Last Christmas
4


…何だろう?何も聞かないで、来て欲しいなんて。
アンディに突然、呼び出された理沙は約束の地下鉄の入口に来ていたが、これから起こることが予想できなかった。
気まぐれな彼といつもこれと言った理由があって会っていたわけではないが、敢えてこういう言い方をされたことが妙に引っ掛かったのだ。

「ごめん、遅くなって。待った?」

そんなことを考えていた矢先現れた彼に理沙は、「今、ちょうど着いたところだから」と答えると「良かった」と微笑むその表情は普段と変わらない。
『これから、どこに行くの?』そう聞きたいの抑えながら、彼に従って付いて行くと、入って行くのはどこでも見かけるような普通の建物。
…もしかして、相手に気を許しておいて実は…変なところに売ろうっていうんじゃないでしょうね。
悪い人じゃないと思っていたのに。
写真も撮られてるし、急に不安になってくる。

「私、やっぱり帰る」
「えっ?ここまで来て帰るって」

―――帰るって言われても、ここまで来てそれはないだろう。
ロイに随分とせっつかれていたのだが、あまりのうるささにようやっと重い腰を上げたというのに…。

「だって、アンディ。私を騙してたんでしょ?」
「騙してたって…ごめん、そういうつもりじゃ」

…やっぱり、私のこと騙してたんだ。
信じてたのに。

「じゃあ、あんなふうに声を掛けて来たのも、初めからこれが目的で」
「いや、それは違うよ。俺は理沙の気持ちを尊重したいと今でも思ってる。でも、俺が撮った写真を事務所のマネージャーが見て、ロイっていうんだけどさ。俺に内緒で勝手にモデル事務所の人間に見せたんだよ。そうしたら、即連れて来いってせがまれて」

アンディも彼女の素質についての見解はロイと同じだったが、最後は本人が決めることだと思っていたし、根気よく説得するつもりではいたが…。

「モデル事務所?私、知らない国に売られちゃうんじゃ」
「は?」

甘い言葉で近付いて、気を許したところを外国に売り飛ばすとでも思ったのだろうか?
それは飛躍し過ぎと思ったが、十代の女の子が慣れない外国で一人暮らしをするとなれば、そういうことを考えたとしても不思議ではなかった。
曖昧な言い方でなく、きちんと話をしてから連れて来れば良かったと思ったが、彼女が聞き入れてくれないかもしれないとなると、せっかくのチャンスを潰すことになり兼ねない。

「あはは、そんなわけ。でも、俺って信用ないんだ」

―――意地悪な言い方だっただろうか?
こうすることで、少しは有利に事を運べるかもしれないなんて…。
とはいっても、怪しい人物として彼女にインプットされかけたし、初めから信用なかったんだよな…。

「そういうわけじゃないんだけど…」
「どうする?本当に嫌なら、ここで帰ってもいいよ。無理にとは言わないし。ただ、ここはイギリスでも超一流のモデル事務所だから。認められた君は、すごいってことを忘れないで欲しい」

少しの間、何かを考えていた理沙だったが心を決めたのだろうか、「取り敢えず、話だけでも聞いてみる」と言ってくれたことで、その場で引き返すことは免れた。

やはり、アンディの予想通り、モデル事務所の反応はかなりのもので、これだけの逸材が今まで誰の手にも渡っていなかった幸運に感謝したいくらいだった。
ただし、欲を言えば年齢的にもう少し早かったらというのが本音だったが、彼女の場合は既にモデルを経験していたことで、それは簡単に挽回できるだろう。
「こんなに騒がれるのが不思議」と彼女は驚いていたが、日本でそれほど目を向けられることがなかったのは、マーケットの違いということだったのかもしれない。
それからは、話を聞くだけのつもりだった彼女も周りの勢いに押されたということもあったのか、もしかしたら本人にも気付かない思いがどこかにあったのだろうか、次第に気持ちが傾いていき、本格的にモデルという仕事を始めてみることで合意した。

+++

すっかり冬の装いを纏ったセントジェームズパークを一人歩くその場所は、アンディにとって思い出の場所になりつつあった。
いつも、芝の上で本を読んでいた彼女。
カメラを向けると膨れっ面で、でも目には微笑みを浮かべながら、『私のことばかり撮って』と返す彼女はそこにはもういない。
日中は語学学校に通い、空いた時間はモデルとして磨く時間に費やされ、アンディの入る余地はどこにもなかった。
彼女に近付いたのはプロとしての目から見て素晴らしいからと思ったのは確かだが、それはほんの一瞬のこと。
逢って他愛のない話をしているだけで、いつもの日常が別のものに変わっていた。
初めて飲んだビールに酔った彼女に思わず唇を寄せた時の、ほんのりピンク色に染めた頬。
人を好きになるのに理由なんかないというのは本当なんだろう。

今頃、何してるのかな?
ウォーキングが苦手と言っていたから、厳しい言葉を浴びながらも頑張っているのだろうか。
それとも、ポーズを取る練習かも。
こっそり、撮った写真を部屋に飾っていることを知ったら、何て言うだろう―――。

彼女のことばかり考えていたあの頃、今も写真を捨てられないでいる俺を軽蔑の眼差しで見つめるかもしれない。
―――俺は、そういう男だったんだな。
自分でもびっくりするくらい、未練タラタラ、いつまでも失恋した彼女のことが尾を引いている。
こんなことじゃ、新しい恋も始まらないというのに…。

つい癖になっていたカメラを向けて、何気なくシャッターを切った。

ヤバイ、とうとう幻覚まで見るようになったか…。

まるで、そこに彼女がいるかのような錯覚。

「いや、違う」

「理沙」と思わず、彼女の名前を口にすると駆け寄ったのは、やっぱり夢で消えてしまうのではないかと思ったから。

「アンディ」

懐かしい響き。
覚えていないと言っていたのに、やっぱりあれは演技だったんだと今は信じたい。
すっかり洗練されて、それでも初めて見た時の衝撃は変わらない。

カシャ―――
   カシャ―――

無意識にカメラを向けるのは、どうしようもない一種の職業病なのだろう。
その瞬間、その一瞬を撮っておきたい。
目の前の彼女は、今しか存在しないのだから。

「また、撮ってる」
「仕事だからね。それも今度は専属の」

「今は違うでしょ?」と理沙はアンディの手にあったカメラを取り上げると、彼にカメラを向ける。
誰にも触らせたことのない、大事なカメラを…。

「こらっ、俺の大事なカメラを」
「いいから、ポーズ取ってみて?」

レンズを向けられて、撮る方の側から撮られる方の側に回るのは、何とも居心地の悪いものだ。
だいたい、自分がポーズなんか取ったら気持ち悪いだろう?
アンディは、ワザと背を向けて撮らせないようにする。

「俺は、モデルじゃないんだから」
「だって、アンディの写真、一枚もないんだもん」

―――えっ、欲しいのか?
そんなことを言われたら、期待するだろう。
また、玉砕されてしまうかもしれないのに…。
それでも、聞き返さずにはいられない。

「俺の写真が欲しいの?」
「欲しい」

「ねぇ、教えて?私、アンディのこと撮りたいの」とカメラを構える理沙を包み込むように抱きしめた。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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