三月三日
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3月3日は、桃の節句。
女の子のお祝いをする、ひな祭りの日。
ここ河合家では、毎年お雛様を飾って家族でお母さんとあたしで作った桜餅と散らし寿司でお祝いする。
それは、高校生になった今でも続く恒例行事だった。
去年、『もう高校生なんだから、やめてって』あたしが言ったら、お父さんもお母さんもすごく寂しそうな顔をして、『そうだよな。いつまでも千春は、子供じゃないんだな』って…。
お父さんとお母さんにとっては、高校生になった今でもあたしは子供なのよね。
あんな顔を見てしまったら、それは言ってはいけない言葉だったんだとすごく後悔した。
だからあたしは、お父さんとお母さんと一緒にいる限り、このお祝いを続けようって思うの。



「ねぇ、千春。今年のひな祭りに先生もお誘いしたらどうかしら?」

え…お母さん。
先生って、まさか…根津先生のことじゃぁ…ないでしょうねぇ…。

「先生って?」
「あら、やだ。根津先生に決まってるでしょ」

わざとはぐらかすよう言ってみたんだけど、やっぱりそうだったのね…。
だけど、どうして根津先生?!

「お母さん、先生を個人的に誘うのはよくないと思うんだけど」
「そんなことないわよ。千春が怪我をした時には先生にお世話になったんだし、先生にもいつでも家にいらして下さいって言ったら、喜んでって言ってらしたもの」

それは社交辞令ってやつで、先生もそう言ったんじゃないの?
でもなぁ…先生、あたしが怪我をして毎日送り迎えしてくれた時も、朝はあたしを起こしに部屋まで来てたし、朝晩食事を一緒に食べていったものね。
あの人の喜んでは、本当なんだろうなぁ…。

「そうだけど…」
「あら、千春は先生をお誘いするのに反対なの?」
「え…そういうわけじゃ、ないけど…。ほら、その日は高等部の卒業式でもあるし」

怪我が治って先生に送り迎えしてもらうのも最後になった日、あたしは心に思っていたことを口にすると先生も同じ気持ちだったって言ってくれて…。
それから付き合うようになってもちろん兄貴は知ってるんだけど、まだお母さんにはその話はしていないのよね。
もしかして薄々感ずいてるかもしれないんだけど、お父さんになんて口が裂けても言えないだろうなぁ…。
だから、そういう関係だっていうのを隠してみんなで一緒に食事をするなんてなんだか後ろめたいっていうか、それより恥ずかしいんだもん。
それにその日は、高等部の卒業式でもある。
先生同士で何かあるかもしれないし…。

「そうね。先生の都合もあるでしょうから、今日学校に行ったら聞いてきてちょうだい」
「う…ん、わかった」

そうよね、先生の都合だってあるわけだし、まだ来るって決まったわけじゃないんだもの。
あたしは前向きに考えることにして、少し早めに学校に行くことにした。

メールしてもよかったんだけど、今日は先生の数学の授業がなかったから、顔も見たくて職員室へ足を運ぶ。
先生は職員室の出入り口近くに席があるから、声を掛けやすい。

「根津先生」
「あぁ、ち…河合さん。おはよう」
「おっ、おはようございます」

思いっきり名前で呼びそうになった先生にあたしは、動揺のあまり声が上ずってしまう。
―――やだっ。
先生ったらっ、こんなところで名前呼ばないでよっ!

そんなあたしに対して先生は全く動揺している気配もなく、立ち上がって廊下に出て行く。
誰もいないことを確かめてから、あたしは先生に抗議の意味を込めて睨むように言った。

「もうっ、先生。職員室で名前呼ばないで下さいよ」
「ごめんごめん。つい、千春ちゃんの顔を見たら、嬉しくって名前で呼びそうになっちゃった」

「今日は授業がないからね」って、本当に嬉しそうに言う先生を見るとこれ以上怒れなくなってしまう。
あたしも先生の顔が見たかったのは同じだし、許してあげるかぁ。

「で、どうしたんだい?」

まだ朝の早い時間にあたしが職員室に来た理由が、先生にはわからなかったようだ。

「今度の金曜日の夜なんですが、先生時間ありますか?」
「金曜日?っていうとその日は、卒業式だね」
「そうなんです。やっぱり無理ですよね」
「う〜ん、でも式は午前中で終わるから、夜は大丈夫だよ」

えっ…。

「そっ、そうですか…」
「千春ちゃん?」

本当は断って欲しかったけど、用事がないなら仕方ないものね。

「実は、うちで毎年ひな祭りのお祝いをするんですが、お母さんが今年は先生もお誘いしたらどうかしらって言うもんで…」
「ひな祭り?あぁ、そんな時期なんだね。うちは男ばっかりの兄弟だから、そういうのしたことがなかったんだ」

「いいね、女の子がいる家は華やかで」って、そう言えば先生には二人のお兄さんがいるって聞いている。
だからひな祭りなんて、やったことなかったのね。

「でもいいのかい?僕なんかが、参加しても。お邪魔じゃないのかな」
「はい。先生さえ、よければ」

やっぱり遠慮気味の先生だけど、こんなところが好きだなって思う。
さっきまでの微妙な思いも、この時にはすっかり消えてなくなっていた。

+++

卒業式には2年のあたしも在校生として出席しなければならなかったので、午前中だけ学校へ行くと真っ直ぐ家に帰る。
兄貴はバイトだけど間に合うように帰って来ると朝言っていたし、家族イベント第一のお父さんもこの日だけは多分早く帰ってくるはずだ。

お母さんとあたしは、毎年必ず手作りする桜餅とちらし寿司を一緒に作る。
といってもほとんどお母さんがやってしまうから、あたしは材料を用意したりするだけのお手伝いなんだけどね。

先生が来るのは夜の6時だったけど、一足先に兄貴がバイトから帰って来た。
お母さんに少し休憩したら?と言われて、兄貴の分も紅茶を入れてリビングへ持っていくと、兄貴は「疲れた〜」と言いながら、ソファーにどっかと腰を下ろす。

「はい、紅茶」
「おぅ、サンキュ。そう言えば千春、先生は何時に来ることになってるんだ?」
「6時って、言ってあるんだけど」
「そっか。あの人のことだから、キッカリに来るだろうな」

兄貴の言葉に思わず笑いが出てしまう。
先生は時間にはとても正確だから、約束の6時には絶対ぴったりに着くように来るに決まってる。

「だけど、大丈夫か?あの人、お酒あんまり飲めないんだろう?」

兄貴が心配しているのは、お父さんのことだった。
お父さんは無類のお酒好きなんだけど、お母さんは全く飲めないし、兄貴はまだ未成年だしと晩酌はずっと1人で我慢している。
あたしが怪我をして先生が毎日送り迎えしてくれた時はやっと飲める相手が見つかったとしきりに誘っていたが、先生は車だからといつも断っていたのだ。
それが今日はと言うと明日は土曜日で学校も休みだし、甘酒くらいはねというお母さんの言葉に先生も車は一度家に帰って置いてくると言っていたのだった。
先生はあまりお酒が強くないと言っていたので、あたしも心配ではあったのよね。
だってあのお父さんが、甘酒だけで済むはずがないんだもの。

「そうなのよね。先生、お父さんに勧められたら絶対断れないと思う」
「だよな。俺も親父だけは止められないしなぁ」

お父さんの酒癖が悪いとか、そういうことは全然ないんだけど、あんなに幸せそうに飲んでいる姿を見ると誰も止められないのよね。
先生が大変なことにならなければいいなと思いつつ、あたしは紅茶を飲み終えるとお母さんの手伝いをしにキッチンへ戻って行った。

+++

「先生、いらっしゃい」

兄貴とあたしの予想通り、先生は6時キッカリ家に訪れて、お母さんは準備があったから、兄貴とあたしで先生を出迎えた。

「今日は、お招き頂いてありがとう。これ、つまらないものだけど、お父さんに」

先生が手に持っていたのは、日本酒の一升瓶だった。
田舎の地酒とかでお酒大好きのうちのお父さんにって、わざわざご両親に頼んで送ってもらったらしい。
だけど、こんなの持って来ちゃって大丈夫なの?先生。

先生を奥の座敷に向かい入れるとそこには、雛人形が飾ってある。
うちのお雛様はお母さんの家に代々伝わるとても古いものなんだけど、あたしは優しい顔のお内裏様とお雛様がすごく好きなのよね。

「雛人形、綺麗だね。僕の母親も女の子が生まれたら、飾りたかったといつも言ってたよ。なんたって、男ばかり3人だからね」

確かに近所のおばさんも、息子さんばかりで娘が欲しかったと口癖のように言ってるものね。
あたしにはよくわからないんだけど、そういうものなのかな?
そんなことを話しているとお母さんの「千春、お料理運ぶの手伝って」という声が聞こえたので、先生は兄貴に任せてあたしはキッチンへと向かった。

今日のメニューは例年よりもずっと豪華で、先生が来るからとお母さんが頑張ったのがわかる。
そして、暫くするとお父さんが帰って来た。
いつもは残業で遅いお父さんも、この日ばかりは鐘が鳴る前に職場を出て来たんじゃないかと疑ってしまうくらい早い。

「お父さん、お帰りなさい」
「ただいま。先生はもう、いらしてるのかい?」
「うん、さっき来たところ」

お父さんは、奥の座敷にいる先生に挨拶をすると着替えてくるからと2階に上がっていった。


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