お見合い結婚
story 9


「ただいま、父さん」
「お帰り。ちょっと話があるから、こっちへ来て座りなさい」

…話?何だろう、改まって。
文章はスーツ姿のままで、父に言われるままにソファーに腰掛ける。

「何ですか?話って」
「さっき、立花から電話があった。麻衣ちゃんが、見合いの件はなかったことにして欲しいそうだ」
「えっ、そんな…」

…そんな、馬鹿な…。
文章にとって、正に寝耳に水とはこのこと。
確かに彼女はちょっとした誤解から、見合いのことはなかったことにして欲しい、そう文章の方から話して欲しいと言っていたが…。
このことは、既に済んだ話ではなかったのか?
なのにどうして…。

「文章。一体、麻衣ちゃんに何をしたんだ。てっきり、二人はうまくいっているものとばかり思っていたのに」

父も本当に残念でならないといった表情で、文章を見つめる。
こればかりは当人同士の気持ち次第だから、いくら親とて想いのない二人を無理にくっ付けようとは思わない。
しかし、これは麻衣の父と文章の父との間でずっと昔から決めていたこと。
単に約束事ではなく、これは願いだったのだ。
目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようだった麻衣の父、修一が娘を嫁にやれるのは、親友である宏章の息子、文章だけだと。
それがこんな形で、もろくも崩れ去ろうとは…。

「僕には全く。マリのことで彼女に誤解を与えてしまったことはありましたが、それはきちんとわかってくれたものと思っていましたし」
「マリ?」

父にはどうしてここにマリが出てくるのか、さっぱりわからなかったが、麻衣が見合いをなかったことにして欲しいと言ってきた理由はこのことでは恐らくないとわかっていた。
なぜならば…。

「マリに買い物に付き合わされて、一緒に歩いているところを麻衣さんが見掛けたらしく、その…」
「どうせ、腕を組んで歩いたとか、そんなところなんだろう?」

親族の間では周知の事柄だから、細かく説明しなくてもすぐにわかる。
何を隠そうこの父も、マリには手を焼いたことがあったのだ。
派手な格好で普通に会社に遊びに来るものだから、尾ひれが付いて社内で社長が銀座通いしてるなどという噂が立ち、最後には妻に知れて…あれには、さすがにまいった。
しかし、今はそんな苦い思い出話をしている場合ではなく、息子の一大事なのだから。

「父さん、話が早いです」
「感心してる場合じゃないだろう?」
「理由は、立花さんはなんと言っていたのですか?」

見合いをなかったことにでは、文章も納得がいかない。
彼女の父は、なんと言ってきたのか?それが知りたかった。

「麻衣ちゃんも、詳しい話はしないらしくてな。立花も仕方なく、私に連絡してきたんだよ」
「そうですか」
「文章。まさか、諦めたわけじゃないだろうな?」
「え」

…諦めたも何も、彼女がそう言ってきている以上僕にどうしろと言うんだ。
そりゃぁ、彼女のことは好きだし、何とかなるものなら何とかしたい。
でも、彼女の気持ちが自分から離れてしまったのなら…それは、どうしようもないこと。

「お前の嫁は、麻衣ちゃん以外に俺は認めんぞ」
「父さん」
「大丈夫だよ。彼女は、自分が許せなかっただけだ」

…許せなかった…自分が。
それはあの時、彼女が口にした言葉。

「後は、お前次第だろう。彼女のことを本当に想うなら、絶対に諦めるな」

父の言葉がものすごく重く感じるのは、母との馴れ初めがとてもよく似ているから。
…とは言っても、まだ望みはあるのだろうか…。
どうすれば…。

どうすれば再び彼女の気持ちを自分に向かせることができるのか、文章はただひたすらにそれだけを考え続けていた。

+++

「ねぇねぇ、麻衣。あれから、どうなの?彼氏とは」

麻衣が講義の合間にカフェテリアで本を読んでいると、何も知らない幼馴染のあえかは暢気に文章とのことを聞いてきたが、麻衣の中では彼とのことは既に終わったこと。

「彼氏って?」
「ちょっとぉ、惚けないでよ」

もう、彼氏など存在しない麻衣にとって、これはちっとも惚けてなんていない真剣に答えているのだが、彼女には伝わらないらしい。

「別に惚けてなんていないわよ?だって、私には彼氏なんていないもの」
「えっ。もしかして、文章さんと別れちゃったの?」

あえかは言ってからハッとしたが、まさか本当にそんなことになっていようとは…。

「別れたっていうか、お見合いをなかったことにしてもらったの。昨日、父から多田井さんに連絡したはずだから」
「どうしてよ」
「どうしてって。初めからお見合いなんて、うまくいくはずないのよ。まだ、学生の身分なのに」
「そんなこと、関係ないでしょ?麻衣の、麻衣の気持ちは?文章さんのこと、嫌いになったから?」

―――嫌い…。
そう、思えたらどんなにいいか…。
今だって、彼に抱きしめられた時のことを思い出すと体の奥底がカーッと熱くなってくるっていうのに。

「その様子だと嫌いじゃなさそうね。だったら、どうして?」
「自分が、許せなかったから」
「え?」

文章さんを信じることができなかった自分が、許せなかったから…。
このままお付き合いしていても、また彼を疑ってしまうかもしれない。
そんな自分が嫌だから。

「私、こんな性格だって思わなかった。嫉妬深くて、疑り深い。嫌な女」
「そんなの麻衣だけじゃないわよ」
「え」
「私だって、っていうか、女なんてみんなそうでしょ?特に好きな人に対してはね」

麻衣が読んでいた英国の文学小説を取り上げると、ペラペラとそれを捲るあえか。
「こんなお堅い本ばかり読んでないで、彼の胸に飛び込んじゃいなさいよ。恋愛はきれいごとばかりじゃないんだから」と、取り上げた本を麻衣の手に戻す。
『閉じちゃうから読んでいたところが、どこだったかわからないじゃないっ』と言ってみても、彼女は聞いちゃぁいない…。

「後悔しても遅いのよ?」

―――後悔しても遅い…か。
わかっていても、今の麻衣にはどうしようもないこと。



「そう言えば、大学の近くに美味しいケーキショップができたの麻衣知ってる?」
「あっ、なんかみんなが噂してるの聞いたかも」
「ちょっと、探してみない?」
「うん」

講義を終えて大学の門に近付いた時、少し元気のない麻衣を新しくできたというケーキショップに誘うあえか。
甘い物が好きな麻衣は、すぐにその誘いに乗ったが…。
聞き覚えのある声にハッとする。

「麻衣さん」

―――えっ、文章さん…どうして…。
門の側に立っていたのは、もう逢うことはないと思っていた彼。

「どうしてここに…」
「麻衣さんに逢いたくて、逢って話がしたくて仕事をサボったんだ」
「え?」

―――サボったって…。
いいの?そんなことしても。
その場に突っ立ったまま体が動かない麻衣に「ケーキショップに行くのは、また今度ね。頑張って」と、あえかは耳元で囁くように言うと先に帰ってしまう。

「えぇ。ちょっ、あえか」

―――どうしたらいいの?
こんな…。
文章に真剣な眼差しで見つめられて、麻衣はどうしていいかわからなかった。


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