「おはよう。今日も綺麗だね。ねぇ、今週末に食事でもどう?いい店聞いたんだ」
「おはようございます。ごめんなさい。週末は予定が入っていて」
「そっか。じゃ、また今度」
少し寂しげに肩を落として去って行く彼の後姿を見ながら、なんて無愛想で可愛げがないのかと自分で自分が嫌になる。
この会社の受付として派遣されてから2週間になるが、初日から声を掛けてきたのは海外事業部の宮園さん。
派遣先を聞いた時には丸の内の一等地にビルを構える有名企業に素敵な男性にも巡り会えるかもしれないと期待に胸を躍らせたが、目の前に彼が現れた時には嬉しくてどうしていいかわからなかった。
背が高く、甘いマスクに爽やかな笑顔、ああ世の中にはまだこんなに素敵な男性(ひと)が独身でいたなんて。
でも、根っからの生真面目な性格が、せっかくの機会をみすみす逃すことになろうとは。
「宮園さん、今日はなんだって?」
間髪入れずに開いてきたのは同じ派遣会社に席を置く2歳上の原口さん。
これはもう彼女の日課になりつつあったが、毎回報告するのも楽じゃない。
「いいお店を聞いたので、今週末食事でもどうかって」
「また断っちゃったの?」
「はい」
お互い懲りないなとは思っていたが、彼ほどの男性の誘いを断る理由も正直理解できなかった。
「里央ちゃん、いま彼氏いないんでしょ?不男ならまだしも、宮園さんは社内で1,2を争ういい男なんだから、一回くらい付き合ってあげればいいのに。そんなに深く考えないで」
原田さんの言うことはわかっているのだが、初めは社交辞令だと思ったし、やっぱりそれだけ人気のある男性が自分を誘う根拠もわからない。
「今更ってのもある?」
「はぁ」
ここまで断り続けておきながら突然誘いに乗ったりしたら、どういう風の吹き回しかと勘ぐられるのがオチだろう。
後は早く彼が諦めてくれさえすればいいのだけれど。
「あの様子だと諦めないわね。どっちが先に折れるか根競べってとこ?そうそう、噂では賭けてる人もいるらしいわよ」
「えっ」
こんなことが賭け事の対象になっているなんて。
どっちが勝つかそんなことはともかくとして、それからというもの彼は根気良く里央を誘い続けたが、彼女としても引っ込みがつかなくなった部分もあって、なんとか都合をつけては断るという日々の繰り返し。
ただ、彼が誘うのは一度きりであって、しつこく予定を聞いてこないのがせめてもの救いだったかもしれない。
「そう言えば、最近宮園さん来ないわね」
「忙しいのかしら?」前回来たのはいつだったかしらとカレンダーをさかのぼって見ている原田さん。
何もそこまでチェックしなくても…。
そう、彼が来なくなってもう3日になる。
それを一番寂しく思っているのは、他でもない里央なのだ。
「寂しいんでしょう」
「え?あっ、いえ。そんなことは」
言い当てられて言葉に詰り、返ってそうだと白状しているようなもの。
もう、いい加減見込みがないと勉きられてしまったのだろう。
今となっては原田さんの言葉ではないが、一度くらい素敵な人と食事に出掛けても撥は当たらなかったかもしれないのに。
「里央ちゃんから誘いに行ってみれば?」
「そっ、そんなことっ」
「できるはずがありません」内心は恥も外聞もぬぐい捨てて、できることならいっそそうしてしまいたいが、そんなことをしたら返って彼に迷惑が掛かってしまうことになる。
忙しいのかもしれないし、今はそっとしておくのが一番いいのだ。
「後で、こっそり聞いてみるから」
「いいですっ、そんなこと」
「大丈夫だって」
原田さんはそう言うと来社したお客様の対応に仕事モードの顔に戻った。
+++
「里央ちゃん大変。宮園さん、入院してるんですって」
原田さんが血相を変えて飛んで来た。
宮園さんのことをこっそり聞いてみると言っていたが、まさか入院していたとは。
「え?入院って、どこが悪いんですか」
「それがね。命に別状はないらしいんだけど」
「命に別状はないって。事故?病気?怪我?そんなに深刻だったんですか?」
里央のいつものピンク色の健康的な頬が今は蒼白だ。
ちょっと大げさに言い過ぎちゃったかしら?
驚かせるつもりはなかったのだが、つい。
「いえいえ、いわゆる盲腸でね。手術も無事済んで経過も良好らしいから、あと2〜3日で退院できるらしいわよ」
「盲腸?」
ものすごく悪い病気にでもなったのかと今にも腰が抜けそうになっていた。
盲腸でも最近は手術をすることは少なくなっているし、大事に至らずに良かった。
ホっと胸を撫で下ろす里央。
そして、そんな彼女の手の平に一枚のメモを置く原田さん。
「入院先聞いてきたから。お見舞い行ってみたら?昨日行ったって同じ部の人が言ってたけど、里央ちゃんのこと気に掛けてたって。俺がいない間に他のヤツが狙ってないかってね」
「そんな大それたことをする男性(ひと)なんていないのにね。彼、きっと喜ぶと思うわよ?」彼女の取り乱し様を見れば、どれだけ心配したかが一目瞭然。
意地を張ってないで、できればこれを機に仲良くして欲しい。
「定時後に行ってみます。ありがとうございます」
大事そうにそれを見つめる里央。
「明日じっくり聞かせてね」
終業時間になるとすぐに会社を後にした里央、メモに書いてあった大学病院に行く前にお花屋さんに寄って花束を買う。
突然行って変に思われないだろうか?
この期に及んでまだそんなことを考えてしまうが、彼の元気な顔を見なければ帰ろうにも帰れない。
ナースセンターで名前を告げると「彼女さん?」なんて冷やかされたが、きっと彼を見舞う綺麗な女性はたくさんいるに違いない。
病室のドアは開けっ放しになっていて、覗き込むと入口のベッドでテレビを見ているご老人が目に入る。
会釈しながら名前の書いてあるプレートを辿って行くと宮園さんの名前は一番奥のベッドに掛かっていた。
カーテンが開いたままのベッドには、上半身を起こして本を読む彼の姿があった。
「宮園さん、お加減いかがですか」
「す、杉野さん」
背後から、夕食の時間ですとガラガラと食事を運ぶワゴンの音が聞こえる。
「お食事の時間にお邪魔してすみません。これお見舞いです」
買ってきた花束を渡すと照れくさそうにそれを受け取る宮園さん。
まさか、彼女が来てくれるとは思いもしなかったが、誰かに無理矢理誘われたのではないかと後ろに視線を向けたが他に入ってくる気配はない。
「ありがとう。わざわざ、来てくれなくても良かったのに。一人で来たの?」
「はい」
「とにかく座って」とパイプ椅子を差し出す宮園に里央は遠慮がちに腰掛けた。
こうして面と向かって話をするのは初めてだったが、いつも決まっていたネクタイ姿ではなく、パジャマ姿で髪も自然なままなのにいい男はやっぱりいい男だったということだろう。
しかし、正直何を話していいものか…。
「あの、勝手に来てすみません」
「とんでもない。来てくれるなんて思ってなかったから、すごく嬉しいよ」
「ありがとう」ともう一度礼を言って宮園は彼女の持ってきてくれた花束を見つめていた。
「気が付かなくて。花瓶…なんてなかったですね」
気が動転していたのもあったが、里央には花しか思いつかなかった。
しかし、盲腸ではそれほど長い入院期間でもないし、あと2〜3日で退院できるというのに花瓶まで用意している方がどうか。
「いや、そろそろ妹が来てくれる頃だから持って帰ってもらうよ。せっかくもらった綺麗な花はドライフラワーにするって、そういうの俺にはわからないから」
宮園さんには妹さんがいたのねなんて思ったりしたが、思ったよりずっと元気そうで何よりだ。
「3日間顔を見せられなかったので、どうされたのかと」
「気にしててくれたんだ」
「えっ、あ…」
いつもいつも断れ続ければ、好かれてないのだと自覚するべきだとわかっていたが、彼女の態度からは嫌われているように感じなかったから敢えてそれを口実に話すきっかけを作っていた。
しつこくすれば余計に嫌われるとわかっていたし、だからこそさり気なく誘ってダメなら潔く退散する。
根気良く粘ればいつかはという希望を捨ててはいなかったが、いかんせん盲腸になるとは。
顔を見て声を掛けるのが一日のスタートだっただけに休んで会えなかった日は本当に寂しかった。
仲の良い同僚などは彼女に知らせようかと言ってくれたが、そこまでして来てもらいたくはなかったから止めていたのに。
それでも、こうして自分のために来てくれたことを嬉しく思わないはずがない。
「2〜3日で退院されるそうですね」
「あぁ、退院したらまた今まで通り誘うつもりだけど」
「え?」
もう、これを最後に誘うのをやめるものだとばかり思っていた里央。
なのにまだ。
「聞いてもいいですか?」
「どうぞ、なんでも」
「どうして私を誘うんでしょうか。宮園さんは社内でも1,2を争うほどモテる方なのに」
受付をしているからといって決して里央は容姿端麗なわけではない。
なのにも関わらず、彼が自分にだけ声を掛ける理由がまったくもってわからない。
「そりゃあ、杉野さんが可愛いからに決まってるでしょ。俺以外の男たちは毎朝、出迎えてくれる君の笑顔にノックアウトだってのに」
新しく入った受付の子が可愛いというのは、一瞬にして社内の男たちの間に広まったのはいうまでもない。
毎朝、満員電車にもみくちゃにされても彼女の笑顔に出迎えられれば誰だって素晴らしい一日を過ごすことができたのだ。
彼女の言うように多少の自惚れがあったかもしれないが、断られてもその会話が楽しかった。
できれば、いつか隣で自分だけにその笑顔を向けてくれればどんなにいいだろう。
「そんなこと」
「そういうところが君らしいところだよね。すんなり誘いに乗るような子なら、俺もここまでしなかったと思うんだ。だから、復帰した日はには覚悟するように」
笑って話す宮園に里央はその日が早く来ることを祈らざるを得なかった。
「おはよう。杉野さん」
「おはようございます。宮園さん、もういいんですか?」
すっかり元気になった宮園さんは、いつものようにバッチリ決めたスーツ姿が一際女性たちの目を引いていた。
「おかげさまで、今まで通り元気になったよ」
「良かったですね」
まるで自分のことのように嬉しく思う里央。
「ところで急な話なんだけど、今夜空いてる?ずっとお粥ばかりで、久し振りにガッツリ美味いもんが食べたいんで付き合って欲しいんだけど」
「はい。いいですよ」
「えっ、ほんと?俺が病人だったからって同情してない?」
「してませんよ。退院されて誘われるのをず〜っと心待ちしてたんですから」
ほんのり頬を染めてはにかむように言われて、ここが会社の顔という場所でなかったら有無も言わさず抱きしめていたことだろう。
あぁ、盲腸万歳!!
「18時に駅でいい?」
小さく頷く里央の隣で聞いていた原田さんにも了解を取る宮園さん、二人のやり取りを見てあの日病室で何があったかわかったのだろう。
原田さんには次の日、根掘り葉掘り聞かれたが適当に誤魔化したのを後でツッコまれるのは覚悟しておくことにしよう。
「じゃあ、また」
爽やかにエレベーターホールに消える彼の後姿はいつになく堂々としていて大きく見えた。
夜が待ち遠しくて仕事にならないかもなんてニヤけていた里央のことを原田さんがじっと見つめていたのも気付かなかったなんて。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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