「杏奈、週末海外事業部の人達と、近くに新しくできたイタリアンのお店に一緒に行こうって話になってね―――」
女子社員数人と社員食堂でお昼を食べていると、同じ部で同期の神長 美菜(かみなが みな)が、少し興奮気味に問い掛けてきた。
こんな誘いは一度や二度ではないから、杏奈は適当に聞き流す。
―――どうせ、合コンでしょ?
「ねぇ、杏奈ったら無視しないでよ〜」
「だって、興味ないんだもん」
杏奈は美菜に視線を合わせることなく、黙々と定食を食べ続けている。
「どうして?あのイケメン揃いの海外事業部だよ。そりゃあ、杏奈は令嬢なんだからそんなこと関係ないかもしれないけど、あたしはそうはいかないんだもの。それに杏奈が来てくれないといい男も集まらないのよ。ね?協力してよ」
―――令嬢ねぇ…。
杏奈はみんなにわからないように溜め息を吐くと、食べ終えた食器を持って立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
「杏奈〜」
美菜の呼びかけにも答えず、杏奈はひとり誰もいない休憩所へ向かった。
亀井 杏奈(かめい あんな) 24歳。
日本でも有数の大企業、亀井物産に勤めて2年になるが、名前でもわかる通り、創設者の亀井 宗太郎(かめい そうたろう)は曽祖父であり、現社長を務める亀井光太郎(かめい こうたろう)は父親である。
本来なら美菜の言うように社長令嬢なのだから会社で働く必要などない、杏奈はそう言われるのが嫌で普通に社会に出て働くことを選び、今に至っている。
もちろん一般と同じく採用試験を受けてこの会社に入社したが、できれば父のいるこの会社ではなく、他の会社に勤めたかった。
しかし会社勤めすることすら両親に、特に父親に大反対され、父の目の届くここならとやっと許してもらえたのだ。
だから名前も伏せておいたつもりなのに(まぁ、この名前ではわかってしまうだろうけど)どこからかこういう噂は広まってしまい、杏奈もそれを否定せずそのまま通していた。
周りも初めはそういう目で見ていたが、慣れてくればどうということもない。
皆、普通に接してくれることがありがたかった。
+++
週末、場所は新しくOPENしたばかりのイタリアンレストラン。
結局、美菜に根負けして杏奈は海外事業部との合コンに連れて来られていた。
人数は4対4で、女性陣は杏奈や美菜の他二人は同じアパレル事業部に今年入った新人を誘っていた。
なぜか男女交互に座らされ、隣にも前にも男性がいて、どうも居心地が悪い。
それに目の前にはあまりというか、できれば会いたくなかった人物が不機嫌そうなオーラを出して杏奈を見つめている。
「亀井さんが、来るなんて」
目の前にいる藤崎 剣士(ふじさき けんじ)が驚きの表情の後、意味深な言い方をした。
剣士は杏奈と同期だったが、取っ付き難いと言うかあまり自分を出さないタイプで、愛想がなく何を考えているのかさっぱりわからない。
特に杏奈に対しては、それが強かったように思う。
彼にとっては、社長の娘が腰掛け程度に親の会社に勤めていることが気に入らなかったのだろう。
あからさまに杏奈を毛嫌いしていたから、否応にもすぐにそれはわかる。
「ほんと亀井さんが来てくれるなんて、ラッキーだよな」
杏奈の隣に座っていた佐々木さんという、年の頃は20代後半というところだろうか?
かなり爽やかで優しそうな彼も、剣士の言うことに納得していたようだ。
絶対彼氏を作るんだと張り切っていた、美菜は両手に花(と言っても男性だが)でかなりご機嫌な様子。
向かいに座っている新人の子二人も可愛いから、場も盛り上がっているようだ。
剣士だって隣に年下の子がいるせいか、あまり見たことがないような表情を見せている。
―――私がここに来る理由なんて、ないじゃないねぇ。
半ば強引に連れて来られたわりに杏奈の存在は薄く、途中で帰るわけにもいかないし、適当に相槌を打って会話に参加していた。
想像以上に料理もお酒も美味しかったから、なんとか退屈せずにその場に留まることができたと思う。
こんなふうに杏奈が誘われるのは単なる興味本位からというのがほとんどで、大会社の娘の私生活とかそういうのを知りたいのだと思う。
小さい時はそういうのが嫌で仕方がなかったが、大人になると慣れてくるもので、今はなんとも思わない。
強がってみても、どうにもならないのだから。
二時間ほどで店を出たが、随分と盛り上がっていた美菜はまだ飲み足りない様子。
「杏奈も二次会、行くでしょ?」
「私は遠慮しとく」
「え〜なんでよ。行こう」
つくづく押しに弱いと思う。
初めは嫌だと意思表示しても、頼まれると最後にはうんと言ってしまう。
新人の女の子二人と申し合わせたように男性二人は帰ってしまったので、残る4人でカラオケに行くことになった。
4人の中になぜか剣士がいたのが不思議だったが、この際杏奈にはどうでもいいことだった。
◇
カラオケは苦手だったけど、美菜と杏奈の隣の席にいた佐々木さんは意気投合したのか、二人で何の歌だか知らないが、デュエットしている。
そして妙に浮いているのが、剣士と杏奈だった。
「藤崎君は、歌わないの?」
あまりの気まずい空気に、さすがに杏奈も剣士に話し掛けた。
「俺?あんまり最近の歌とか、わからないしな」
意外にも普通に返されてしまい、杏奈は次の言葉が続かない。
「でも亀井さんが合コンに出るなんて珍しいよな。誘ってもいつも断られるって、みんな言ってるのに」
「私、話とか面白くないし、場を盛り下げても困るでしょ?」
本当は面白可笑しく話題にされるのが嫌なだけだったのだが、敢えてこの男の前ではそのことには触れなかった。
「そんなこともないけどな。俺は、亀井さんのそういう高飛車な態度とか見てて面白いし」
やっと剣士の本音が出たか、と杏奈は思った。
面白いし、などと口では言っているものの顔は決して笑っていない。
ものすごく腹が立っていたが、ここで彼の言葉に乗って返せば負けるような気がして、杏奈はグっと我慢した。
「褒め言葉として受け取っておくわ」
杏奈は嫌味に言ったはずなのに横にいる剣士は、さっきとは打って変わって本当に笑い出した。
―――何よ、この男!私のこと馬鹿にして、そんなに楽しいわけ!
「私、そんなふうに笑われるようなことを言ったかしら?」
「ごめんごめん」
謝ってるわりにまだ笑っていて、止まる様子がない。
大体、目に涙まで溜めてるってどういうことよ!
「不愉快だわっ」
さすがの杏奈も、剣士の態度には我慢できなかった。
杏奈は立ち上がると荷物を持って、部屋を出る。
いきなりの行動に美菜と佐々木さんは呆気に取られた様子だったが、何も言わずに店を出ていた。
―――ほんとムカつく!あの男。
こんなに怒ったのはどれくらい振りだろうか?普段から冷静な杏奈が怒ることはまずない。
それをここまでさせた、剣士は相当なものと言っていいだろう。
「待てよっ、送るよ」
あろうことか、剣士が杏奈を追いかけて来て、送るなどと言っている。
「触らないで!汚らわしい」
肩に触れられた剣士の手に、思わず声を荒げてしまった杏奈。
一瞬、剣士の顔が強張ったものに変わったが、すぐに元の表情に戻る。
「ごめん。まあ、そう怒るなよ。せっかくの綺麗な顔が台無しだぞ」
呆れて言葉が出ないというのは、まさしくこのこと。
この男は、杏奈に許して欲しいのかそれとも怒らせたいのか、さっぱりわからない。
「勝手にすれば」
杏奈は、それだけ言うとひとり歩き出す。
「あのさ、お詫びと言っちゃなんだけど、一軒付き合ってくれないかな。奢るからさ」
「え?」
その場に足を止めて見上げると、さっきとは打って変わってニッコリと微笑む剣士の顔があった。
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