三月三日
2/E


+++

「先生、あんないい地酒をすみませんでした」
「いえ、田舎のものですから」
「今日は、飲んでも大丈夫なんでしょう?」

妙〜にお父さんの目が輝いているんだけど…。

「はぁ…。でも僕はあまりお酒は飲めないので」
「そう、おっしゃらずに。わたしも今日は飲めると楽しみに帰って来たんですからね。それにせっかくのお酒もあることですし」

こうなったら、もう誰もお父さんを止めることなんてできないのよ。
あのお母さんでさえも、だめなんだから。


「さぁ、さぁ、先生」
「すみませんが、もう…」
「そう、言わずに。グィっと、いってくださいよ」

こんな会話がさっきから、ずっと続いている。
先生と付き合っていることを黙っているっていうのと家族と一緒なのが恥ずかしいっていうのがあったから、本当は先生に来て欲しくはなかったんだけど、これは別の意味で来ない方がよかったのかもしれないわね。

「先生、大丈夫なのか?」
「さぁ…」

兄貴と顔を見合わせながら、あたしはどうしたものかと考える。
先生の顔はもうこれでもかっていうくらい真っ赤で、目なんて泳ぎまくってるのよ。
そのわりにまだお父さんに付き合ってるっていうのが、よくわからないんだけどね。
これって、本当は強いんじゃないのかしら?!

どれくらい飲んでいたのか、最後は二人とも同時に酔いつぶれるという結果になった。
先生もかなり頑張ったわね。

「お母さんは、お父さんを連れて行くから、千春ちゃんと誠一で先生をお願いね」
「うん」

お父さんは酔いつぶれながらも、まだ先生と飲むんだと発しながらお母さんに寝室まで連れて行かれた。
そして、先生はと言うと兄貴とあたしとで客間に運ぶ。

「やっぱり、こうなったか。でも先生もかなり、頑張ったんじゃないか?」
「そうだけど…」

こんなに頑張らなくても、いいのにねぇ。

「あっ俺さ、見たいテレビがあるんだよ。後は千春に任せたから」
「え?ちょっと任せたからって」
「ちゃんと先生にパジャマ、着せとけよ」
「パっ、パジャマ?!って、兄貴!!」

言うのと同時に兄貴は、さっさとリビングへと消えて行った。
―――パジャマ着せとけって…どうやって、するのよ…。
はぁ…。
先生はすっかり眠っちゃってて、ちょっとゆすっても起きる気配がない。
だからって、あたしが着替えさせるなんて絶対無理だもん。
一度家に帰って着替えてきたのか先生は少しカジュアルな服装だったけど、このまま寝たらシャツとかズボンとかシワになっちゃうわね。

「先生、起きてくださいよ。服がシワになっちゃいますから、パジャマに着替えてくださいっ、先生っ!!」

耳元で叫んでみたけれど、先生の返事は「うぅん」って言うだけ。
兄貴のやつ、テレビなんて絶対嘘に決まってる。
あ〜ん、もうっ!どうするのよ〜。
このままってわけにもいかないし、あたしは仕方なく先生のシャツのボタンを外しにかかった。
中にTシャツを着ていたけど、それでも先生の体が引き締まっているのだとわかる。
さすがサッカーをやっていただけはあるかな、なんて見惚れてる場合じゃないのよっ。

「先生、腕を上げてくださいね」

聞こえてるんだかいないんだかわからない先生に話しかけながら着ていたシャツを脱がせて、お母さんがお父さんに買ってきたら大き過ぎたという新品のパジャマを着せる。
寝ている人の体って、ものすごく重いのよね。
特に先生は痩せているように見えるけど、筋肉質なのかそれに背も高いからやっぱり女のあたしには大変。
だから、兄貴が手伝ってくればっ!なんて言葉は届くはずもなく…。
上はなんとか着せられたけど、問題は下なのよ。
男の人のズボンを脱がせるなんて、ねぇ。
もう一度、先生に「起きて〜」と言ってみたけど、全然だめ。
こうなったら、ヤケよね。
女は度胸、やるっきゃないのよ。
恐る恐るベルトに手を掛けてそれを外すとちょっと目を横に反らしながら、ゆっくりとズボンのボタンを外してファスナーを下ろす。
うわぁっ、これからどうすればいいのよぉっ?!
このまま放置しておくわけにもいかないし、あたしは先生を跨ぐようにして膝立ちするとズボンのウエストのところに手を掛けて下に引っ張る。
だけど、この体勢って目線をどこにもっていっていいのかわからないのよね。
お尻を持ち上げてもらえれば楽にできるんだろうけど、なかなかうまくいかなくてぐずぐすしていると突然目を覚ました先生と目が合った。

「千春…ちゃん?」
「うわっ、せっ先生っ」

どう見ても、このシチュエーションはマズイだろう。
あたしが先生の足を跨ぐようにして膝立ちしていて、ズボンのファスナーを開けてそれを引っ張る格好なのだから。

「いっいや、これはっ、ですね。洋服が、シワになるといけないので、着替えをっ」

うひゃっ―――。

「千春ちゃん」
「うわぁぁ、先生っ、ちょっとぉ」

なんと先生はいきなり起き上がって、あたしを後ろに押し倒すと覆いかぶさってきたのだ。
もちろんズボンは、少しだけずり下がったままで…。

「やっ、先生。やめて…」
「千春ちゃん、好きだよ」

「…っん…」

お酒…臭〜い…。
寝ぼけているんだか、正気なんだかわからないが、先生はあたしにいつもとは全然違う荒々しいキスをしてきた。

「うっっ…せっ先生。やっ」

声にならないような声を発したが、先生は一向にやめるどころか、ますますキスは深くなる。
初めは抵抗していたあたしも、なんだか気持ちがフワフワとしてきて黙ってそれを受け入れていた。
そんな時に…。

「お〜い、千春。先生はちゃんと、着替えさせられたのか?」

テレビを見ると言っていた兄貴が、突然戻って来たのだ。

「○×й▲@□※‰…」

まだ、先生にキスされていて口を塞がれたまま身動きの取れないあたしは、どうしていいかわからない。
こんなところを兄貴になんて見られたら、どうすればいいのよっ!
っていうか、なんとかして…。
あたしの思いなんかどこにも届かないまま、無常にも戸が開いた。

「おっと、お取り込み中だったみたいだな…」

兄貴は、それだけ言うと何事もなかったようにまたリビングに戻って行った。
ちょっとっ!お取り込み中ってっ。
そのすぐ後に先生の唇が離れたと思ったら、体が急に重くなってスースーという寝息が聞こえてきた。
もうっやだぁっ、先生寝ちゃったわけ?!
あたしは、上に覆いかぶさっている先生から自分の体を抜くと大きく溜め息を吐いた。
今すぐ先生をたたき起こしてこの状況について文句の一つでも、いや二つ三つ言いたいところだが、あまりに気持ちよさそうに寝ている先生の姿を目の前にしてそれを言うこともできなくなる。
それに仰向けになっているよりはうつぶせの方がズボンを脱がせるには都合がよかったようで、あたしは気を取り直して先生にパジャマを着せ終えた。
そして布団を掛けてあげようと先生に背を向けると再びあたしの名を呼ぶ声が聞こえた。

「千春…ちゃん…」

また起きちゃったの?と一瞬思ったけれどそれは寝言だったようで、見れば気持ちよさそうに眠っている。
こんなふうに眠りながらも自分の名前を呼ばれるとやっぱり嬉しいかなと思ってしまう。
だけど…あんなところを兄貴に見られて、あたしはどうすればいいのよっ!!

+++

先生はうちにお泊りしていって、次の日二日酔いのお父さんと一緒にお昼近くまで眠っていた。
あたしはというと兄貴と顔を合わせるのがすごく嫌だったんだけど、そういう日に限って兄貴のバイトが午後からだったりするのよ。

「なんだかこんなことになって、申し訳ないね」

お昼もどうぞって一緒に軽くお蕎麦を食べていると先生は、すごく申し訳なさそうに言う。

「親父が悪いんだから、先生は気にすることないよ」

兄貴の言葉にこの時は、あたしも同意を込めて頷いた。

「ところで僕にパジャマを着せてくれたのは、誠一君かい?悪かったね。大変だっただろう?」

え…。
そりゃ、すっごく大変だったけどねぇ…。
恐る恐る兄貴の顔を見るとものすごくニヤついた顔をしてあたしを見ている。
こんなところで、実はパジャマを着させたのはあたしだなんて言わないでよねっ!

「そんなことないよ。なぁ、千春」
「えっ、あっ、うん…」

どうして、あたしにフルわけ?!

「でもさぁ、先生。お酒の勢いとはいっても、あれはマズイんじゃないかな」
「マズイって?」

なにも覚えていない先生は、至って普通に聞き返す。
まさか…兄貴…。

「いくらなんでも、千春をここでお―――」





「うわぁっっっっっっっっっっっっっっ」





なっ、なにを言うのよ!兄貴ったら!!
あたしは、これでもかってくらい大きな声を張り上げた。

「どうしたんだい?千春ちゃん、そんな大きな声を出して」

あまりのあたしの大きな声に先生もびっくりしたのか、ものすごく驚いた顔をしている。
だって、兄貴ったら余計なこと言いそうだったんだもの。

「千春、声デケエよ」

兄貴は、わざと大袈裟に耳を押さえる仕草をしている。

「だっ、だって兄貴がっ。ほっほら、バイト2時からじゃないの?こんな呑気にしてたら、遅れちゃうわよっ!」
「え?あぁ、もうそんな時間か。じゃあ先生、俺バイト行ってくるから、ゆっくりしていって」
「誠一君、気をつけてね」

兄貴は、急いで出掛けて行った。
はぁ…。
間一髪逃れたけど、きっと兄貴はことあるごとにこの話を持ち出すんだろうなぁ…。
いやだなぁ…。
考えただけでも、憂鬱になってくる。

「だけど、さっき誠一君はなんて言おうとしてたんだろうね。千春ちゃんは、知ってるのかい?」
「いっ、いえ。あたしは何もっ」

ブルブルと顔を左右に振って、何も知らないんだということを強烈にアピールする。
あたしの不自然な反応に先生は暫く首を傾げていたけれど、それ以上は聞かなかった。
お母さんが先生が帰る時に『またよろしかったら、来年もいらしてくださいね』って言ったけど、あたしは絶〜対呼ばないんだから。
それに、お父さんとお母さんには悪いけど…。






もうっ、ひな祭りは今年でお終いっ!!






そう心の中で叫ぶ、千春だった。


END


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