「曽根様。何か、お飲み物はいかがでしょうか」
「じゃあ、コーヒーを」
「はい、かしこまりました。すぐにお持ちいたします」と営業スマイルで答えると、上田 寿珠(うえだすず)はギャレイに戻ってコーヒーを入れる。
「ねぇ、あのお客様、セリ工Aの曽根 泰之(そね やすゆき)でしょ?さすが、寿珠。抜け目ないわね」
即座に耳打ちしたのは同僚でいっこ上の羽田 絵里子(はねだ えりこ)だったが、寿珠にはそんな言葉は耳に入っていない。
国際線のキャビンアテンダントといえば、以前より花形の職業ではなくなってしまったものの、今でも女性の憧れであることには変わりない。
そんな中でも彼女の容姿は群を抜いていて、ファッション誌にも何度か載ったことがあるくらいだ。
憧れの職業に就き、美貌を手に入れた彼女にないものなど存在しないかのように思えたのだが…。
「この後、それとなく食事に誘ってみるつもり」
「寿珠だったら、どんないい男だって断らないわよ。いいなぁ〜」
「そうかしら?」と謙遜こそしているが、当人が一番確信を持って言っていることは間違いない。
今まで誘った相手に断られたことなど、一度だってない寿珠には。
「さぁ、おしゃべりはやめ。うるさいチーフの目が光ってるわよ」
「えっ、そりゃ大変」と絵里子は急いで持ち場に着く。
寿珠はチーフの視線を無視するように再び曽根の座席へ行くと、コーヒーを置き、ついでに他愛のない会話を咲かせた。
彼は若いうちから才能を発揮して、国内リーグから多額の移籍金を手にセリエAへと進出した勝ち組み。
彼もまた、その類稀なる容姿から、サッカーのことなどテンでわからない女性もファンにつけ、華やかな女性遍歴はイタリアでもタブロイド紙を大いに賑わせていたのだ。
燃料の高騰、時代の流れもあるのか、本日のミラノ経由ローマ行き、ファーストクラスの乗客は彼を含めて3人しかいない。
ほとんど彼の専属状態と化していた寿珠には、アピールする絶好のチャンスだったと言っていいかもしれない。
「君みたいな美しい女性と食事ができるなんて、僕はなんてラッキーなんだろう。運命の出会いとしか思えないな」
「曽根様は女性を喜ばせるのが、お上手なんですね」
「信じてないね?明日の晩には、それが本当だとわかるさ」
甘い囁きも今の曽根の口から聞くと全部軽いものに聞こえるが、寿珠にはこの関係が快感なのだ。
本気じゃない恋。
どうせ、自分を心から愛してくれる男など存在しないのだから。
◇
夕刻、ローマのフィウミチーノ空港に定刻通り到着したジャパン・スカイエアー006便のキャビンアテンダント達はお客様を見送ってからミーティングを終えると宿泊先のホテルヘ向かう。
毎度のことながら、すっかり足がパンパンになってしまい、何も考えずにバスタイムをゆっくり過ごしたい。
「上田さん。お疲れのところ申し訳ないけど、ちょっと」
バスを降りてホテルのチェックインを済ませると、チーフの角田に呼び止められた。
寿珠は心の中で、“本当に申し訳ないわね”と毒づきながら、みんなが各自部屋に行く姿を一人見つめていた。
「チーフ、何でしょうか」
「まぁ、そんな怖い顔しないでそこに座って」
怖い顔と言われても…確かにかなり怪訝な顔で、寿珠はチーフの言う通りにロビーのソファーに腰掛けた。
このホテルは空港からも近く、旅行者に限らず他の航空各社も宿泊に多数利用している近代的で機能的な作りがキャビンアテンダントからの評判もいい。
そんな光景を眺めながら、寿珠は多分、今回のフライトで初めてまともに視線を向けたのは、チーフパーサーの角田 遼介(かくたりょうすけ) 32歳、独身。
身長186cmと長身で端正な顔立ちがキャビンアテンダントの間でも評判だったが、それは女性ばかりの職場にいる男性は数倍良く見えるだけと寿珠は思っていた。
仕事の上でも、彼の身のこなし、流暢な英語のどれを取っても彼の右に出るものはいないと言われている。
とはいっても、確かに顔が良いのは認めるが、なんか嫌味な感じが肌に合わないというか、要するに好きになれないタイプだし、彼だけはいくら素敵でも誘惑したくない相手。
恐らく、自分だけが居残りさせられたのは、さっきの曽根への過剰な対応だということはわかってる。
「お客様に熱心なのは、わかるが―――」
「担当のお客様と話が合っただけです。特別視したわけでもありません」
甘えるように食事に誘ったのは寿珠だったが、それは社交辞令というもので、確約してきたのは曽根の方だ。
「そうなんだが、君はいつも無理しているように思えるから」
「え?」
角田とチームを共にするようになったのは、ここ一ヶ月のことだったが、こんなふうに見られていたのは意外だ。
色目を使うなとか、職務を忘れるなとか、お小言を言われるものだとばかり思っていたが、もしかして心配してくれているのだろうか?
「そんなことはないと思いますけど」
「けど?」
角田の真剣な眼差しに、寿珠は思わず瞳を逸らしてしまう。
―――そんな、チーフが心配しなくたって、深入りなんてしないわよ。
相手だって、単なる火遊びでそんなふうに思ってるわけじゃないんだから。
「業務に関しては寸分の狂いもなく遂行しているつもりですし、チーフにご迷惑はお掛けしていませんから」
「既に掛けてるってことに気付いてないのか?」
「えっ、どこが…」
―――どこが、迷惑掛けてるって言うのよ。
業務はきちんと抜け目なくやっている、お客様の声も悪いものなんて一つもないじゃない。
キャビンアテンダントとしては少々目立ち過ぎる部分もないこともないが、寿珠は訓練生の時から教官にも優秀だと太鼓判を押された今では、後輩のお手本になるほどの実力の持ち主なのだ。
ファーストクラスで要人を任せても、彼女なら安心して見ていられる。
『天は二物を与えず』と世間では一般的に言われているが、彼女に限っては全てが完璧だということが誰もを納得させる。
そんな寿珠が人に迷惑を掛けているとは…それは、本人の気付かないところでそういうことをしているということなのだろうか。
「なぁ。どうして、そんなに自分を偽るんだよ。疲れるだろう」
「さっきの質問の答えは、聞かせていただけないんでしょうか」
―――迷惑掛けてるって、どこで誰によ。
教えてもらわなきゃ、わからないじゃない。
偽ってるとか、疲れるとか、勝手なことばっかり言って。
角田は腕を組んで、寿珠のことをジっと見つめている。
この視線は、いつも感じていたものと同じ…。
本人も知らない、心の中まで見透かしてしまうような鋭い光。
「聞きたかったら、曽根 泰之との食事の誘いは断ること」
「はぁ?どうして、そこに曽根様がっ」
―――って、何でそれを知ってるわけ?
聞こえるように会話なんかしてないわよ。
そんな寿珠を放ったまま、「今夜はゆっくり休むんだな」と言い残して、自分はさっさと部屋に行ってしまう。
―――なんなの?あれ…。
前々から、わけわかんない人だと思ったけど。
でも、別に聞きたくなかったなら、曽根様と食事をしてもいいってことよね。
せっかくの誘いを断るなんてねぇ。
『そんなことより、早く部屋に行ってお風呂に入らなきゃ』
角田の後を追うように寿珠は降りてきたエレベーターに乗り込んだ。
お名前提供:上田 寿珠(Suzu Ueda)&角田 遼介(Ryousuke Kakuta)/羽田 絵里子(Eriko Haneda)/曽根 泰之(Yasuyuki
Sone) … nana さま
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.