「それでは、新しくうちのグループに加わった紅一点、林さんの歓迎会を始めたいと思います」
会社近くのとある居酒屋、適当に周りの人を誘ってという割にこの人数は一体…。
誰の歓迎会?と疑わんばかりの盛況ぶりだ。
「では、乾杯の音頭は上司である柳主任にお願いします」
並々とビールの注がれたコップを持って柳主任が立ち上がる。
「えー、優秀な林さんを引っ張るのは大変でしたが、粘り勝ちでようやっとうちのグループに来てもらえました。トラブル対応や開発の面で大変ですが、即戦力として大いに期待していますので、よろしくお願いします。他のグループに取られないよう、しっかり捕まえておきますから」
「では、乾杯」グラスを掲げて一気に飲み干す主任。
拍手が巻き起こったが、裏にそんなことがあったとは露知らず。
あたしは本当に期待されてこのグループに来たのだろうか?
「ほらほら、主賓なんだから飲んで飲んで」
特別ゲストの晴架が、ビール瓶を片手にあたしにグラスを空けるように促す。
「なんか、随分大げさなんだもん」
「大げさなもんですか。めぐるでなきゃ、こんなに人が集まるわけないじゃない」
何とか、めぐると接点を持ちたい男たちで一杯だということを知らないから、そんなことを言っているのだろう。
「よくわかんない。部長まで来てるのは何?」
誰が誘ったんだか。
あまり飲む機会がないからかもしれないが、忘年会や新年会じゃないんだからと言いたくもなる。
「晴架も主任のところへ注ぎに行ったら?」
「それはめぐるの方が先でしょ。直属の上司なんだから」
「えぇ?」
そうなんだけどっ。
「これ持って」と晴架に蓋を開けたばかりのビール瓶を持たされて仕方なく柳主任のところへ行く。
なんか、声掛けにくいんだもん。
「主任、どうぞ」
「おぉ、待ってたんだ」
柳主任はグラスの残りのグィっと開けるとコップを差し出す。
部の飲み会ではあまり気にしたことはなかったが、彼はかなり飲める人だったようだ。
「あまり期待には副えないと思いますが、よろしくお願いします」
「林、グラスは?」
「私は結構です」
「何、言ってんだ。飲めないとか言わないだろ?ちゃんと知ってるぞ、酒豪だって」
どこでっ。
そういうことは知らなくていいんですっ、めぐるは思ったが、どこでそんなことを聞いたのよ!!
勝手にどこかから新しいグラスを持ってくると主任はビールを注いでめぐるに渡す。
こうなったら、ヤケ酒だ。
「大丈夫だよ。酔っても僕が最後まで面倒見るから」
「その言葉、信じて飲みますよ」
何を話したのかなんて全然覚えていなかったけれど、なぜか主任はずっとめぐるの隣にいて離れようとはしなかった。
「ではここで、林さんに一言お願いします」
「え…」
一言って、聞いてないわよそんなこと…。
みんなの視線が一気に集まって、さっきまでのほろ酔い気分はどこへやら。
「林です。急な異動でびっくりしてますが、片付けられない女を返上すべく机の上は綺麗に片付けました。朝も早く来ます。あとは、柳主任のスマシ夕顔を崩してみたいです。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」
「いいぞ、林さん」どっと笑い声と盛大な拍手が巻き起こる。
かなり酔っぱらっていためぐるには自分が何を言っているのかなんて、さっぱりわかっていなかった。
「どこがスマシテるって」
隣にいたことをすっかり忘れていためぐる。
あっという間に酔いまで覚めてしまったようだ。
「気のせいじゃないですか?」
「あのなぁ。しらばっくれるならそれでも」
めぐるは晴架に主任の相手を頼むと逃げるようにして他の人たちの中へ移動した。
あぁ、酔っていたとはいえ、なんてことを言ってしまったんだろう。
これから毎日顔を合わせるっていうのに。
最後は課長の一言と一本締めで歓迎会は終了したが週末の金曜日、まだまだ飲み足りない人達は二次会へと繰り出すことに。
「林さん、二次会行くよね」
「私はちょっと」
「何言ってる、主賓が行かないでどうする。僕が最後まで面倒見ると言ったはずだ」
有無も言わせず、柳主任がめぐるの背中を押す。
「でも、晴架は?」
「ごめん、あたしは帰る。めぐるは楽しんできて」
「そんな」
すがるような眼で晴架を見たが、そんなめぐるを余所に「よし、決まりだ。沢木さん、気を付けて帰るんだよ」主任は嬉しそうに言う。
酔っているのかいないのか、いつもの澄まし顔のままだったが、最後まで面倒見ると言ってくれたことが妙に嬉しかったりして。
二次会はカラオケだったが、それでもかなりの人たちが残っていたのには驚いた。
「林、歌うぞ」
「えっ…主任とですか?」
「なんだ、嫌なのか?」
「い、嫌じゃないですけど」
カラオケなんて。
下手クソなんだから誘わないで。
「言っときますけど、超下手クソですから」
「僕も同じだから」
え?主任は上手そう。
下手って感じは全然しないもの。
「林、始まったぞ」
歌いだす柳主任。
うわぁっ、下手っ。
あたしの下手なんてもんじゃないわよ。
「柳、下手だな」
部長の野次にもめげずに歌い続けていたが、何でも完璧にできると思っていた人が実は歌が下手だったなんて。
それにしてもどうやったら、あそこまで下手に歌えるのだろうかと聞きたいくらい。
「林、何やってんだ。早くこっち来い」
「は、はい」
いつもと変わらない表情だったが、めぐるが行くなり柳主任は肩を抱き寄せ顔を近付ける。
熱い吐息が顔に掛かり、とても平常心ではいられなかった。
お願いだから離れてっ。
歌い終えると席に戻るなりぐったりしているめぐる。
主任は何を考えているのか、さっぱりわからない。
「元気ないな」
「主任があまりに下手なんで疲れました」
そんなふうに顔を覗き込んだりしないで欲しい。
まるで愛しい恋人を心配するみたいに。
「私、悪酔いしたみたいなので、もう帰ってもいいですか?」
「あぁ、大丈夫か?」
「大丈夫です。じゃあ、お先に失礼します」
みんなに挨拶して店を出る。
一つ大きな深呼吸をする、冷たい夜風が頬を掠めるとひんやりして心地良い。
「林」
「主任、どうしたんですか?」
一瞬、忘れ物でもしたかと思ったが、主任はスーツの上着を着て、カバンも手に持っている。
「僕も帰るよ。途中まで送ってくから」
え…。
せっかく、一人になれたというのにどうして。
それにわざわざ、送ってくれなくても。
それとも、心配して来てくれたの?
「わざわざ、送ってくれなくても。私なら大丈夫ですよ」
「悪酔いしたって言ってたし、こうでもしないと二人っきりになれないから」
柳主任は先にゆっくりと歩き出す。
二人っきりになれないからって…どういう意味なんだろう?
喉元まで出かかったが、答えを聞くのが怖くて、めぐるは無言のまま彼の後に付いて歩く。
「付き合ってみれば僕がどういう男かわかると思うが、埃を指で拭うような細かい男じゃないし、言っとくけどこの2年彼女はいない。もちろん、とっかえひっかえなんて根も葉もない噂話だ」
「と言っても信じてもらえないのかな?」主任は立ち止まって振り返った。
どうして、そんな話をここであたしにするのだろう?
でも、主任に彼女がいなかったなんて。
驚いたことにそれを嬉しいと思ってしまう自分に驚いた。
「火のないところに煙は立たないって言います」
なんてことを言ってしまったんだろう。
彼の言葉を信じていないわけではないが、やっぱりどこかで素直に受け入れられない自分がいるのも確か。
「どうして、そう反抗的な態度を取るんだ?」
「そういうわけじゃ。すみません、余計なことを言いました」
「今のは忘れて下さい。失礼します」めぐるは彼の横をすり抜けて歩いて行く。
この人はどこまでもスマートで大人で、子供っぽい自分とは世界が違う男性(ひと)なんだ。
反抗的で悪かったわね。
可愛くふるまうなんてできないんだから、しょうがないじゃない。
「こら、待て待て」
「ゆっくり話そう」主任はめぐるの腕を掴むと近くにあったカフェに入って行った。
「何にする?」
「カフェラテで」
「じゃあ、カフェラテ2つ」カウンターで若いお兄さんにそう言うとポケットから数枚の札を取りだした。
お財布を持っていないのだろうか?
それも、きっちり上下の向きを揃えて金額別にまとめていそうなのに。
その時でもずっと腕を掴んだままで離そうとしない。
まるで犯人が逃げないようにしているみたいだ。
トレーに載ったカフェラテを持って窓際のカウンター席に並んで座る。
週末だからか、この時間になっても人通りは途切れることなく続いていた。
「話って」
ゆっくりって何を話すつもりなのか。
「佐藤の下から引っ張ったのは何でだと思う?」
「え?それは、業務的なことじゃ」
さっき、やっと引っ張ったと言っていたが、他に理由があるのだろうか。
「まぁ、表向きはそうなんだ」
「表向き?」
「正直どうだ。前のグループじゃ物足りないと思い始めていたんじゃないのか?」
晴架じゃないが、当人より周りの人間の方がそう感じているのかもしれない。
柳主任の下に来てまだ間もないとはいえ、仕事のやり方の違いに戸惑いを覚えないわけではなかったが、やり甲斐みたいなものも少しずつ感じてきてもいた。
「あの中にいた時は、そんなふうに感じませんでしたけど」
「今は違うのか?」
「そうですね。自分にももっと出来ることがあるのかなって」
「佐藤には悪いけど、あいつじゃダメだから」
柳主任はあたしのことを考えて引っ張ってくれたのだどうか?
だとしたら、認めてもらえたことを素直に嬉しいと思う。
めぐるは蓋を開けてカフェラテのカップを口元まで持っていくが、ふーふーしても熱くて飲めずにまたテーブルの上に戻す。
「あっち」
「しゅ主任、大丈夫ですか?」
声に横に顔を向けると「あっつぅ」と舌を犬のように垂らしている主任。
この人は案外、そそっかしいタイプなんだろうか?
「猫舌なんだよ」
「笑うな」と言われてもここは大いに笑うところでしょう。
お腹を抱えて笑いまくるめぐる。
あの隙のない主任がよ?メガネを曇らせて猫舌ってあり得な〜い。
早くみんなに知らせなきゃ。
メガネを外して再度挑戦する彼の素顔は初めて見たが、メガネを掛けていると3割増しにイイ男に見えるというのはアテにならないと思った。
羨ましいくらいにまつ毛が長く、鼻筋がスーッと通っていて、あぁ男の人なのに肌がスベスベなんて。
めぐるはずっと見ていたい衝動に駆られたが、何か言われる前に視線を正面に戻す。
「みんなが勝手に想像の中で作り上げてるだけなんだ。実際の僕はこんな男だし」
「本当の主任を知っている女性は何人いるんですか?」
今まで思ってた主任像とはかなりかけ離れた人だったということを知っていくうちに、自分以外の他の女性には知って欲しくないと思ってしまうなんて。
「そう多くはないよ」
「思っていた人と違ってたと言われたことの方が多いけどな」どちらも本当の主任には変わりない。
それはめぐるも同じだった。
外見で判断されることの理不尽さを誰よりもわかっていたはずなのに。
「ごめんなさい。私も主任のこと。でも、今の主任は好きですよ」
別にこの言葉に他意があったわけじゃない。
本心からそう思ったから口にしただけなのだが。
「本当か?嫌われてるんじゃないかと思った」
「私こそ」
誰がどう見たって、あたしが主任から好意を持たれているようには思えないし。
「あのなぁ、何のために隣の席に座らせてたと思ってるんだ」
「それはだから、佐藤主任の下ではダメだからで」
「林でなかったら、わざわざそんなことしないさ」
「え?」
それは。
そう言えば、さっき表向きはとかなんとか言っていたような。
それと何か関係があるのだろうか?
「まだ、わからないのか?」
「さっぱり」
「じゃあ、教えてやるよ」
主任はめぐるの腰に腕を回して自分の方へ抱き寄せると顔を近付けて唇を重ねた。
それはほんの一瞬触れる程度のものだったが、体中に電気が走って動けなくなっためぐるは思わず彼の肩に頭を凭れさせた。
「嫌だった?」
めぐるは、ふるふると顔を左右に振る。
不思議なことにちっとも嫌なんかじゃなかった、それどころかもっと触れて欲しいと思うほど。
「あっ、主任ったら、こんなことして私に彼氏がいたらどうするんですか?」
「その辺のところは抜け目ないさ」
「私が主任のことを好きにならないかもしれないのに?」
「なるよっていうか、なってる。僕を誰だと思ってるんだ」
「自意識過剰」
「メガネに弱いのもリサーチ済」
どうして、それを…。
誰にも言っていなかったのに。
晴架にもメガネ好きだということは言っていなかったのにどうして主任が知ってるの?
「自分の側に置いておきたいなんてな、僕もどうかしてる。それだけ、惚れてるってことなんだぞ?」
「わかってんのか?」って言われても。
あまりに急過ぎて頭がついていけないんだもん。
ただ、もっともっと知りたいって思う。
主任のことを。
ひとまず、おしまい。
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