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Chapter10-2A


『ごめんね、今日行けなくなっちゃった』

珍しく璃紗から掛かってきた電話に浮かれ気分で旭が出ると、いきなりこんな言葉が返ってきた。

「何か、用事でもできたのか?」
『うん、実はさっき玲子さんにご飯を食べに行こうって誘われて』
「はぁ?なんだよ、それ」

今日は二人で会社の帰りに映画を観てから食事をするという約束をしていたのだが、ついさっき玲子から電話が掛かってきて食事をしようと誘われたのだった。

『ほんとごめんね』
「先に約束していたのは、どっちなんだ?璃紗は、俺より玲子を取るのか?」

いつになくご機嫌斜めの旭が、突っ掛かってくる。
旭が職場の違う璃紗と逢えるのは週末だけだったから、その時間を少しでも奪われてしまうのが納得できなかったのだ。

『旭との約束の方が先だったのはわかってる。だけど、玲子さん何か話したいことがあるみたいなの。だから、聞いてあげたくて』

璃紗がそう間単に旭との約束を破るわけがない。
それは、旭にもわかっていたことだったけど、相手が玲子だけにちょっとヤキモチを焼いてしまったのだ。

「まったく、玲子も玲子だよな。人の彼女を何だと思ってるんだろうな」

なぜかあの日以来、玲子と璃紗は意気投合してしまい、メールのやり取りは頻繁にしているようだし、こうやってちょくちょく会ったりもしているらしい。

『もし旭が嫌じゃなかったら、遅くなっちゃうかもしれないけど家に行ってもいい?』

こんなふうに可愛く家に行ってもいい?なんて言われてダメだって言えるヤツがいたら会ってみたいものだと常日頃思ってしまう旭だった。
自分が璃紗にメロメロなのはわかっているが、ここまでとはさすがに重症かもしれない。

「いいよ、ゆっくりしておいで。女同士で積もる話もあるだろうしさ。帰る時電話して、迎えに行くから」
『本当?ありがとう。でもごめんね、この埋め合わせは必ずするから』

電話では璃紗の顔は見えないけれど、きっと笑顔でいっぱいのはずだ。

「…当面のライバルは、玲子だな」
『何?』

囁くように言った旭の言葉は、璃紗には聞き取ることができなかった。
ただでさえ、職場が離れていて気が気でないというのに玲子までとは… 。
早いところ玲子に彼氏でもできてくれないことには、旭の悩みは尽きなかった。



璃紗が待合わせの駅で待っていると、すぐに玲子が現れた。
どんなに遠くに離れていてもわかってしまう、それくらい綺麗でスタイルもいい。
璃紗には、到底真似できなかった。

「ごめんね、璃紗ちゃん。待った?」
「いいえ、あたしも今来たところなので」

二人は玲子の案内で、アジアの色々な国の料理をアレンジしているというお店に来ていた。

「すごく素敵ですね」
「そう?ここはインテリアもいいけど、料理がすごく美味しいから絶対璃紗ちゃんを連れて来ようって思ってたの」

人気があるらしく席が空くのを待っている人達が見えるが、玲子が予約を入れてくれていたためすぐに奥の席に案内された。
玲子のお勧めでタイのビールと、いくつかの料理を頼む。

「ごめんね、無理に誘ったりして。旭、拗ねてなかった?」
「ちょっと…あぁ、でも大丈夫ですよ」
「そう?せっかくのデートを邪魔しちゃって、旭怒ってるんじゃないかって心配してたのよ」

オーダーしていたタイのビールを店員さんが持ってきたので、取り敢えず乾杯する。
少しクセのある味だけれど、嫌味がなくて璃紗には好みの味だった。
―――あぁ、美味しい。

「璃紗ちゃんって、ほんと美味しそうにビール飲むわよね」
「旭にもよく言われます」

どうも璃紗は思っていることが顔に出やすいタイプらしく、美味しいものを食べるとみんなにわかってしまうのだ。

「ねえ、そろそろ敬語はナシにしない?1歳しか違わないんだし、旭だってタメ口なんだもの。何か璃紗ちゃんがすごく遠くに感じるのよ」

何度か玲子に言われていたことだったけれど、やはり彼女の年齢が上ということもあって璃紗は中々砕けて話すことができなかった。

「わかりました。頑張ってみます」
「それで旭のヤツ、何だって?」
「俺より玲子さんを取るのか?って」
「何か、旭なら言いそうだわ」

玲子さんは妙に納得していたが、璃紗に断ると煙草に火を点けた。
白くて細い手がとても綺麗で、旭とは違った意味で見惚れてしまう。

「でも、玲子さんが何か話したいことがあるみたいって言ったら、行っておいでって機嫌直ってましたよ」
「実はそのことなんだけど、あたしニューヨークに転勤の話が出てるの。行ったら3年は戻って来れないかな」
「えっ、ニューヨーク?」

外資系の会社に勤めているというのは聞いていたけれど、ニューヨークなんて凄い。
でもせっかくこうして仲良くなれたのに離れ離れになってしまうのが少し寂しいと思っているのは、璃紗だけではないだろう。

「それで、玲子さんはどうするの?」

玲子はビールに口を付けると、フーっと溜め息を吐いた。

「そこなのよね。3年も行ってたら、30過ぎちゃうじゃない?どうしようかなーって」

璃紗には、少し意外な気がしていた。
玲子なら迷わず、ニューヨークに行くことを決めてしまうと思っていたからだ。
ニューヨークに行くということは玲子のキャリアを見越してのことだろう、仕事もデキル人のはずなのに日本に戻って来きた時には30歳を過ぎてしまうということを気にしている。
外見からは想像できないけれど、実はすごく家庭的で結婚に憧れるようなそんな女性なのではないか。
きっと引き止めてくれるような男性がいれば、すぐにでも断ってしまうのかもしれない。
いや、もしかしてそういう男性が既にいるのではないだろうか?

「玲子さん、もしかして気になる男性がいるんじゃ」
「え…」

図星だったのか、煙草の灰を思わずテーブルの上にポロリと落としてしまった玲子は慌ててそれを指先で摘む。
「そっ、そんなことないわよ」と言ったところで、璃紗が納得するとは思えない。
本当のことを言えば、旭と別れてからというもの、正式にはフラれてだったが…暫くは、自分でも情けないくらい抜け殻のようだった。
強がってみても一人になると寂しくて、どんなに仕事に没頭したところでふとした瞬間に旭のことを思い出してしまう。
そんな時、酔った勢いで身体を合わせてしまった同じ会社に勤める年下の彼。
まさか、部下に手を出してしまうとは…。
ずっと側にいて、自分のことを熱い眼差しで見ていたことにも気付いていながら、敢えて素っ気ない態度を取ってきたはずだったのに、そのたった一回の過ちが玲子の心をこれ以上ないくらい揺さ振るのだ。
ニューヨークへ行くことは予てからの希望だったし、願ってもないチャンスのはず、だった。
まだ誰も踏み入れたことのない領域に、彼が入って来るまでは…。

「玲子さんを迷わせる人って、どんな人?」
「だからぁ、そんなんじゃないって」

口ではそうじゃないと言いつつ、アルコールのそれとは違うほんのり頬を染めた玲子。

―――ニューヨーク行きを躊躇うほどの男性とは、一体どんな人なんだろう?
璃紗は聞き出すまでは絶対帰らない、そのつもりで通りかかった店員にビールを追加注文した。


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