イルミネーションに彩られたロンドンの街は、クリスマス一色。
だが、恋人たちの聖夜など、今の俺には関係ない。
「今度、コスメ・エックスのモデルになった子。日本人がモデルに選ばれたのは、初めてなんだって」
「それって、RISA(理沙)でしょ?」
「そうそう。可愛くてカッコいいから大好き」と、女子学生達がキャアキャア言いながら話していた。
若い女性に絶大な人気を誇るコスメ・エックスというアメリカの有名な化粧品ブランドの専属モデルに起用されたことはもちろん知っていたし、彼女の名前を耳にする度に思い出すのは去年のクリスマス。
あれからもう、一年経ったというのに忘れられないとは、何てダメ男なんだと自分でも思うが、こればっかりはどうにもならないのだから仕方がない。
『新しい恋でもすれば、そんな別れた彼女のことなどすぐに忘れられるさ』と友人は言うけれど、そうもいかないのが現実なのだ。
実際、別れたというよりフラれたというのが正しい解釈で、それもクリスマスに告って次の日に。
―――あぁ、思い出せば思い出すほど、余計に落ち込むぞ…。
仕事、仕事。
急いで、所属するLushezのビルに入って行った。
アンドリュー・ウィリアムズはイギリス国内だけではなく、最近ではフランスやイタリアでも活躍する新進気鋭のフォトグラファーであるが、自身がモデルになってもおかしくないほどの容姿だった。
しかし、これが災いしているのか、職業柄遊び人に受け取られてしまう。
そんな時にやっと本気の恋に出会ったと思ったのもつかの間、あっけなく自分の腕から羽ばたいてしまった彼女。
あの日以来、顔を合わせていないのが救いだっただろう。
もし、万が一にでも会うようなことがあれば、また恋愛ごっこに騙されてしまうかもしれないから。
「アンドリュー、ビッグニュースだぞ。専属の仕事が入ったんだ」
アンドリューが部屋に入るなり、興奮気味に駆け寄って来たのはLushezのマネージャーであるロイ・ガードナー。
彼は3つ年上だったが、アンドリューの良き相談相手であり、才能をいち早く見抜いた先見の目を持っている優秀なマネージャーだった。
「喜べ、コスメ・エックスの専属だぞ」
「えっ、コスメ・エックスって…まさか…」
―――まさか、モデルは理沙じゃないだろうな。
嫌な予感が体中を電流のように駆け巡ったが、ロイの口から一体、何という名前が出てくるのか…。
俺はこの後、一気に地獄に落ちるかもしれない。
「理沙だよ。彼女は最近、パリコレでも高い評価を得て人気急上昇だからな。それにコスメ・エックスは、喉から手が出るほどうちが欲しかった契約だ。お前がこの仕事を成功させたら、世界進出も夢じゃない」
「何てこった」
―――やっぱり、理沙だと?
仕事としてはかなり、いや相当美味しい話ではあるが、選りに選って何で彼女なんだ。
ただでさえ、この時期になると一人取り残された気持ちになるというのに…。
どうして…。
「どうした。嬉しくないのか?」
「ちっとも、嬉しくないね」
はぁ~っと大きな溜め息を吐くと、アンドリューはソファーに大事なカメラバッグを置いてどっかと深く腰掛けた。
相手が理沙となれば、どんなにプロ意識を持っても、まともにファインダーなんて覗けやしない。
だからといって断れば、フォトグラファーとしての生命も絶たれてしまうだろう。
まさしく、八方塞がりとはこのことか。
「お前にしては珍しい。こんな大きな仕事が嬉しくないなんてな」
前のスツールに腰掛けて、ジっとアンドリューを見つめるロイ。
どんな仕事だって精力的にこなす彼が、こんな反応を見せるのはなぜなのか?
…そう言えば、前にフラれたと言ってたのは日本人のモデルだったような。
もしかして、その相手が理沙なのか?
「理沙と何か、フラれたってのは彼女なのか?」
「そういう記憶だけは、いいんだな」
「そりゃあ、覚えてるさ。お前を腑抜けにした女性なんて、絶対忘れないだろ」
「忘れてくれよ」とアンドリューは椅子から重い腰を起こすとサーバーからコーヒーをカップに注ぐ。
ロイは無類の紅茶好きだが、コーヒー好きなアンドリューの意向で置いてもらったこれは案外他の者にも好評だ。
「断るつもりじゃないだろうな」
「できるわけないだろう?やっと、ここまで来たっていうのに」
「そう言ってくれると思ったけどさ。でも、いい機会なんじゃないのか?未だにウジウジしてるお前が、吹っ切るためにはさ」
ウジウジとは、男として何とも情けない表現だったが、これを乗り越えたら先に進めるのだろうか?
心の奥底で止まったままの時計は、再び動き出すことができるのだろうか?
「だと、いいんだけど…」
「なら、OKだって返事をしておくよ」
「あぁ」
恐らく、アンドリューがうんと言わなくても、ロイはOKの返事をするに違いない。
いや、確認するまでもなく、既にそう返事をしているのかもしれないが。
―――それにしても、彼女は俺が担当することを知っているのだろうか?
そうでなかったとしても、理沙は俺よりずっと大人だから、こんなことくらいでうろたえたりしないはず。
だからこそ、負けを認めないためにも、なんとしても成功させなければならないのだ。
+++
数日して、雑誌と店舗で使う広告の撮影が行われることになった。
強気な思いとは裏腹に緊張のあまり、昨晩はよく眠れなかったアンドリュー。
彼女は今の自分を見て、どう思うのだろう…。
「ウィリアムズさんですね。彼女が、モデルの理沙です。よろしくお願いします」と理沙を紹介したのは、日本人のコーディネーターだ。
「はじめまして、理沙です」
―――はじめまして、か…。
アンドリューを見ても、全く動じることなく、しっかり目を合わせて話をするのは、彼女のいつもの姿だったが、一年の間に随分と大人の女性に変化したような気がした。
益々、手の届かない存在に。
「元気そうで何よりだ、理沙。君の活躍は知っていたし、こうして撮れることになって光栄だよ」
―――君にとって俺は忘れたい存在なのかもしれないが、そうはいかないさ。
そっと右手を出すと、躊躇わずに重ねる彼女の温もりに触れて眩暈がしそうだった。
そのまま、引き寄せて抱きしめてしまいたい衝動に駆られながらも、悟られないようカッコつけて笑みを絶やさない。
「どこかでお会いしたのなら、ごめんなさい。覚えていなくて」
―――本気で、そんなことを言っているのか?
スキャンダルは、モデルにとって致命傷になりかねないからな。
しかし、どこまでも白を切るつもりなら、こっちも臨むところだ。
「いいんだ。気にしないで」
「これから、ゆっくり時間を掛けて思い出してもらうから」とアンドリューはアシスタントの若者から愛用のカメラを受け取ると鋭い視線でファインダーを覗き込む。
レンズの向こうに写る彼女の心を捉えるように。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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