「昨夜、柳主任がすっごい綺麗な女の人と一緒に歩いているところを見たんだって」
「どうも、前に見たって噂の女性(ひと)とは違うみたい」同僚の沢木 晴架(さわき はるか)はどこで聞きつけてきたのか給湯室に入るなり、顔を寄せてこの時を待ってましたとばかりに興奮気味に話す。
「へぇ、また?あのインテリメガネったら、顔に似合わずプレイボーイなのね」
こんな話は一度や二度ではないだけに、めぐるは半ば呆れ顔で棚から自分のインスタントコーヒーのビンとカップを取り出すとコーヒーを入れる。
柳というのは晴架とめぐるの職場にいる確か年齢は30前後の主任である。
端整な顔立ちで黒いフレームのメガネが印象的な、今、最も課長の椅子に近い誰が見てもデキル男というやつだ。
常にきちんとクリーニングに出されたシャツとスーツに身を包み、ネクタイの趣味もいい。
背も180cm以上あり、もちろんメタボなんて言葉は彼には無関係、髪も定期的にカットしているのだろう、要するに全くといっていいほど隙のない完璧な人である。
そんな彼がモテないはずがないわけで、女性をとっかえひっかえするのもわかる気がするが。
「でもさ、柳主任って私生活が全然読めないんだけど、実際はどうなのかな」
完璧なだけに家の中ももちろんきちんと整理整頓掃除されているに違いないし、彼女とはいつもおしゃれなレストランで食事をして、その後は…。
かぁっ、シルクのパジャマとか着てそう。
「なんか、見えないところの挨とか指でチェックしてそう」
「細かい男って絶対嫌」めぐるは流し台に指を滑らせ、その様子を大げさに再現してみせる。
「だけど、ちょっと付き合ってみたくない?ああいう完璧な男性(ひと)と」
晴架は前々から柳主任のことを気に入っていたようだからそんなふうに思うのかもしれないが、ズボラなめぐるはまっぴら御免だ。
やることなすこと全てにケチをつけられそうな気がして息が詰る。
「あたしは勘弁。掃除も嫌いだし、休みの日なんて一日中スエット姿でグーたらしてるし、料理なんかなんちゃってだし」
「だって、あっちの方とかすごいテク持ってそうじゃない」
「あっちって…」
どっちよ…一体、何を考えているんだか。
そりゃあ、ってあたしまで何をっ。
「ちょっとばかり顔が良くて仕事がデキるからって彼女をとっかえひっかえしてるような不真面目男。だいたい、あのインテリメガネ主任があたしたちみたいのに手を出すわけないでしょ?あっ、でも魔が差してなんてこともあったりぃ?」
「誰が魔が差すんだ」
「げっ」
主任がどうしてここに…。
って、今の話聞かれた!?
「あたし、先に戻ってるね」
うわぁっ、ちょっと待ってよ!! 晴架ズルイ。
あたし一人を置き去りにするなんて…。
この状況をどう切り抜ければいいのよぉ。
「主任、何か」
こうなったら開き直るしかない。
「何かじゃない。僕は3時までに君が作った設計書のチェックを済ませたいと言ったはずだよね?なのにちっとも持ってこないと思ったら、こんなところで」
「えっ、もうそんな時間ですか?」
時計を持っていなかったから正確な何時かわからなかったけど、さっき見た時は余裕があったはず。
そんなに長い時間ここにいるわけでもないし。
だいいち、私はあなたの部下じゃないんですぅ。
手伝って欲しいと課長に言われたから、仕方なくやってあげてるんですからね。
「えっ、じゃないだろう?まったく」
「すみません…すぐ出します」
出せばいいんでしょ?出せば。
ほとんど出来てるんだから。
「頼むよ。あっ、ついでに言っとくけど、僕はそんな完璧な男じゃないから。以上」
出て行く主任に向かって、『やっぱり、聞いてたんじゃない』と声にならない声を投げつける。
な〜にが、以上よ。
完璧な男じゃないとか言って十分細かいわよ、人のこと探し回って小姑じゃないんだから。
また、ブツブツ言われるのも悔しいから早く戻らなきゃ。
だけど、柳主任って本当はどういう人なんだろう?
「林さん、柳君もちょっと」
課長に呼ばれたが、柳主任と一緒なのがミョーな胸騒ぎがするのは気のせいだろうか。
「正式には来月からということになるんだが、林さんにはこれから柳君の下でやってもらうということで、ひとつよろしく頼むよ」
えっ、柳主任の下ですか…。
手伝ってくれと言われた時点で嫌〜な予感はしていたけれど、まさか正式に異動させられるとは。
「席も離れているより隣の方が何かとやりやすいだろう。田山君と交換でいいんじゃないかな」
えっ、席もですか…。
「わかりました。後で時間を作ってやります」
柳主任が答えると「頼んだよ」と課長。
あぁ、なんということに。
よりによって、柳主任の下になるなんて…。
「どうしたのよ。柳主任と課長に呼ばれてたけど」
目ざとい晴架が席に戻っためぐるの元へやって来た。
さっきは、とっとと逃げちゃったクセに調子いいんだから。
「今度から柳主任の下だって」
「うっそ、ほんと?やったじゃない」
「どこが、やったなのよ」
ちっとも嬉しくないわよ。
ほんのちょっと手伝っただけでも、ここはもっとこうしろああしろって、チェックが厳しいのなんの。
確かに言う通りなんだけど、今までそれでやっていても何も問題なかったことをイチイチ。
先が思いやられるわ。
「佐藤主任より、全然いいと思うわよ?」
「まぁ、そうだけど」
佐藤主任というのはめぐるが入社した時から面倒をみてくれている上司だったが、お世辞にもデキる人とは言えず。
どちらかといえば、柳主任の下に付いた方が自身のレベルアップにも繋がるのは間違いないのだが。
「林さん、一時間後に席替えするから自分の机の上を整理しておくように」
柳主任がめぐるの方へ歩いて来ながら言う。
「えっ、もうですか?」
一時間後って、早過ぎるでしょっ。
たった今聞かされたばかりなのに、それに正式には来月からって課長も言ったじゃない。
「席が離れていると何かとやりにくいんでね」
「はぁ」
はいはい、わかりましたよ。
やればいいんでしょ、やれば。
「ついでにこれ何とかした方がいいわよ?この書類の山持ってったら何か言われると思う」
「何かじゃなくてあの小姑は絶対、言うに決まってるわよ。だって、見てよあの主任の机の綺麗なこと」
既に彼は自分の席に戻っていたが、めぐるは中腰で顎を突き出すようにして彼の席に目を向ける。
「デキル男の机の上は違うのよ。めぐるも少しは見習わなきゃ」
とても女が座っている机とは思えない“片付けられない女”とみんなに陰で呼ばれているのは知っているが、これでも何がどこにあるか本人はちゃんとわかっているのだ。
「どーせ、片付けられない女で悪かったわね」
ほんと可愛い顔して、と晴架は思わずにはいられない。
本人にはまったくもって自覚がないようだが、ここにいる、いやめぐるを一目見た男性なら誰もが彼女から目が離せなくなるような存在だということに気付いていないのだ。
まぁ、このギャップがまた彼女らしいところでもあるのだが。
「晴架、手伝って」
「あたしは忙しいの。自分のことは自分でやりなさい」
「え〜手伝ってよぉ。こんなのとてもじゃないけど、あと一時間でなんか無理!!不可能だもん」
「日頃からきちんと整理しないからいけないんでしょ?」
「だってぇ」
「わかったわよ。その代り、今度、柳主任との飲み会設定しなさいよ」
「え…なんで、あたしが」
「当たり前でしょ。そのくらいしてもらわなきゃ、こんな汚い机を誰が」
「汚い言う?わかったわよ。でも、本人がOKしたらの話だからね」
「随分、綺麗になったじゃないか」
晴架のおかげで見違えるように綺麗になっためぐるの机を見て、柳主任は感嘆の声を上げた。
あぁ、この人もあたしが片付けられない女だって思ってた口ね。
だからって、そんな大げさに言わなくてもいいじゃない。
「やればできるって言いたいんですか」
こんな時はなんて返すべきなのか、ありがとうございますも変だし、頑張りましたって言うのもおかしいし。
「あのひどいまま隣に来られたら、どうしようとは思ったよ」
え…そういうこと真顔で、それも本人に面と向かって言う?
別にこの人になんと思われようと知ったこっちゃないけど、あたしってなんか評価低くない!?
あぁ…眠い…どうして、こんなに早起きしなきゃならないの…。
いつもなら遅刻ギリギリに出社するめぐるだったが、珍しく始業30分前に会社に着いていた。
それもこれも、あの男のせいだ。
あのメガネ主任さえ上司になりさえしなければ、こんな目に遭わずに済んだのに。
どーせ、ダメ人間のレッテルを貼られているのだから、今更良く見せることもないんだけど、やっぱり悔しいじゃない。
初めくらいはいいところを見せておかなきゃ。
会う人とおはようの挨拶を交わす度に腕時計に目を向けられるのは腑に落ちなかったが、いつも走っているめぐるの姿が見られているだけに仕方がない。
あくびを抑えながら席に行くと、既に来ていた柳主任は仕事を始めていた。
相変わらず、朝っぱらから爽やかだこと。
「おはようございます」
「どうしたんだ?こんな時間に」
どうしたんだはないでしょう?
人を化け物みたいに。
「いや、おはよう」
さすがに悪いと思ったのか、柳主任はそれ以上何も言わなかった。
この時間に来ることなど皆無に等しいめぐるだったが、主任の他には部長や他数人しかまだ出社していない。
静か過ぎて余計に睡魔に襲われそうだ。
それに周りはほとんど来ていないし、隣同士で二人だけじゃ妙に気まずいし。
あっ、そう言えば晴架に飲み会に誘うよう言われてたんだっけ。
言いにくいなぁ…。
でも、こういう時しか言えないし。
「あの」
「ん?」
柳主任は顔も向けずに規則正しくキーボードを打っている。
「いえ、何でも」
めぐるは自分のパソコンを立ち上げる。
やっぱり、飲み会に誘うなんて。
「どうした?言い掛けてやめるな」
画面を見たままのめぐるに声を掛ける主任。
「いえ、大したことじゃ」
「なんだよ、言ってみろ」
急に顔を向けた主任。
やだ、こっちを見ないでよ。
困るじゃない。
「晴架が、えっと沢木さんが主任を飲み会に誘えって言うんです」
「飲み会?君は来ないのか?」
「えっ、私ですか?私は別に頼まれただけなので」
何で、そんなことを聞くのよ。
あたしなんか、いてもいなくても同じでしょ?
「歓迎会をやろうと思ってたんだ。適当に周りの人を誘って」
「誰のですか?」
「誰のって、君に決まってるだろう」
「私ですか?だって、あっちのグループからからここに来ただけですし」
「そうなんだけど、そういう口実でみんな飲みたいんだよ」
「はぁ。じゃあ、そこに沢木さんを誘ってもいいですか?」
「もちろん。別途、君から個人的に飲み会をセッティングしてくれても構わないけど」
誰が個人的に誘うもんですか。
あなたには綺麗どころの彼女がいるんでしょ?
お名前提供:林 めぐる(Meguru Hayashi)&柳 章磨(Syouma Yanagi)/沢木 晴架(Haruka Sawaki)…大宮
佳乃 さま
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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