俺の彼女は
アスファルト☆レディ
1


「憂さ〜ん」

「すごいですぅ。課長さんになるなんてぇ」と、パソコンの画面を食い入るように見ながら興奮気味に話す奈々ちゃん。
それは今朝、イントラネットに掲載されていた4/1付の人事異動を見たからだったが、今回の人事で憂はなぜか、課長に昇進してしまったのだ。
女性が社会進出する世の中になっても管理職などまだまだ少ないこの会社で、男性でも27歳という若さの課長はそうそういないというのに彼女は異例中の異例と言っていいだろう。
それも、今回昇進したのは同期の中でも憂たった一人なのである。
あろうことか、遼哉や浩介を差し置いて自分が課長になってしまうとは…。

「このあたしが、課長よ?奈々ちゃん、信じられる?あたし聞いてないし、絶対、何かの間違いに決まってる。だいたい、4/1っていうのが怪し過ぎるわよ」

―――そうだ!これは、何かの間違いに決まってる。
だって、当のあたしも、まだ聞いていないんだもの。
4/1になったら『あれはジョークだよ』とか、言い出すのではないだろうか?いや、その前にこれは間違いだったと訂正するだろう。

『憂さん…それ、本気で…』
いくらなんでも、その日がエイプリールフールだからといって会社がそんな冗談を言うとは到底考えられないが…。
妙にゴチている彼女に呆気に取られつつも、でもこういうところが可愛いというか、仕事はバリバリこなしているのに奈々のような後輩の面倒もちゃんと見てくれる当然の結果のように思えた。

「そんなことないですよ。憂さんは、とっても優秀ですもん。課長になって当然です」

その意見には周りで聞いていた人達もみんな納得したのだろう、声には出さずとも“うんうん”と頷いている。
可愛くて優しくて、頼りになる憂が上司になったら、どんなに心強いだろうか。

『これで篠島さんにも―――少しは太刀打ちできるかしら?』

何だか、おもしろそう…などと思ってしまうのは、奈々だけではなかったはず。
社内のバトルもこれで沈静化するのか、それとも益々、ヒートアップしていくのか…。
いずれにしても、最強のアスファルト・レディがここに誕生したということに変わりない。



「オイ、遼哉。見たかよ、憂ちゃん課長になったんだな」

「知ってたんだろう?」と早速、遼哉のところへやって来た相手の名は言わなくてもわかるだろう。
しかし、今回の人事については憂からひと言だって聞いていなかったから、遼哉も驚いていたところ。
彼女が自分より先に昇進したことがどうのということではなく、もちろんこの人事は妥当だと遼哉だけでなく誰もがそう思っていることだろう。

「俺も、これを見てびっくりした。彼女からは全く聞いてないんだ」
「え?そうなのか。彼氏より先に出世して、言いにくかったのかな」
「さぁ、その辺のことはわからないけど」

まぁ、社内恋愛というのはどこにでもあるものだろうが、彼女の方が先に出世してしまうという事例はそうそうあるものではないかもしれない。
どうせ知られてしまうのだから彼女のこと、言いにくかったということはなさそうな気がするが。
いずれにしても、後でおめでとうの言葉を伝えに行こう。

「まぁ、これでお前も少しはおとなしくなるだろ」
「はぁ?どういう意味だよ」
「彼女には勝てないってことだ」

…そんなことは、言われなくてもわかってるっつうの。
初めから彼女に勝とうなんて思っていない。
俺はいつだって、憂には敵わないんだから。

「でも、大丈夫か?あんな可愛くて若い憂ちゃんが、オヤジどもの中に入ってさ」

「セクハラまがいのことをされたりしないか」と続ける浩介に遼哉もそれは一番気になっていたところ。
社長が交代したことで随分と社内改革も進んでいたけれど、それは人にもよるだろう。
浩介の言うように若くてとびっきり可愛い彼女が、加齢臭漂うオヤジ達の中に入ってやっていけるだろうか?
特にシステム開発部には、そういう要注意人物が多いというのに…。

「そこなんだよな。あいつのことだから、『あたしは平気よ』とか何とか言うんだろうけどさ。俺も同じ部にいるわけでもないし」
「だったら、早く一緒になっちまえばいいんじゃんか。その前にお前が出世しなきゃダメだけどっ。って俺も人のことは言ってられないけどな」

お茶らける浩介だったが、マジでそういうことも考えなければならないかもしれない。
彼女は仕事を続けたいと言うかもしれないけれど、恐らくそう言うだろうが、まず遼哉も彼女に見合う男にならなければならないということ。
だから、浩介にも負けてはいられない。

+++

4月1日。桜も満開、ピッチピチの新入社員も入社して来て新たな年度のスタートを切ったが、憂の課長昇進もジョークではなく本当だった。

「何だか、落ち着かないなぁ」
「永峰課長、こちらに職印をお願いします」
「奈々ちゃん。それも慣れないから、できればやめて欲しいなぁ。今まで通りで、いいわよ」

早速、憂のところへ書類に職印をもらいに来た奈々。
窓際に用意された真新しい立派な机を前にして、今までとは違う背凭れの高い肘付き椅子に腰掛けた憂は、年に一回行われる社内行事の一つである“お父さんの会社見学”に来た子供が座っているようだった。
そして、慣れない課長という呼び方。
今までも主任と呼ばれることはそうなくて、奈々ちゃんには『憂さん』って呼ばれていたので、急に言われても自分の事ではないように聞こえる。

「でも、カッコいいですよ?永峰課長」
「ちっともカッコよくないってぇ。それに一人ぼっちでつまんないしっ」
「直に慣れますって」

「そうかなぁ」と首を傾げながら、それでもしっかりと書類の内容をチェックして職印を押す憂は奈々から見ても見惚れてしまうくらいカッコいい。
…あぁ、篠島さんが見たら惚れ直しちゃうわね。きっと。

書類を持って自分の席に戻ってしまった奈々を見送りながら、やっぱり課長なんて寂しいものだなとシミジミ思う憂。
前みたいにもう少し、みんなで仕事をしたかったかも。
その後は会議会議で席に居ること自体もほとんどできなかったし、周りは自分よりもずっと年上の先輩ばかり。
発言する場もなかった憂は、まるで借りてきた猫のようにただ座っているだけで、ちっともつまらない。
せめて、清水課長くらい歳の近い人がいてくれれば違ったかもしれないのに…。

午後になってやっと時間の取れた憂は、社員食堂の脇にあるカフェテリアへ行ってみる。
お昼の営業は終わって夜までの間、静まりかえっていたそこではポツポツと打ち合わせをしている人達がいた。
窓も多く明るいし、広々としていて憂は結構この場所が気に入っていたから、時たま調べ物をするのに利用したり。
自動販売機の前でコインを入れたはいいがどれにしようか迷っていると、後ろからにゅっと伸びてきた手がカフェラテのボタンを勝手に押してしまい、ガチャンっと落ちた缶を取り出すと憂の手にそっと載せる。

「遼哉、どうして」
「どうせ悩んだって、これを押すんだろ?」
「そうなんだけど」

遼哉はポケットからコインを出してそれを自販機に入れると、迷わずブラックのボタンを押した。
いつものことなんだけど、何だかとても温かい気持ちになるのはなぜだろう。
二人は窓際の陽の当たる暖かい席に向かい合って座ったが、彼は偶然ここに来たのか、それとも憂がいるのを知っていて来たのだろうか?

「遼哉も休憩?」
「あぁ、ちょっとシステム開発部を覗いてみたら憂が席に居なかったんで、もしかしたらここにと思ってさ」

プルタブを引いてそれを一口飲むと、遼哉は椅子の背に寄り掛かって上を向き、ふーっと息を吐いた。
―――会いに来てくれたの?
そう思ったら、ものすごく嬉しくて。
彼はいつもそうだった。
付き合う前のお互い想い合っていたのにすれ違ってばかりいた時も、こうやって心配して来てくれた。

「何だか、自分の席に居るのが疲れちゃって」

憂もカフェラテを一口飲むと彼と同じようにふーっと息を吐いた。

「大変なのか?」
「ううん、そんなこともない。だって、会議をしてるかメールを読むばっかりで、後は印を押すだけだもん」
「管理職なんて、そんなもんだろ」
「なって良かったのか、悪かったのか」

出世したかったわけじゃないけど、頑張った分だけ評価されるのは自信にも繋がる。
だけど、こういうことがしたかったのかなって疑問に思えてくるから。

「俺の彼女は、そんな弱気を口にする女性(ひと)じゃなかったはずだけど」
「だってぇ」
「いいじゃん、今まで通りやってみたら。俺んとこ来てさ、ガンガン言って」
「何か、それって“うん”って言えないんだけど」

遼哉ところへ行くと、『また、来た』みたいに思われるし…。
ただでさえ、課長になってそういう目でも見られているっていうのにね。

「憂は憂のままでいいんだよ。あんまり頑張り過ぎるのも、悪い癖だけどな」
「遼哉…」
「今夜、家に来るか?俺が、美味いものを作ってやるよ」
「うん、行く。遼哉の作るものは、みんな美味しいから」

この笑顔は、他でもない自分にだけ向けられるもの。
ここが会社でなければ即座に抱きしめているところだが―――。

『さて、何を作ってあげようか』


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