Last Christmas
2


理沙が単身ロンドンに来たのは、一年半ほど前のこと。
幼稚園から通う、いわゆるお嬢様学校と言われる女子大に入学したばかりだったが、すぐに休学届けを出して日本を飛び出したのは、世界を見たかったという単なる好奇心でしかない。
そこで、なぜイギリスを選んだのかと聞かれれば、本場の英語を勉強したかったというのは後から付けた口実で、アメリカよりも好みだったというだけの話。
両親を説得するのも、イギリスの方が効果的だったし。
モデルになる気も毛頭なくて、日本ではちょこちょとこバイト程度に雑誌に出ていたものの、将来の仕事としては全く考えてもいなかった。
それが変わったのは、あの出会いがあったから。

カシャ―――
   カシャ―――

日常会話はある程度できたが、取り敢えず語学学校に通っていた理沙には、まだ心を許せるような友達は少なく、休みの日は専らセントジェームズパークの芝で本を読んで過ごすことが多かった。
そんな時に突然カメラを向ける若い男性が、そう言って近付いて来たのだが…。

「ちょっと、撮らせてもらってもいいかな」
「もう、撮ってるクセに」

呟くように言うと、こういう人には関わらないが一番とばかりに理沙は早々にその場を立ち去ることにする。
…ナンパ?
イギリスのナンパ事情までは調べていなかったが、こんなふうにカメラを向けられて声を掛けられるのは初めてだし、彼が妙にいい男だけに余計信用ならない。
親の反対を押し切ってきたのだから、もしものことがあったら大変。

「待ってよ。君、日本人だよね。もしかして、モデルとかやったりしてる?」
「どうして?」
「いや、すごい素材だからさ」
「そうやって、女の人に声を掛けてるの?」

スタスタと早歩きで行ってしまう理沙の後を彼が執拗に追って来る。
…もう、何なのよっ。
英国紳士なんて、全然嘘っぱちじゃない。
黒髪の典型的な東洋人が珍しかったのか、それとも何も知らない、甘い言葉に引っ掛かりそうなカモだった?

「そんなわけないだろう?俺さ、アンドリュー・ウィリアムズって言うんだ。決して、怪しいものじゃない」
「十分、怪しいわよ」
「だからさ、最後までちゃんと聞いて欲しいな。Lushezっていう事務所に所属してる、これでもれっきとしたフォトグラファーなんだよ」
「えっ、Lushez?」

ピタっとその場に足を止めた理沙でも、アンドリュー・ウィリアムズは聞いたことがなかったが、Lushezは知っている。
モデルの端くれでもある彼女が、たまたま見たロンドンコレクションの写真を撮っていたのが名前はわからないがこの事務所の所属だったから。
だからといって、この男が本当にLushezの人間だとは限らない。

「これでも信じて―――くれないか」

ウィリアムズは慌ててポケットから名刺を出して理沙に渡すが、そんなものをもらっても彼の素性を証明するものには程遠い。

「今、撮った写真はどうするつもり?」
「俺はいいものを撮るだけで、別にどうこうするつもりはないよ。君さえよければ現像して渡すし、知り合いのモデル事務所に紹介してもいい」

無意識のうちに座って本を読んでいた彼女に引き寄せられるようにしてカメラを向けていたが、目の前にいる何気ないジーンズ姿の彼女は、それはそれは魅力的で、ウィリアムズの心を捉えて離さない。

「益々、怪しい」

どうやっても、彼女には信じてもらえないらしいが、こういう時に証明できるものといえば…。

「そうだ!!ちょっと来て」
「えっ、何?!」

いきなり腕を掴まれて、どこかへ連れて行くつもり…。
…は?
ということは、変なところに連れて行かれちゃう。
理沙の身長は174cmと日本女性の中ではかなり大きい方、ヒールを履けばヘタな男性よりも高くなってしまう。
なのに彼は見上げるほどだから、もしかしたら190cmは超えているのかもしれない。
そんな男に捕まれば、ひとたまりもないだろう。

「やだっ、離してよっ。大声、出すわよ!!」
「そりゃ、困る。我慢して、そこの本屋までだから」
「本屋?」

なぜ?本屋と理沙は首を傾げつつ、彼は言葉通りに車を避けながら道路を渡ると、向こう側にあった大きな本屋へと入って行く。
さすがにこんなところに変な集団のアジトがあるとは思えないが、外国だから何が起こるかわからない。
迷わず、ファッション誌の並ぶコーナーに入って行くと、本棚にある本の背に順番に指をあてながら、彼が手に取ったお目当ての写真集。

「これだ」

彼は後を開くとカバーの折り目に載っていた写真を、まるで水戸黄門の印籠のように『どうだ』と言わんばかりに理沙に向かって見せる。

「ほら、ここ。アンドリュー・ウィリアムズって書いてある。写真は、俺と同じ顔だろう?」

指さされた写真と本人を交互に見比べてみれば、確かに同じ顔である。
どちらかと言えば、本物の方がいい男だと理沙は思ったが、それはここでは言わないでおこう。

「ほんとだ」
「やっと、信じてもらえたね」

『アンドリュー・ウィリアムズ 1984年ロンドン生まれ』
…ってことは、23歳かぁ。
私より、4歳年上なのね。
そんなことはどうでもいい情報であるが、これで自分は怪しい人物に連れて行かれなくて済むことになる。

「じゃあ、私はこれで」
「えっ、何で?まだ、君の名前も聞いていないのに」
「名乗るほどのことでも」
「せっかく知り合えたのに、ここでさよならしてもいいの?」

両手を理沙の肩に置き、その真剣な彼の眼差しに心臓がドキンっと高鳴った。
一見、遊び人風に見えたけど、実は真面目な好青年?!

「笑うとこ?」

ここはどこだったかと言えば、本屋だったこともすっかり忘れていたが、クスクスと笑い出す理沙に少々不満顔のウィリアムズ。

「だってぇ。あなたって、おもしろい」
「みんなは、アンディって呼ぶよ」
「アンディ?」

「そう」と白い歯を見せて微笑む彼は茶目っ気たっぷりで、とっても表情豊か。

「で、君の名前は?」
「理沙」
「理沙。じゃあ、これから美味しい紅茶でもどうかな?」

「やっぱり、ナンパじゃない」と言いながらも、腰に回された腕が嫌じゃなかった。
それが、心地いいとさえ感じてしまうなんて…。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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