LAST Valentine Day
STORY1


「はい、城野」

「これ、あげる」と同期の朝倉 紫苑(あさくら しおん)が、パソコンの画面からちょうど視線を外したところだった城野 隼人(じょうの はやと)の前に差し出さした小さな箱。
それが何なのかすぐにはわからず、「海外の土産か?」と首を傾げながらも箱を裏表と引っくり返して眺めたが、ふと周りに視線を向けると同じように小さな箱を手にニヤつきながら鼻の下をこれでもかと延ばしている若手から中年までの男性社員達が目に入る。
―――あぁ、今日はバレンタインってやつか。
道理で、いつもより社内が浮き足立っていると思った。
まぁ、彼女のいない俺にはバレンタインも何もあったもんじゃないが、義理でも、今は世話とも言うらしいが、こうしてチョコレートをもらえるということはある意味、幸せなことなのかもしれない。

「サンキュ。っつうかさぁ、これ、俺だけ毒入りじゃないだろうなぁ」
「は?失礼ねぇ。そんなわけないでしょ」

バシっと思いっきり、頭を叩かれた。
―――痛てえって。
お前、本気で叩くやつがどこにいる。
手加減っていうものはないのか?
俺が「冗談に決まってるだろ、さらっと流せよ。さらっとさぁ」と頭を両手で大げさに押さえながら釈明しても、彼女はご立腹なのか突き刺さるような視線が痛い。

「冗談だって、言っていいことと悪いことがあるの」
「何だよ。いつものお前なら、これくらい普通に受け流すクセに」

…城野の言うように、確かにそうかもしれない。
同期で入社して早4年が過ぎようとしていたが、城野に関しては初めから男の人とかそういう構えみたいのがなくて、何でも思ったことを言い合える仲だった。
彼は同期でもなかなかの男前だったし、なのにそういうところを感じさせない気さくさみたいなものを持っていたから、配属されても部内外を問わず人気が高い。
それに加えて彼女の存在を匂わせないところも(実際はどうだかわからないが)、狙っている女子社員が多い理由だった。

特に今日という日は。

「だけど、女性は大変だよな。こんなふうに気を使って、俺らにまでチョコレートを配り歩いてさ」
「ん?まぁね。だから、ホワイトデーに期待するんじゃない」
「あ…」

すっかり忘れていたが、隼人は毎年これで予想外の出費に悩まされるのだった。
―――あぁ、これってまるでワイロだよな。
思っても口に出せば、また朝倉の手が飛んでくるに違いない。

「楽しみにしてるわねぇ、城野君」

『何が、楽しみにしてるわねぇ、城野君』だ。
去ろうとしていた朝倉の背中に向かって毒づいてみる。

「あっ、そうだ」
「あ?いやぁ、俺は」

聞こえていないはずなのについ、謝ろうとしていた隼人を不信顔で見つめ返す朝倉。

「あのね、それ。ちゃんと食べてよね。誰かにあげたりしたら―――」
「えっ、わっ、わかってるよ。当たり前だろ」

―――アハハ…。
多分、顔は思いっきり引き攣っていたと思うが、朝倉はそれ以上何も言わずに去って行った。
その様子が何だかいつもと違うような気がして、隼人は手の中にある箱をじっと見つめていた。



「なぁ。お前、何個もらったんだ?」
「何個って?何を」

「惚けるなよ」と、残業時間に食堂で夕飯の鰤定食を食べていると並んで座っていたやっぱり同期で同じ部に配属された船箕 翔(ふなみ しょう)に横目で睨まれつつ、腕を突付かれた。
―――何個って…。
言われた瞬間は隼人も本気でわからなかったが、『あぁ、あれのことか』と船箕(ふなみ)が気にしているのはチョコレートのことだったと理解するのに少しだけ時間を要した。

「数なんか、数えてねえよ」
「カぁーっ。色男の言うことは、イチイチ癇に障るよなぁ」

―――だったら、聞くな。
隼人は船箕(ふなみ)など無視して、黙々と食事を続ける。
次から次へと顔も知らないような女性もチョコレートの箱を持って来たから、10個以上はもらったかもしれない。
そのまま、カバンに放り込んでいたし、正確な数なんて把握していなかったが…あっ、ヤバイ…。
これじゃあ、ホワイトデーのお返しとやらを誰にすればいいのか、わからないじゃないか。
確か、去年もそれで朝倉に泣きついたんだった…。
全く、学習しない男だなと今更思っても遅い。

「中に本命とか、あるかもしれないんだぞ?ちゃんと気持ちも受け取らないと」
「そんなの今時、あるのかよ」
「あるかもしれないだろ」

―――本命なんて。
俺達は一体、何歳になったんだ?
27だぞ?ガキじゃあるまいし、女子高生だって、いやこの時代、小学生だってバレンタインに告白するやつなんかいないだろ。
この時の俺は、船箕(ふなみ)の言葉なんて全く聞き入れもしなかった。

+++

「おはよう、兄貴」

次の日の朝、隼人が目を擦りながらパジャマ姿のままでダイニングに顔を出すと、3つ年下の妹、ひなが先に起きて取り敢えず朝食の支度をしていた。
朝食といってもコーヒーメーカーをセットするのとパンをオーブントースターに入れるだけなのだが、昨晩は残業して隼人が帰ったのは22時を過ぎ、妹はまだ帰っていなかったのか部屋に灯りは点いていなかったことを思えば、朝だけは早いのに感心だ。
この4LDK築10年のマンションには、隼人と妹の二人暮し。
定年まであと数年だという父は最期の最後になって1年ほど前に名古屋に単身赴任することになり、母親も旅行気分で付いて行ってしまっていた。
兄妹が二人で住んでいるとあまり似ていないせいか、新しく越して来た住人に『あらぁ、新婚さん?いいわねぇ、若いってぇ』
なんて、間違えられることもある。
それは、なぜか先に出勤する隼人がゴミ捨て当番にされていたのも多少あったかもしれない。

「おはよう。それより、お前。昨日は何時に帰って来たんだよ。ったく、いい娘が夜遊びばかりして」
「え?終電には、ちゃあんと帰って来たわよ」

―――何が終電には、ちゃあんとだ。
どうせ、男の家に行っていたクセに。
兄の欲目かもしれないが可愛い妹にはしっかり彼氏がいるらしく、前日の夜にキッチンで奮闘していた手作りチョコレートを渡しに行ったのだろう。
泊まって来なかっただけ、秩序は保っているのかもしれない。
相手の男には会ったこともないし、どんなやつかもわからなかったが、どうか妹を泣かせるようなことだけはしないで欲しいと願う。

「ねぇ、これって、もしかして」

ひなが、リビングのローテーブルの上にあった箱の山を指差して言う。

「あぁ、それか」

「会社でもらったチョコレート。欲しかったらやるぞ」の隼人の言葉を待っていたのか、ひなは早速品定めして手に取ると包みを開けた。
あまりゆっくりしている時間もない隼人はキッチンに入ってコーヒーをマグカップに注ぐと、チーンっと焼き上がったばかりのパンにバターを塗って口に銜える。
今日は金曜日、確か飲み会だったなと考えていると、ひなが素っ頓狂な声を上げた。

「あっ、兄貴。これ…」

「どうした」とパンを銜えたまま、ひなのところへ行くと、ちょうど包みを開けたのは朝倉からもらった物だった。
―――それが、どうかしたのか?
やっぱり、毒でも…。

「やだぁ、こんな手の込んだ手作りなんて。本命だったんじゃないのぉ、これ。もうっ、言ってくれないから開けちゃったじゃない」
「あ?そんなわけないだろ」
「女にはわかるのよ。他のを見てよ、ここまでの物なんてないでしょ?」

他の物は全て既製品だったが、朝倉のそれだけはまるで別格のように思えるほどだ。

「だって、みんなに配って―――」

『あのね、それ。ちゃんと食べてよね。誰かにあげたりしたら―――』

去り際の朝倉の言葉を思い出した。
―――あいつ、何であんなことを言ったんだろう。
普通に他の人達に配るのと同じように隼人にも配っていたし、それは例年とさして変わらない…あの場面で本命と受け取るやつは、まずいないはず…。
でも、よく見ればもらったそれは昨日は気にも留めなかったが、明らかに“義理”や“世話”とは思えなかった。

「なぁんだ。兄貴にも、そういう人いたんじゃない。今度、会わせてよ」
「馬〜鹿。そんなやつ、いないっての。俺は、お前を先に嫁にやってからでいいんだよ」

そう言ったものの、今になって『中に本命とか、あるかもしれないんだぞ?ちゃんと気持ちも受け取らないと』と言っていた船箕(ふなみ)の言葉が妙にが引っ掛かる。

朝倉 紫苑。

今まで単なる同僚だと思っていた彼女の存在が、心の中を独占するようになるとは…。
俺は、思ってもいなかった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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