出逢いは突然に
STORY 28


「おはようございます」
「あっ、おはよう」

「どうしたのよ。元気ないわねぇ」と杏子が、いつものように朝一番でその日のスケジュールの報告と共にコーヒーを入れて持って来た。
それをありがたく頂戴する葉月だったけれど、やはり青のことが引っ掛からなくもない。
たまたま、道でバッタリ会ったという親友の怜音(れお)が、青がアパートを探していたということに気付いてくれたからいいものの、それは良かったのか悪かったのかは、葉月にもわからないが…。
多分…いや、恐らく、彼は黙って葉月に内緒でマンションを出て行ってしまったに違いない。
結果的に引き止めた形になってしまったが、本当にそれで良かったのだろうか。
彼を縛っているだけなのでは…。
葉月には、そんなふうに思えてならなかった。

「ん?特に。何か変?」
「とぼけたって、ダメなんだから。橘さんと喧嘩でもした?」
「えっ」

青の名を出されて、すぐにそれはバレてしまったも同然。
勘の鋭い杏子には、隠してもすぐに見抜かれてしまう。
親友というのは、そういうものなのかもしれないと葉月は思った。

「たまには、喧嘩もいいんじゃない?最近の橘さんはどうも周りに遠慮し過ぎているように思えるし、葉月はまるで腫れ物にでも触れるように彼を扱ってる。思ってることをガンガンぶつけ合って、すっきりしちゃえばいいのよ」

杏子はA4サイズの手帳に挟んであった紫色のしおり紐を引くと、今日一日のスケジュールを順に目で追っていく。
どこかの取引先からもらったという黒いビニール製の表紙の付いた何の変哲もない手帳を、今流行のキラキラシールが埋め尽くしているところは彼女らしい。
パソコンでのスケジュール管理は葉月がいつでも見られるようにと便利ではあるが、やはりすぐに書き込める手帳が一番だと彼女は秘書になってからも、それ以前の自分の予定もずっと手帳に書き込んでいた。
そんな彼女を見つめながら、痛いところをついてくるなぁと葉月は感心していた。
確かにそうかもしれない。
お互いを大切に思い過ぎて本音が言い合えない、それが返って負担になっていたのかも。

「喧嘩ねぇ」
「あら、違うの?」
「できたら、苦労しないのかもね」

コーヒーカップを手に葉月がふと窓の外に目を向けると、どんよりと曇った冬空だった。



青の元に大内から連絡が入ったのは午後を少し回ったところ、ちょうど客も途切れ、休憩を取っている最中だったので、すぐに電話に出ることができた。

『マネージャー、突然すみません。今、お話してもよろしいですか?』
「大内さん。えぇ、ちょうど休憩中でしたから、構いませんが」

『良かった。至急、ご連絡したいことがあったので』と話す大内は、電話の向こう側でも少し興奮しているように感じる。
何か、斉賀社長に動きでもあったのだろうか?
店の奥にある、アルバイト達が休憩するための部屋には青以外の者はいなかったが、念のため裏口から外へ出た。

「何か、あったのですか?」
『実は、斉賀社長が今度はジェイTVの株を買い占めているようなんです』
「ジェイTVですか?ケーブルテレビの」

確認した青に『はい』と答えた大内、ジェイTVとはケーブルテレビやネット、電話などのサービスを提供している会社で、着実に地域を拡大している将来有望な企業である。
そこへ目を付けたのはさすがといっていいかもしれないが、なぜそんなに企業買収ばかりに手を染めるのか。
ヴェンティセッテを買収しようとした時には、『当社も新しい事業を始めようと思ってね』と斉賀社長は言っていたはずだが、その後アメリカン・キッチンを買収しても特に経営陣を送り込んだり、自社の所有するビルに店舗展開をしている気配はない。
今回のジェイTVや玲音(れお)のトゥルー・ネットまで買収しようとしていた背景には、新しい事業を始めるというより、これでは投資ファンドと同じではないか。
だからといって、これが悪いというのではないし、資産を増やす目的としては一つの選択でもある。
現に帝国アーバン・ディベロップメントが買収したことで、企業イメージがアップしたアメリカン・キッチンの株価は上昇しているのだから。

「大内さん、社長の本当の目的は何なんでしょうか?以前、私がヴェンティセッテの買収を命じられた時には、新しい事業を始めると言っていたのですが」
『社長には、そのつもりはないと思います』
「ない?ということは、株価を吊り上げた利益を得るためでしょうか」
『そう考えるのが、妥当だと思います』

…やはり、そうだったのか。
すると、早々にアメリカン・キッチンの株を手放す可能性があるということ。
ヴェンティセッテもトゥルー・ネットも、危うくこんなふうに使い捨てのように扱われていたかと思うと経営の本質から言えば賛同できるものではない。
帝国アーバン・ディベロップメントの役割は、土地開発によって、住む人、働く人、集う人々の生活をより良いものにするためだったはず。
何かが間違っているのではないか。
しかし、斉賀社長のやり方はどうあれ、これだけでは裏があるとは到底思えない。

「社長のやり方について、私が今の立場で何も言うことはできませんが、この事実だけでは特に―――」

これ以上深入りすれば、この件に関わった人達が自分と同じような目に遭ってしまうのではないだろうか。
だったら、確信的な事実がない限り、もう…。

『実は、そこなんですよ』

『この話は、電話でできるようなことではありませんので』と、青の心配を他所に大内は何かを握っているようだ。

「大内さん」
『改めて、みんなを集めます』

そう言って、電話は切れた。

とうとう、何かが動き出す時が来た。
青は携帯を見つめながら、そう心の中で呟いた。



「お疲れ」

葉月がオフィスを出ようとすると聞き知った、そして誰より愛しい相手の声が耳に飛び込んできた。

「青、どうしたの?こんなところで」
「そろそろ、葉月が出て来る頃かなって思って待ってた」

時刻は夜の8時を少し回ったところ、だいたい葉月が会社を出るのはこのくらいの時間だったから、青もそれを見計らって待っていたのだろう。
それにしても、何もビルの外で待っていることはないし、電話やメールくらいできたはずなのに…。

「待ってたって、こんな雪が降りそうな日に。一体、いつから待ってたの?」
「ん?5分か10分位じゃないか」

適当に答えた青の頬に手を触れると、反射的に離したくなるほど氷のように冷たい。
―――嘘ばっかり…。
絶対、30分以上は経ってるに決まってる。
こうして待っていてくれるのはすごく嬉しいけど、これで風邪をひいたりしたらどうするのよ。

「嘘!こんなに冷たくなって。風邪でもひいたらどうするのっ」

少し遅れて後ろから出てきた杏子が、びっくりするくらいの大きな声。
辺りに人はいなかったからいいものの、これではお母さんに叱られている子供のようだ。
そう思ったら、なんだか微笑ましかったりも。
青の予想では『待っててくれたの?嬉し〜い』とかなんとか言ってもらえるはずだったのだが、当てが外れたというか、よくわからないがこれはこれでいいもんだと思ったりして。
怒っている顔の葉月もまた可愛いと思ってしまうのは、余程惚れているということだろう。

「だったら、温めてくれる?」
「はぁ?わけのわからないこと言って」

―――そうは思っても、本当は嬉しい。
黙って目の前からいなくなってしまうのではないかとずっと気になって、夜ベッドに横になっても何度も何度も目が覚めた。
そして、隣にいることを確認して…。

「馬鹿っ、馬鹿っ、青の馬鹿っ、あほっ、あんぽんたんっ」
「どうしたんだ、葉月」

呆気に取られている青に「あんまり、葉月を泣かせるようなことはしないで下さいね」と耳打ちすると、杏子は「お先に」と言って暗闇に消えて行った。

「おいっ、葉月」
「もうっ。青なんか、ここで凍死しちゃえばいいのよ」
「それは嫌だな。俺は、葉月と爺さん婆さんになるまで一緒にいたいんだから」

青は包み込むように葉月を抱きしめると薄っすら滲む涙の跡を指で拭い、そっとくちづけた。


To be continued...


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