「麻衣さん…どうして、どうしてわかってくれないんだ」
「ごめんなさい」
文章がどんなに考え直して欲しいと言っても、麻衣は『ごめんなさい』を繰り返すばかり。
この状態でいくら言っても無理だと思った文章には、最後に一つだけ確かめたいことがあった。
「じゃあ、麻衣さんが僕のことをどう思っているのか、最後にこれだけ聞かせてもらえないかな」
―――どう、思っているのか…。
彼にはっきりと想いを伝えられて、初めて気付いた自分の気持ち。
恐らく、これが人を好きになるということ。
「好きです。文章さんが」
見合いをなかったことにしてくれと自分から言っておきながら、この期に及んで好きなんて…。
自分の言っていることが矛盾していることはわかってる。
だけど、彼の前では正直でありたかったから。
「わかったよ。でも、残念だけど僕は絶対に君を諦めない」
この言葉を聞いて、諦める男がどこにいるだろうか?
ここで嫌いって言われれば諦めたかもしれないが、今ははっきりものを言う彼女の性格に感謝したい。
「えっ、それ…今、わかったと」
「麻衣さんは今、僕を好きって言ってくれた。もし、嫌いだと言われれば諦める覚悟もできてたけど。だから、諦めないよ」
文章の抱きしめる腕の力が、さっきより一層強まって…。
そんな文章に観念するように、麻衣は彼の背中にそっと自分の腕を回していた。
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