Last Christmas
3


語学学校の授業を終えた後、理沙のお気に入りであるセントジェームズパークで待ち合わせていたアンディは、彼女を見るなり愛用のカメラを向ける。

「ねぇ、仕事しなくてもいいの?」
「してるよ。ちゃんと」

出会った時と同じ光景ではあったが、ブツブツ言いながらも今はそれをすんなり受け入れているだけ進歩したと言っていいかもしれない。
長い足を投げ出し、芝の上で本を読んでいる彼女は本当に綺麗で心奪われてしまうから。

「嘘。こんな時間にこんなところで、さっきから私のことばかり撮ってるクセに」
「もったいないからね」

切れ長で深いブラウンの瞳は簡単には人を寄せ付けない強さを感じさせるが、アンディにはその奥にあるほんの些細なことで、もろく崩れてしまう弱さも垣間見て取れた。
―――まだ、警戒してるよな。俺のこと。
異国の地で出会った、変な男とでも思われているに違いない。
自分でも正直、ここまでハマルとは思わなかったのだから仕方がないのだ。
素材の良さはもちろんのこと、この微妙な距離をなんとしてでも縮めたくて、必死になっているなんて…。

「そんなに撮る方が、フィルムのムダだと思うんだけど」
「もったいないといえば、この写真をモデル事務所の知り合いに見せてもいいかな?」
「え?」

パタッと本を閉じてアンディを見つめる理沙。
変な意味でなく、職業柄、彼の女性を見る目が確かだということはわかっている。
しかし、ロンドンまで来てモデルをやる気にはなれなかったのだ。

「私は、モデルになるためにロンドンに来たわけじゃないの」
「それはわかってるけど」
「だいたい、日本人なんて相手にしないと思うけど」
「そんなことないって。俺の目を信じてよ」

真剣な眼差しで訴えられても、気軽に『うん、わかった』なんて言えるはずがない。
「一度、見せるだけ見せてみよう?相手の反応次第で考えてみてもいいんじゃないかな」と返されると、どうしても断れなくなってしまうのは、彼の人徳なのだろうか。

「じゃあ。お腹空いちゃったから、美味しいフィッシュ&チップスを食べさせてくれたらね」
「オッケー」

「御安いご用さ。ロンドンで一番美味しい店に連れて行ってあげるよ」とアンディは、理沙の手を取って立ち上がらせる。
彼のこの優しさは、一体どこからくるのだろう。
モデルを発掘したいだけなのか、それとも…。
しかし、今は色気より食い気の理沙には、それ以上考える余裕は生まれなかった。



「ここ?」
「そう。すっごく美味いんだ」

アンディがロンドンで一番美味しいと言っていた評判の店は、街中にある一軒のパブ。
店の名前は、Emmyというらしい。
「さぁ、どうぞ」と彼に背を軽く押されて入った店内はお客さんで一杯だったが、カウンターの中にいる綺麗な女性は日本人のように見える。

「ハーイ、絵未」

「元気だった?」と親しそうに挨拶を交わすアンディは、少し年上に見えるこの女性と知り合いらしい。
もしかしたら、恋人だったりして?

「アンディも元気そうね」

「あら、綺麗な女性ね。彼女?」と彼にそっと耳打ちする絵未に、「まだだよ」と意味深な返答をするアンディ。

「理沙だよ。絵未と同じ、日本人なんだ」
「まぁ、ようこそいらっしゃいました」
「はじめまして。日本人に会えて嬉しいです」

カウンターに並んで腰掛けると、早速お目当てのフィッシュ&チップスを注文する。
この店は日本人の絵未さんという女性が経営するパブだったが、イギリス人の舌をもうならせるほど、フィッシュ&チップスが美味しいらしい。
何でも、そっくりなお店が日本にもあるというのだから、帰国した際は是非足を向けたいものだ。

「パブって、初めて」

何となく、お酒を飲む場所というイメージがあったからか、理沙はパブに入ることはしなかった。
ビールを飲みながら、陽気におしゃべりしている人達を見ると羨ましい。

「そういえば、理沙って何歳?」
「私?19歳だけど」
「なら、大丈夫」

「何が大丈夫なの?」と理沙の言葉など聞いているのかいないのか、アンディはエールを2つ絵未さんに頼んでいた。

「ダメよ。ビールなんて」
「イギリスでは、16歳でビールが飲めるんだよ」
「えっ、そうなの?」

「全然、知らなかった」と驚きの表情だ。
二十歳になったらと、その日まで待ち遠しく思っていた理沙だったが、イギリスではあっさりそれをクリアしていたなんて…。
なんだかつまらないと思う反面、一足早く大人の仲間入りをしたのだと思うと急にワクワクした気持ちになってくる。
絵未さんに「はい、どうぞ」と前に置かれたエールは、あまり見たことのない綺麗な琥珀色をしていた。

「乾杯」

カチンとグラスを重ねて、理沙は恐る恐るそれを口に含む。
滑らかな泡の後、ほんの少しの苦さが口の中に広がって、思ったより甘みもあってすっきり飲みやすい。

「どう?初めてのビールの味は」
「大人の味がする」
「そっか」

熱々で出て来たお目当てのフィッシュ&チップスは素朴ながらも本当に美味しくて、イギリスの食事はちょっと…と思っていた理沙も大絶賛の味。
「日本にあるJUNEにだって、この味は出せないわよ?」と絵未さんが自信満々に言っていたのが印象的だった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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