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Chapter10-2B


「旭ぃ、こっちこっちぃ〜」

店の前で両手を上げて大きく手を振る璃紗を後ろから支えるようにしている玲子の姿はすぐに視界に入ってきたが、車で迎えに来た旭には彼女が何を言っているのかはっきりわからなかったけ
れど、『随分とまあ、ご機嫌だな』と思いながら二人の前にゆっくり停止させた。
運転席側のドアガラスを陽気に微笑みながら手の甲でコンコンと叩く璃紗は、前回の玲子のようにかなり酔っているようだ。

「大丈夫か?」

旭が車から降りると、「ぜ〜んぜん、大丈夫よお」と言ってる側から璃紗はよろけそうになりながら彼の胸に飛び込む。
「ったく、こんなに飲んで」と口調は怒っているが、優しく抱きしめる旭を見ている玲子の方が恥ずかしくなるくらい。
自分には見せなかった大切なものを慈しむ彼の表情に、玲子は真の愛を感じたような気がしていた。

「ごめんね、こんなに飲ませるつもりじゃなかったんだけど」

先約があったのを無理に誘った挙句こんなに酔わせてしまったわけだし、璃紗を車の助手席に座らせる様子を見つめながら申し訳なさそうにそう玲子が言うと旭は助手席のドアを閉め、「楽しかっ
たんだろうな。送って行くから、乗って」と後部座席のドアを開けた。
結局というか、このことを話すために璃紗を誘ったわけだから、玲子は思いの全て吐き出した。
だからといって最終的に決断するのは自分、今までなら絶対人に頼ったりするようなことはなかっただろう。
なのに璃紗にだけは聞いてもらいたかった理由はいくら考えてみてもわからなかったけれど、それはきっと彼女だったから、そう玲子は思うのだった。



「はい」と旭から渡された水の入ったグラスを璃紗は受け取とると、ゆっくり喉に流し込む。
心地いい冷たさに酔いも一気に醒めそうだ。

「ちょっと、飲み過ぎちゃった」
「ほどほどに頼むよ。玲子が心配してたぞ?こんなに飲ませるつもりはなかったって」

―――あぁ…玲子さんには悪いことしちゃったなぁ。
話を聞きながら、ついついお酒が進んでしまい、気が付けばすっかり出来上がっていて…。
だけど、想いを寄せているという年下の彼とニューヨーク行き、玲子さんはどっちを選ぶのかしら?
彼女にとって仕事ももちろん大切だと思う、でも…。
後悔だけはしないで欲しい、璃紗はそう願うのだった。

+++

こんなふうに迷うとは…自分でも思わなかった。
男と仕事のどっちを取るかと聞かれれば、間違いなく“仕事”と言い切れる、そう思っていたのに実際は違っていたなんて…。
課長からも『君の口から、そんな言葉を聞くとは思わなかったよ』と驚かれるくらいだから、よっぽど仕事一筋に思われていたのかも。
それを疑うことすらなかったというのにこの変わりようは、自分でも情けないくらい心の中は女だったということなのだろうか…。

「真柴さん」

不意に呼ばれて、玲子は過剰に反応してしまう。
しかし、ここは彼の上司として堂々と振舞わなければ、すぐにでもガラガラと音を立てて崩れてしまうから。

「どうしたの?小林君」

気付かれないよう、微妙に視線を外して玲子は答えたが、既に夜も深くフロアの隅にあった喫煙室から見ても周囲に二人以外の人影はなく物音ひとつしない。

「ニューヨークに行くんですか」

『え…』
反射的に玲子が顔を上げると、射抜くような彼の視線と絡み合う。
…どうして小林君が、ニューヨーク行きのことを知ってるの。
この件については課長と玲子の間で交わされた話であって、まだ公にはされていないはず。

「どうして、それを…」
「すみません。課長と話してるのを偶然聞いてしまって」

小林がたまたま会議室の前を通り掛った時、きちんとドアを閉めていなかったのか、隙間から会話が聞こえてきたのを盗み聞きするつもりはなかったが、酔った勢いを借りてのこととはいえ、一歩前進したと思った矢先のニューヨーク行きの話に耳を疑った。
すぐにでも『行くな!』と引き止めたかったけれど、彼女にとっての自分はまだそんな存在じゃない。
一生掛かったって、彼女に追い付くことなんてできっこないのだから。

「そう…」

玲子は持っていたシガレットケースから煙草を一本取り出すと口に咥えて火を点け、近くにあった椅子に腰掛けるとスラっと伸びた脚を組んでフーっと煙を吐き出す。
いずれ、彼の耳にも入ることだったし、それが予想より少し早かったというだけのこと。
玲子の言葉を待っているのか、煙草を吸わない小林は壁に寄り掛かって押し黙ったままだった。

「ニューヨーク勤務は、あたしにとって願ってもないチャンスだから」

彼女にとって、ニューヨークに行くということはどれだけ重大なことなのか?
どんなに好きでも想っていても、その人の将来を一番に考えてあげられなければダメなのではないだろうか。
『待っているから』なんてことは言わない。
『俺の方からニューヨークに行く』と言える男にならなければ。

「でもね、迷ってるの」
「え?」

小林もまた驚いた表情を見せたことに玲子は『やっぱり…』とわかりきった反応ではあっても、複雑な思いだった。
こんなことをこの場で言うつもりはなかったが、そうさせたのは璃紗の影響が大きかったかもしれない。

「あたしのことをこんなふうに迷わせてるのは、一体誰のせいだと思う?」

吸殻を灰皿に押し付けると玲子は、彼の方へワザと睨むように視線を向ける。
もちろん、顔は微笑んでいたけれど。

「それって…俺?ですか」
「他に誰がいるのよ」

拗ねたように言う玲子はいつものバリバリ仕事をこなすカッコいい上司ではなく、一人の女性だった。
綺麗で憧れの女性(ひと)。
今ここで『迷ってるの』と言う彼女を引き止めたら、ずっと側にいてくれるのだろうか?

「だったら、行かないで下さい。俺の側に」

考えるよりも早く、口が勝手にそう言葉に出していて、小林は座っていた玲子の手を引いて立ち上がらせると強く抱きしめた。
彼女が「くっ、苦しい」と言っても腕を緩めなかったのは、腕をすり抜けてどこか届かないところへ言ってしまうような気がしたから。

「行かないって、言って下さい」

…本当は、ずっと心のどこかでこの言葉を待っていたのかも。

「行かない」

言ってしまえば、案外なんてことはない。
あんなに悩んでいたのが、嘘みたいだった。

「本当に?」
「うん、行かない。課長には、明日ちゃんと話すから」

すぐ目の前に彼の顔があって、鼓動が早くなっていくのがわかる。
こんなドキドキしたのは今までになかったんじゃないか、そんなふうに思えるほど。
…これじゃあ、まるで恋愛初心者みたい。
割り切った付き合いしか、敢えてしてこなかった玲子には、彼のようにストレートに想いをぶつけてくる相手は初めて。
だからこそ、玲子自身もこんなに素直になれたのかもしれない。

先のことなんて誰にもわからないけど、今を信じたい。
重なる唇に想いの深さを感じ、ここがオフィスだということも忘れていつまでも二人抱き合ったままだった。


To be continued...


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