「ねぇ、ちょっとあれ璃紗の彼氏?えらくイイ男じゃないの。どこで知り合ったのよ」
同期で一番仲のいい水野 文香(みずの あやか)が、目ざとく見つけて璃紗のところに近寄って来た。
「え?あぁ、秘密」
「何それっ」
璃紗の答えが不満だった文香は、口を尖らせて抗議する。
今ここで、璃紗の彼氏が同期の三島だと言ったらどうなるだろうか?
驚いた文香の顔が、手に取るようにわかる。
「わかったって、教えてあげる」
璃紗の言葉で、文香の目が輝いた。
「入社式よ」
「入社式?」
全く意味のわからない文香は、さっきとは打って変わって表情が険しくなった。
「何?からかってるわけ?」
「違う違う、本当のことだから」
「入社式って今の会社のでしょう?ってことは…えっ?もしかして、同期ってこと?あんないい男いた?ねえ誰?誰なのよっ」
捲くし立てるように、文香が璃紗を問い詰める。
「三島」
「三島?三島って、あの根暗で超ダサかった三島?!」
言った後にハっとして文香は口を手で塞いだけれど、もう遅い。
まぁ、璃紗も本人でさえもそれは認めていることだから、今更ここで文句を言ったりはしないけれど。
「ごめん」
さすがに言い過ぎたと思ったのだろう、申し訳なさそうに文香が小さい声で謝った。
「誰でも、そう思うわよね」
実際、璃紗でさえそう思ったのだから。
「でも、本当にあの三島なの?」
文香が驚くのも無理はない。
今の旭には、あの時の面影などこれっぽっちもないのだから。
「そう、あの三島なの。あたしだって、声を掛けられた時には誰この人って思ったもの。あの時の三島を覚えてる人だったら、みんな気が付かないわよね」
「でも、あんなにいい男に変身してるんだったら、唾つけとくんだったわ」
「失敗したわ」と心底後悔している文香が、なんだかとても可笑しかった。
「研修の時から璃紗は三島とは仲が良かったものね。璃紗はダントツ可愛かったから、すごく男の子に人気あったのに何であいつばっかいい思いしてってみんな文句言ってたわ。あたしも不思議だったのよ、どうして三島?ってね。もしかして璃紗ってダサい男が好みなのかな?なんて思ったりして、でもそういうわけじゃなかったのよね。ちゃんと彼のことわかってて接してたのにね。ちょっといい男になったらコロっと態度を変えるなんて、あたしったらほんと人間できてないわ」
文香は冗談ぽく言うけれど、本当は誰よりも相手のことをわかっていることを璃紗は知っている。
ただ、璃紗のように気持ちをうまく言葉に出して相手に伝えられないだけ、だからついきつい態度で接してしまい、相手に誤解されてしまう。
不器用なんだと璃紗は思うけれど、そこが文香のいいところでもある。
同じ部で一期下の武井 健吾とはとても馬があって、お互いの気持ちはわかっているはずなのになかなかうまく伝えられなくて、いつも喧嘩ばかりしている。
早くどちらかが素直になればいいのにと、璃紗はいつも思うのだけれど。
「あたしって、目が悪いじゃない?だから、いい男とかダサい男とか見分けがつかないのよ」
璃紗が目が悪いなんて嘘、そんな話聞いたことない。
彼女は顔が可愛いだけじゃなくて心まで純粋で綺麗なのだ。
きっと過去に辛い経験をしているのかもしれない、だからこそこんなにも相手に対して優しくなれるのではないかと文香は思っていた。
「璃紗って、ほんといい子よね。あたしが男だったら、三島に取られる前に絶対落としてるわ」
「あたしも文香が男だったら、絶対落とされてると思うわ」
お互い顔を見合わせて笑い合った。
+++
「あら、旭。暫く連絡もくれないと思ったら、もう別の女の子に手を出してるの?」
旭と璃紗が夕食を外で取ろうと街を歩いていると、不意に若い女性に呼び止められた。
「玲子…」
呟いた旭の顔が、一瞬曇ったのを璃紗は見逃さなかった。
玲子と呼ばれる女性はスタイルが良く、年齢は璃紗よりも少し年上のようだが、とても綺麗で大人っぽく見える。
派手なイデタチに、離れていてもきつい香りが漂ってくる。
「今度はまた、随分と清純な可愛い子ちゃんを捕まえたものね」
玲子は、璃紗のことを上から下まで舐めまわすように見つめてくる。
その視線にどうにも璃紗は耐えられなくて、視線を旭の方に逸らした。
「何が、言いたいんだ?」
いつもの優しい旭の口調とは違う冷たい口調に璃紗は凍りついた。
そんな旭の言葉など、全く聞こえないというふうに璃紗に向かって玲子は言う。
「あなた、旭はやめた方がいいわよ?どうせ、弄ぶだけ弄んで捨てられるだけなんだから。この人はこんな聖人君子みたいな顔して冷酷なヤツのよ」
「いい加減にしろよ」
旭が声を荒げて玲子の言葉を静止する。
そして璃紗の手を握ると庇うようにして自分の後ろに追いやった。
「旭がムキになるなんて、初めて見たわ、よっぽど大切な子なのね。でも無駄よ、あたしは旭のこと絶対諦めないから」
玲子も黙ってはない。
眉間を寄せると射抜くような視線で旭を見つめ返す。
「俺は、本気で付き合う気はないと初めに断ったはずだ。それを遊びでもいいからと言ったのは、お前の方じゃなかったのか?」
確信を突かれて、玲子はそれ以上言葉を返すことができなかった。
旭は握っている璃紗の手をより強く握り締め、それに応えるように璃紗もしっかりと握り返した。
「玲子の気持ちを知ってて傷つけたのは悪かったと思う、それは謝るよ。本当にごめんな。でも、俺にはずっと心に想っていた人がいた。だから、誰とも本気で付き合うことはできなかったんだ」
押し黙ったままの玲子に、旭はいつもの穏やかな表情で話し掛けた。
玲子には旭の心の中には自分以外の別の人がいることを薄々気付いていたし、自分など入る余地がないこともわかっていながら、それを受け入れることができなかったのだ。
その相手が今、旭の後ろにいる女の子なのだということも。
「何、真面目に返さないでくれる?冗談に決まってるでしょう?あたしがあなたなんかに固執するわけないじゃない。あたしを誰だと思っているのよ、旭が誰と付き合おうともう関係ないわ」
「…玲子」
旭にはそれが本心でないことも、ただ強がっているだけだということもわかっていたが、どうしようもないことだと割り切るしかなかった。
それは、初めて会った璃紗にも少なからず理解することができる。
「何、しけた顔してるのよ。そちらのお嬢さんが不安そうな顔をしてるじゃない。ずっと恋焦がれていた相手なんでしょう?しっかりしなさいよ」
さっきまでの強がっていた彼女とは違う、とても優しい表情だった。
璃紗は思った、本当はとても寂しがり屋で、でも思っていることを正直に言えない、素直になれない彼女もまた不器用な性格なのだと。
「えっとあなた、名前は?」
いきなり玲子から話し掛けられて、璃紗は戸惑ったが素直に答えた。
「加納、加納 璃紗です」
「璃紗ちゃんね。あたしは真柴 玲子(ましば れいこ)。ごめんね、嫌な思いさせちゃって。言っておくけど、さっき言ったこと全部嘘だから」
「え?」
「旭はね、とても優しかった。こんなあたしにも親身になって接してくれたわ。恋人って言うよりは、男女を超えた親友みたいだったかもしれないわね。年下のくせに説教したりして。だから、旭のこと信じてあげて。大丈夫、旭の中には璃紗ちゃんしか住んでいないから」
「はっ、はいっ」
「それにしても、璃紗ちゃんってほんと可愛いわね。旭もこんな可愛い璃紗ちゃんを泣かせたりしたらダメよ?いい?」
「わかってるよ」
旭は苦笑しながらもそれに答えたが、どうやら璃紗の見るところ旭は玲子に頭が上がらないようだ。
それがなんだか可笑しくて、知らず知らずのうちに璃紗からは笑みがこぼれていた。
「何、笑ってるんだよ」
旭は自分がどうして璃紗に笑われてるのかがわかっているせいか、面白くない様子。
「何でもないわ。ねっ玲子さん」
「そうよ」
玲子もそれがわかっているだけに、璃紗に同意を求められて即座に反応してくれた。
「何だよ、二人して」
ふて腐れる旭を尻目に、玲子と璃紗は笑い合った。
璃紗には玲子とこれから先、いい関係が築ける、そんな予感がするのだった。
◇
その後、3人で夕食を囲みながら散々旭の悪口を玲子と璃紗で言い合ったせいか、すっかり旭は元気をなくしてしまっていた。
そんな旭を尻目に、尚も玲子の毒舌は続く。
「玲子、飲み過ぎだぞ?」
「あら。今夜くらい飲ませてくれても、バチは当たらないでしょう?」
酔った勢いか、玲子の本音が少しだけ聞けたような気がした。
口にこそ出さないけれど彼女は本気で旭を愛していたのだろう、その気持ちが痛いほどわかるだけに璃紗の気持ちは揺れ動いていた。
それを察した旭はテーブルの下に手を回して、隣に座っている璃紗の手をそっと握る。
璃紗は、大きくて温かい旭の手が大好きだった。
さっきもそうだったが、こうして握られるとすごく安らいだ気持ちになれるのだ。
ゆっくりと旭の顔を見上げるとニッコリと微笑んでくれる。
この笑顔も、璃紗は好きなんだなと思った。
「ちょっと何、二人の世界に入ってるわけ?」
二人のやり取りを見ていた玲子が、口を尖らせながら文句を言っている。
そして、すぐにその場でうつ伏せて眠ってしまった。
「あ〜ぁ、とうとう潰れたか」
「まったく困った女だ」と呆れた様子で旭が言ったけれど、すぐに横に置いていた自分のスーツの上着を彼女に掛けてやった。
そんなところもすごく優しくて、旭らしいのだと璃紗は思った。
「今日はごめんな。なんか変なことに巻き込んじゃって」
玲子が当分起きそうにないことを確認して、旭がさっきのことを謝る。
「ううん、玲子さんの気持ちはわかるし。きっと強がって自分の気持ちに素直になれない、ちょっと不器用なだけなのね」
璃紗の返事に満足したように、旭は玲子とのことを話し始めた。
そうやって相手の気持ちをすぐに理解してしまう璃紗のことが、やはり好きなのだと旭は思った。
「玲子とは1年位前になるのかな。友達の合コンに無理矢理誘われて行った時、たまたま相手のメンバーにいたんだよ。これでも外資系の投資会社でバリバリ働いているキャリアウーマンらしいんだ、想像つかないけどな。その時俺は、はっきり言って合コンなんて興味なかったし、つまらなそうな顔をしていたんだと思う、同じように玲子もそういうのが苦手だったみたいで、どちらからともなくその場を後にしてたんだ」
璃紗は黙って、旭の話を聞いていた。
「外見が派手だからちょっと引いたんだけど、話してみると意外にさっぱりしてて男の友達と一緒にいるみたいな心地よさを感じるようになった。それからたまに連絡を取るようになって、飲みに行ってはお互いの愚痴をこぼし合ったりする関係になったんだ。俺としてはそれ以下でもそれ以上でもなかったんだけど、玲子は違ったんだな。いくら鈍い俺でも彼女の気持ちには気付いていたよ。でもさっきも言ったけど、俺は叶わないってわかっていても璃紗のことをずっと想っていたから、彼女の気持ちにはどうしても応えることができなかった。もちろん、男と女の関係もない」
一番聞きたかったことだけど、一番聞いてはいけないことを旭の口から聞くことができてホッとしている自分がいることも確かだった。
旭の過去をとやかく言うつもりはなかったけれど、都合のいい話かもしれないが、自分以外の女性と関係を持ったなどという話はやはり聞きたくなかった。
そして、璃紗をずっと想っていてくれたことをとても嬉しく思っていた。
「…そっか」
璃紗は、それ以上何も言わなかった。
そんな彼女の気持ちを理解した旭はもう一度、確認するように璃紗に言う。
「俺が好きなのは璃紗だけだから。それだけは信じて欲しい」
璃紗は言葉を発することなく、ニッコリと微笑むとただ黙って頷いた。
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