キッカケは雨。
5



何で、私が若社長の面倒を。
頭の中で納得いかないと思っていても、事の発端は自分にあるのは確かであって、そのために彼が窮地に立たされているのも間違いない事実なのだ。
だからといって、私が何をしてあげられるというのだろうか。
気を取り直して、鳴っている電話に出る。

「はい、秘書室ですが」
『えっと、常盤 椎名さんはいらっしゃいます?』
「常盤は私ですが」
『坂元よ。坂元 靖世(さかもと やすよ)って言ってもわからないわよね。あのバカ尚の姉よ』

バカ尚の姉?
おぉっ、お姉さん!!
名前を聞いていなかったので、一瞬言われてもわからなかったが、彼女はお嫁に行って姓が変わったのだ。
しかし、社長のことをバカ呼ばわりするなんて。

「お姉さん、どうなさったんですか?」
『どうしたもこうしたも。バカ尚がとんでもないことをしてくれたから、それにお父さんが変なこと言って椎名ちゃんまで何だか迷惑掛けてるみたいで』
「若社長は悪くないんです。全て私のせいで、謝らなければならないのはこちらの方なんです」

姉の靖世も、弟があんな行動に出てしまった本当の理由をまだ知らない。
謝って済むものではないかもしれないが、若社長が一刻も早く会社に復帰できるよう何でもいいから力を尽くさなければ。

『何だかよくわからないけど、二人の問題なら姉の私が口を挟む問題じゃないわね。あの子、部屋にこもったきりで。椎名ちゃんが来てくれると、ありがたいんだけど』
「わかりました。仕事を終えたらすぐ伺いますので」
『ごめんね、忙しいのに』

電話を切った後も彼のことが気になって、仕事が全く手につかなかった。



終業と共に急いでタクシーに飛び乗ると、若社長のマンションへ向かう椎名。
お姉さんがいてくれて本当に良かったと思ったが、自分が行って果たして彼の役に立つことができるのだろうか?

「椎名ちゃん、待ってたのよ」

「さぁ、入って。お腹空いてるでしょ?みんなで、ご飯食べましょ」こんな時でも、靖世さんは椎名のことを気遣ってくれているようだ。
申し訳ない気持ちで一杯だが、断ったり遠慮したりする方が余計に気を使わせることになるような気がしてありがたく頂戴することにする。

「靖世さん、若社長は?」
「それが、部屋から出てこないのよ。食事は強引に部屋の中に置いて来てるんだけど、ほとんど手を付けてない状態なの」

社長という立場から思慮に欠けた軽率な行動だったと言わざるを得ないが、一人の男性として人としてはどうなのか?椎名にとっては、やっぱり若社長はヒーローなのだから。

「若社長、私です。常盤です。少し、お話してもいいでしょうか」

ドア越しに問い掛けてみたが、反応はない。
今は椎名の顔さえも見たくないのだろうか?諦めにも似た溜め息を吐くと心配そうに見つめる靖世に無言で首を横に振る。

「わざわざ、来てくれたのか」

部屋のドアが開いて、少しやつれた表情の若社長が顔を出した。

「若社長」
「二人でゆっくり話しなさいよ。その間に姉さんが、腕によりを掛けた夕飯の準備をしておくから」

「ほらほら」と背中を押されて部屋の中に押し込まれた。
一日中寝ていたのを思い出して、懐かしくさえ感じられる。

「私のせいですね。あんな話をしなければ、若社長が夏目さんを殴ったりなんてしなかったのに」
「君にまで迷惑を掛けて悪かった。男として許せなかったんだ。君にあんな思いをさせたことに対して無性に腹が立った」

あの日、彼女が流した涙を忘れることなんてできなかった。
一発殴らないわけには、それでみんなに迷惑を掛けてしまったことは反省しているが、後悔はしていない。
尚はベッドの横にゆっくり腰掛けて椎名に微笑み掛けた。
一瞬で恋に堕ちるなんて、ドラマや空想の世界にしか存在しないと思っていたが、現実にあることを身を持って思い知った気がした。
そんなことを言ったら、笑われるだけだが。

「本当は嬉しかったんです。若社長が、私のためにあそこまでしてくれて」

ただ、抱きしめてくれたこと。
一人だったら、今もウダウダと尾を引いていたかもしれないのにすっかり元気になったのは彼のおかげ。

「若社長は、夢の中でも現実でも私のヒーローなんです」
「俺が?」
「はい」

きっぱり言い切る椎名が可愛くて、思わず抱きしめたくなってしまう。
こんな気持ちを抱いたのは久し振り?年を重ねると段々、恋することにも億劫になって現実やしがらみに縛られ、一途な想いを忘れていく。

「ヒーローには必ず、ヒロインが付き物だよな」
「そう言われてみれば、確かに」
「俺にとってのヒロインは君なんだが」
「は?」

尚は、椎名に自分の隣に座るようポンポンとベッドを叩く。
イマイチ場が読み込めない彼女だったが、言う通りに彼の隣に腰掛けた。

「ヒーローである俺は、悪いやつをやっつけたんだ。そういう時、ヒロインはどうする?」
「どうなんでしょう?」
「抱きしめて、優しくキスしてくれたりするんじゃないのか?」
「そうでしょうか?」

椎名のワザとらしい言い方に尚はいてもたってもいられず、彼女の腰に腕を回してぎゅっと抱きしめた。
小さな体を震わせながら必死に涙を堪え、それでも我慢できずに涙を流した彼女。
自分なら、誓っても絶対に泣かせることなんてしないのに。

「あいつなんかより、俺の方がずっといい。すぐに忘れさせてやる」
「若社長?」
「俺が守ってやるから、その代わり、いつも俺の隣で微笑んでくれるヒロインでいてくれ」

こんなふうに言われて、嬉しくない女性がいるだろうか?
自分に相応しいと思っていた、いや思い込んでいた男には二股を掛けられ、片想いで終わるどころか手の届かない憧れでしかなかった相手にヒロインになって欲しいなんて。

「私、笑っているだけでヒロインになれるのかしら…」
「それ以上の何がある?」

「やっぱり、慰めてくれるのにキスはして欲しいな」言う通りに触れるだけのキスを贈るが、尚がそれで我慢できるはずがない。
ハートに火が点いてしまった二人を誰も止めることなんて。

「椎名ちゃん、尚。ご飯できたわよ。今夜は元気つけて、特選黒毛和牛のしゃぶしゃぶよ」

勢いよく入って来た姉の靖世にバッチリ、見られてしまい…。
二人のハートは一気に凍りつく。

「あらっ?お取り込み中、ごめんさいね」

「若いっていいわねぇ。ウフフ、お父さんにも報告しなきゃね。倉持家の跡取りにも、もうすぐ会えるわ」なんと気が早いのだろう…。
あの姉のこと、数時間も経たないうちに地球の裏側まで届いているに違いない。

「どうする?」
「どうしましょう」

まぁ、いっか。
いつの間にか、外は雨。
もう、涙に濡れることはないはず。


ひとまず、おしまい。


お名前提供:坂元 靖世(Yasuyo Sakamoto)…えきすぷれす さま


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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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