恋はすぐそこに
6


平穏とはいかないまでも、いつもと変わらない朝を向かえ、オフィスには笑顔と活気が満ちていた。
しかし、突然送られてきた会議開催通知のメールにららは首を傾げるばかり。

「ねぇ、これから何が始まるの?」

メンバーに入っていたこぶたちゃんに質問されて「さぁ…」と答えるしかなかったが、彼女じゃないけれど、一体、何が始まるのだろう?
グルっと会議室内を見回してみれば、他に男性が3名、その中には深森(みもり)の姿もあった。
暫くしてドアをノックする音と共に「遅くなって、すまない」と白桐課長が入って来るとホワイトボードを背にして座る。

「もう、全員集まっているかな?急に呼び出して申し訳なかったが、明善出版の吸収の件ではみなさんには心配を掛けました。そこで、うちもこのままではいけないと、ここにいるメンバーで新しいプロジェクトを発足させることにします」

―――新しいプロジェクト?
入社5年になるららも、ずっと同じようなことの繰り返しで新しいプロジェクトなど、聞くのも初めて。

「今回の一件で、如何に販売ルートを確保するかということが問題となったわけだが、かといって新規開拓というのは時間も労力も掛かる。これからは、新しいスタイルで本を売っていこうと思うんだ」
「具体的に何か、決まっているんでしょうか?」

深森の表情は真剣だ。

「携帯やパソコンでも気軽に本を読めるようにモバイル・インターネット部門をここにいるみんなで立ち上げようと考えている。まずは、世の中の動向と既に参入しているものの調査からかな」
「おもしろそうですね。正直、お堅い本を売るだけでは物足りないと思ってたんですよ」

型にはまった仕事だけでは正直物足りないと思っているのは、彼だけではないはずだ。
飲み会でも、なかなか聞けない言葉かもしれない。

「若いみんなで色々案を出しながら、どうしていくのが一番いいのか、検討しよう。どんなことでもいいんだ。思っていることを言って欲しい。君達が先頭に立って全社に向けて声を掛けてみても、いいかもしれないな」

このプロジェクトのきっかけを作ったのは、ららの何気ないひと言だった。
今まで、若い人達で真剣に仕事のことについて話し合う機会もなかったというより、作ろうとしていなかったという方が正しいだろう。
白桐自身も、長年築き上げてきたものを維持するのが精一杯で、新しいことを始めようとすら考えなかったからだ。
明善出版の件が引き金になったことは確かだが、少なからず彼女がいてくれたからこその発想、展開になったことは間違いない。

「今日は顔合わせということで、現状の業務に加えてということになるから、みんなも大変だと思うがよろしく頼む」

「深森、近いうちにこのメンバーで飲み会をセッティングしておいてくれ」という白桐の締めくくりの言葉に「オッケーで〜す」と相変わらずの深森に笑いが広がる。
白桐が思い描く未来の白桐出版に一歩近付いたような気がした。

+++

「あれ、まだ居たのかい?」

全く迷惑なことに定時後に始まった会議からようやく開放された白桐だったが、ほとんどの社員が帰宅した中でまだ残っていたららに目が留まる。

「はい。調べ物をしていたら、途中で止められなくなってしまって」

市場調査をしていたらら、深森ではないが同じことの繰り返しで少々マンネリ化していた業務も、新しいプロジェクトのメンバーに選ばれてからというもの、毎日が楽しくて仕方がなかったのだ。
ついつい、夢中になって時間も忘れてしまうほど。

「今日は、もう店じまいにしよう。僕も帰るよ」

初めから頑張り過ぎて力尽きてしまったら、元も子もない。
それに週末だし、彼女を誘う口実にもなるというのが本音。

「はい。もう少しだけ」
「ダメだ。腹減ったしさ、飯食いに行こう」
「えっ?」

「ほらほら、片付けて」と隣で急かす白桐に言われるままにパソコンをシャットダウンするらら
―――飯食いに行こうって、もしかして二人で?
周りには、これといって誘うような人も残っていない。
それなら、いっそ残業していた方が…。

「課長、あの…」
「何がいい?観月さんの好きなもの、何でもいいぞ?」
「はぁ…」

お誘いは本当に嬉しいけれど、課長と朝一緒に来るだけでも冷やかされるというのにご飯を食べに行ったりしたら…。
しかし、そんなことはお構いなしの白桐はとっととデスクの上を片付け始める。
さすが、将来の白桐出版を背負って立つ男は行動が早いということだろうか。

『観月さんの好きなもの、何でもいいぞ?』と言われても、ららの行くお店は女性好みのイタリアンとかだったが、課長は女性とどういうお店に行っていたのか?そっちの方が気になって…。

「ほら、どこにする?」
「課長のお薦めのところで」
「僕の?う〜ん、じゃあ」

せっかくのチャンスだというのに意外にもあまりしゃれた店を知らない白桐が連れて行ったのは、看板もないような一見して食事ができるところともわからないような場所。

「味は折り紙付きだけど、いのかな?こんなところで」

白桐はガラガラっと店の戸を開け、黙って頷くららの背に手を添えて中に入ると和装が良く似合う優しそうな女将さんが笑顔で迎えてくれた。
こんなところでと言っていたが、カウンター席しかない洗練された店内には静かに料理とお酒を楽しむお客さんでいっぱいだ。

「いらっしゃいませ。さぁ、こちらへどうぞ」と女将さんに案内されて、一番奥の席に並んで座る。
ららの知らない大人の世界に迷い込んでしまったようで、妙に落ち着かない。

「よく、来られるんですか?」
「月に一回くらいかな。親父とね」
「社長と?」
「女性だと思った?」

図星だっただけに、返事に詰まるららにわかりやすいなと思ってしまう白桐。
従姉妹の響子に付き合わされる程度で、彼女の場合はこういう場所よりホテルのレストランを選んでしまうが、食事に誘うような特定の女性はここ何年もいないのだから。

「お酒は大丈夫だったよね?僕はここへ来ると決まった日本酒なんだけど、観月さんはどうする?」
「同じものをいただいても、いいですか?」
「もちろん」

この場の雰囲気もあっただろうか、普段あまり日本酒を飲まないららだったが、彼との時間を一瞬でも共有したい。
メニューもない料理はお任せ、彼がいつも飲むという日本酒で乾杯。

「白桐出版と僕達の未来に」

「なんてね」と照れくさそうに言う課長、備前焼のおちょこが触れ合うと別世界に迷い込んでしまったような、そんな気分になってくる。

「美味しいですね」
「そう?良かった」

美味しいお酒、隣には素敵な男性(ひと)が…。
―――夢じゃないわよね。
そっと、ほっぺたを抓ってみたら、痛いっ!!
「どうかしたの?」と課長に覗き込まれて、慌てて誤魔化した。


To be continued...


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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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