LAST Valentine Day
STORY5
「おはよう、兄貴」
「おはよ」
ダイニングテーブルになだれ込むように座った兄を見て、「何よぉ、朝から魂が抜けたみたいね」とひなはトースターに食パンを2枚セットすると、コーヒーメーカーから出来立てのコーヒーをマグカップに注ぐ。
妹は大げさだなと思いながら、そんなふうに見られていることに苦笑しつつ、隼人は前に置かれたカップから立ち上る湯気をジッと見つめていた。
『あたし、城野が好きだった』
突然の告白、見合いをして結婚するならどうして胸の奥に留めておいてくれなかったのだろう…。
例えば自分にそういう相手がいるとか、彼女のことを全く意識していないというのであれば話は別だったかもしれないが、あんなふうに言われて普通にしていられるほど、隼人は強くもない。
だからといって彼女のことをどう思っているのかと問われれば、はっきり言えない自分がいるのも確かだった。
彼女にしてみれば、未練を残したくないとか、恐らくそんなところなんだろうが、言われた身にもなって欲しい。
こう言い方をするのは男として逃げてるとしか思えない、最低なヤツだってわかってる…わかってるんだ。
「兄貴、冷めちゃうわよ」
「あっ、あぁ」
すっかり焼き上がったパンに塗られたバターの芳ばしい匂い。
隼人は手を伸ばすと、それを口に衡えた。
「ねぇ。そう言えば、ホワイトデーのお返しは用意したの?」
言われて隼人がカレンダーに目を向けるとすっかり忘れていたが、今週金曜日は3月14日。
毎年、紫苑(しおん)にどの子からもらったかを確認するのだが、今回それはできそうにないから友達の船箕(ふなみ)を頼るしかなさそうだ。
それより、本命チョコをもらったお返しには一体、何を渡せばいいのだろう。
その時、何らかの自分の気持ちも伝えなければならないのだろうか…。
「ひな、悪いけど。この前もらったチョコレートの数だけ、何か見繕って用意してくれないか?」
「いいけど、本命チョコの彼女の分は自分でちゃんと選んでね」
「えっ、あぁ」
ひなに助けてもらおうと思っていたが、先に釘を刺されてしまうとこれ以上は言えなくなってしまう。
何を選んでいいのか、というより無理に変える必要もないんじゃないか。
特別な想いを抱いてさえ、いなければ…。
+++
『紫苑(しおん)、あなた先方に早く返事をしないと失礼でしょ。何をそんなに迷うことがあるの?もしかして、好きな人でもいるって言うんじゃないでしょうね』
母親からの電話で見合い相手に対してまだ返事をしていないことを問い詰められたが、最後の疑いのひと言はさすがは親なのかと感心したりして。
この期に及んで未練タラタラ、想いを告げた事に後悔はしていないけれど、言ったことで吹っ切れるどころか逆効果になろうとは…。
…きっと、城野にも迷惑掛けちゃったわよね。
何とも思っていなかった、いわばただの同期にあんなことを言われれば、誰だってそう思うに決まってる。
ただ、自分のことはともかくとして、彼に余計な気を使わせるようなことになったのではないだろうか?
特に城野だったら…。
それは彼を見ていれば、少なくともずっと側で見つめていた紫苑(しおん)ならすぐにわかること。
『はい、これ。バレンタインデーのお返し』
『えっ、いいんですか?ありがとうございますぅ』
今日は3月14日、ホワイトデー。
こんな光景があちらこちらで見られたが、いつの間にかあの日から一ヶ月も月日が経っていたなんて、何だか年寄りっぽいけどあまりに早過ぎて付いていけない。
例年なら、城野がバレンタインデーにどの子にチョコレートをもらったかを紫苑(しおん)に聞いてくるのにあんなことを言ってしまったからなのか…ちょっぴり寂しい気もするけれど、別の誰かにその役が回ったのだろう。
「朝倉さん」
「あっ、船箕(ふなみ)君」
「これは、俺からのお返し」と彼に手渡されたのは小さな手提げバッグで、中には可愛らしくラッピングされた細長い箱が入っていた。
いつもどこで買うのだろう?と思うほど、彼のくれるものはおしゃれで洗練されている。
彼女の存在は定かではないが、きっといるんだろうな。
「ありがとう」
「今年が最後かもしれないから、朝倉さんだけ特別。これ、みんなには内緒な」
「えぇ、まだ決まってないのに」
「いいから、いいから、幸せに」なんて言っている船箕(ふなみ)だったが、話だけが一人歩きしていて正直困る。
これでもし、結婚しないことになったら、どうすればいいの…。
「そうそう、城野からはもらったのか?」
「えっ、まだだけど」
「何だよあいつ、一杯抱えていたけど、朝倉さんにはまだなんて。まっ、モテ男は大変だってことか」
「じゃあな」と去って行った彼の後姿を見つめながら、紫苑(しおん)はちょっぴり複雑な心境だった。
◇
一番期待していたというより、待ち望んでいた相手からのお返しはもらえないまま定時を迎え、週末だというのに紫苑(しおん)は残業する羽目に。
自業自得―――。
これが答えだと思えば何でもないし、何事もなく周りの子と同じように返されてしまうよりは逆に良かった。
「朝倉」
「城野…」
「仕事、切り上げられるか?」
無理に今日残ってやらなければならないほどでもないけれど、突然現れた隼人に紫苑(しおん)は戸惑いを隠せない。
「えっ、うん」
「なら、出よう」
「ちょっと待って、出ようって言われても」
「今夜しかないんだ」
「玄関で待ってるから」と言われて、紫苑(しおん)はわけがわからないまま、机上を素早く片付けるとパソコンをシャットダウンしてフロアを後にする。
エレベーターで階下に降りると先に待っていた隼人と一緒に歩き出すが…。
…だけど、どこに行くのかしら?
聞いても、『行けばわかるさ』とだけしか言わない彼に紫苑(しおん)は何も聞かずに黙って付いて行くことにする。
そして、地下鉄を乗り継いで着いた先は言わずと知れた高級ホテル。
「ここ?」
「説明するより腹も減ったことだし、取り敢えず行こう」
益々、わからないけれど、彼の言葉から食事でもするのかなと。
しかし、あまりに高級な場所だけに紫苑(しおん)は今日着て来た服装を再確認して一安心。
別に誰かと出掛ける予定もなかったが、たまたま選んだ物が運良くいつもよりエレガントだったというだけ。
「バレンタインデーのお返し。朝倉だけは特別だから」
二人の他には誰もいない乗り込んだエレベーターがグングン上がって行く数字を見つめながら隼人が言ったのだが、それはさっき船箕(ふなみ)が言ったことと同じで、つい紫苑(しおん)は思い出し笑いしてしまう。
「何だよ」
「だって、船箕(ふなみ)君も同じことを言ってたから」
「船箕(ふなみ)が?」
―――あいつ、何だって朝倉に。
細かいことをイチイチ聞きたいところだが、チーンっという音と共にエレベーターが止まり扉が開く。
そこは夜景の見えるレストランで、ホワイトデーだからなのかやけに若いカップルが多い。
事前に予約を入れていた隼人が名前を言うと、窓際のとても夜景が綺麗に見える席に案内された。
実はひなに言われて隼人は悩んだ挙句、片っ端から雰囲気のいいレストランを調べ上げて空いているところを探しまくったのだ。
少々出遅れた感があったが、何とかここだけは押さえる事ができたといういきさつがあったわけで…。
「いいの?こんな素敵なところに」
「お前、期待するとか言ってたじゃん」
「それは、言ったけど…。いいのよ?あんなの冗談だし、無理しなくても」
確かに言ったなと、それは紫苑(しおん)だって覚えていないくらいの言葉の文(あや)というかそんな軽い話だったはず。
勝手な想いを込めたチョコレートのお返しにしては…。
でも、自分にはそれすらないものと諦めていたし、カップ麺を食べたのが二人にとって最後の晩餐になるのかと思っていただけに不意打ち過ぎて嬉しささえもすぐには実感できなかった。
「急に連れて来てごめんな。かといって、前もって言うのもどうかと」
「ううん。あたしこそ、あんなこと言っちゃってごめんね。城野のこと―――」
言葉を続けようとして、ちょうどソムリエがワインリストを持って来たために中断された。
…嫌われたんじゃなかったんだ。
それに、ラストにこんな素敵な時間を作ってくれたなんて。
いっそ、このまま時が止まってしまえばいい。
アルコールが入ったせいなのか、まるでお互いの間には何事もなかったかのようにいつもの同期の会話に戻っていたが、幸せな時間というのは無常にもあっという間に過ぎ去ってしまうもの。
「ありがとう。美味しかったし、楽しかった。こんな素敵なホワイトデー、付き合ってた彼氏にだってしてもらったことなかったもん」
「あ?そうなのか?」
「うん」と頷いた後にもう一度「ありがと」と小さい声で言う紫苑(しおん)。
3月も半ばとはいってもまだまだ肌寒い日が続いていたが、今夜はわりと暖かで風もなかったし、何となく真っ直ぐ帰る気になれなくて肩を並べたまま何処へともなく歩き出す。
「なぁ、結婚」
「え?」
「本当にするのか?その大学の先輩とさ」
「どうして?」
紫苑(しおん)はその場に足を止めて、一歩前を行く隼人を見上げる。
…どうして、そんなことを聞くの?期待しちゃうじゃない。
「するなよ。そんな、好きでもないヤツとなんか」
彼は前を向いたままで表情は伺うことができなかったが、その声はいつになく低く真剣だ。
「…して、そんなこと」
消え入るような、やっとの思いで搾り出すように言うのが精一杯だった。
…できれば、あたしだってしたくない。
先輩は素敵だし、いい人だけど、あの人に比べたら。
「あのさ、俺のココ。すっげぇ、痛いんだよ。誰かさんが勝手に住み着いてて、厄介なことに日に日にどんどん大きくなってくんだ」
振り向き様に隼人は、右手を左胸をむしるようにぎゅっと押し付ける。
その想いはあまりに小さ過ぎて、ここまで大きくなるまで気付かなかった。
いや、本当はその存在を知っていたはずなのに知らないフリをしていただけなのかも。
―――もう、遅いのか?俺達。
「城野…」
「一つ、聞いてもいいか?」
「うん」
「そいつと俺のどっちが好き?この前、俺のこと『好きだった』って言ったよな」
「それは…」
…どっちかなんて、決まってる。
決まってるけど―――。
「はっきり言ってくれよ。朝倉が俺を取るなら、一発二発殴られるのを覚悟でお前を奪いに行く」
「…じょ…の…」
紫苑(しおん)はそれ以上言葉にならなくて、そのまま隼人の腕の中に飛び込んだ。
温かくて、大きくて。
ガッシリとした腕に全身が粉々に砕け散ってしまうくらいの力で抱きしめられた。
「朝倉からのチョコレート、あれが最後なんて嫌だから」
「毎年、あげてもいいの?」
「いいよ。でも、俺だけな」
想いを伝えるキスは、思いのほか優しくて…。
チョコレートのように甘かった。
「あれ?兄貴から」
『メールなんて珍しい』と、ひなが受信メールを開くと―――。
「どうしたんだ?」とそれを覗き込む彼。
「今夜は、お泊りOKよ」
「お兄さんは?」
「ん?兄貴も同じだから」
ひとまず、END
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