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Chapter12
2/E


なぜか断る間もなく剣士に連れられて、古びた一軒のバーに来ていた。

「ここ、いいだろう?俺のお気に入りの店なんだよ」

周りをぐるっと見回してみると剣士の言う通り、アンティークなインテリアがセンス良く配置されたとても素敵な店だと杏奈も思った。

「言っとくけど、この店に女性を連れて来るのは亀井さんが初めてだからな」
「別に断る必要もないと思うけど」

剣士がなぜわざわざ断りを入れたのかなど知る由もない杏奈は、冷たく返事を返す。
それに苦笑する剣士だったが、そのままカウンター席に腰を下ろした。

「亀井さんは何にする?」
「そうね、スプモーニにしようかな」
「了解、俺はウイスキーをダブルで」

カウンターの中にいたバーテンに飲み物を注文すると彼は杏奈に一言断って、セブンスターのボックスから一本抜き出し、それに火をつけた。
杏奈は暫くその姿を見つめていたが、彼はとても同い年とは思えない男っぽさと落ち着きを持っていた。

「何?俺がいい男だってのはわかるけど、そんなに見つめられるとさすがにヤバイんだけど」
「はぁ?誰がいい男よ。自惚れるのもいい加減にしたら?」

本当は彼の言う通り見惚れていたのだが、素直じゃない杏奈にはこんな憎まれ口しか出てこない。
そんな彼女を微笑ましく見つめていた剣士が、薄暗い照明の中で仄かに頬を染めた杏奈を見逃すはずもなく。

「お前その言い方、俺のツボに嵌ってるってわかってないだろう」

杏奈には剣士の言っている言葉の意味がまったくわからず、首を傾げるばかり。
その仕草さえも剣士のツボに嵌っていることなど、杏奈にはまったくわかるはずがない。

「全然わからないわね」
「お前、鈍いとか言われない?」

さっきまで、亀井さんって呼んでいたのにいつの間にかお前になっていた。
それがまったく嫌でないのは、彼の持つ雰囲気もあるが、何となく目の前にあった見えない壁が取り払われた気がしたからかもしれない。

「言われないわよ。藤崎君、お詫びって言いながらも、さっきから失礼なことばかり言ってない?」
「まあ、そう怒るなって」

これ以上、剣士だって杏奈を怒らせるつもりは毛頭ない。

「怒ってないけど、藤崎君がそうさせるようなこと言うからいけないんでしょ」

そんな時に注文していた飲み物が運ばれて来た。

「機嫌直してさ、乾杯しよう」
「なんかはぐらかされた感じ」

と思いながらも、杏奈は剣士とグラスを合わせた。
グラスに映る真っ赤なカンパリとグレープフルーツジュースの酸っぱさが、口に広がる。
さっきから剣士の言葉は引っかかるけど、この店は杏奈にとってとても心地いい。

「亀井さん、俺のこと…嫌いだよな」
「は?!」

剣士の唐突な質問によって、一気に現実に引き戻された。
―――ちょっと、それどういう意味よ。俺のこと嫌いだよなって、私が藤崎君のことを嫌いなんじゃなくて、藤崎君が私のことを嫌いなんでしょ?

「ちょ、ちょっと待ってよ。何言ってるよの、それ逆でしょ?私が藤崎君のことが嫌いなんじゃなくて、藤崎君が私のこと嫌いなんじゃない」
「いや待て、それは違うだろう。俺がいつお前のこと嫌いなんて言ったよ」

なんだか、どうも話が噛み合っていないようだ。
確かに剣士は杏奈のことを嫌いだとは言っていないが、誰がどう見てもそう取れる態度を示していたではないか。

「嫌いとは言われてないけど、実際嫌いでしょ?」
「何でそんなこと言うんだよ。俺はお前のこと嫌いどころかその反対だけど」
「えぇぇ?!」

―――ちょっと待って、またわけのわからないことを言われたような気がするんだけど。
杏奈は頭の中で今の剣士の言葉を整理してみる。
剣士は杏奈のことが嫌いではない、どころかその反対だと言った。
つまりは好きだということ?!

「ねぇ、ひとつ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「藤崎君は、私のこと好きなわけ?」

そっと剣士の方に顔を向けると、既にこっちを見ていた彼とバッチリ目が合った。
思わず顔を背けようとすると、すっと彼の手が伸びてきて頬に添えられ位置を元に戻される。

「好きだよ」
「冗談…よしてよ」

―――そうよ、悪い冗談なのよ。だいたい、藤崎君が私のことなんて好きになるはずないんだもの。人のこと、からかって面白がってるだけに違いないんだから。

「本気だよ」
「誰がそんなこと、信じるっていうの。ふざけるのもいい加減にして」

杏奈は頬に添えられた剣士の手を外すと、スプモーニのグラスをずっと見つめていた。

「どうしたら、俺の気持ち信じてもらえる?」
「まだ、そんなこと言ってるの?」
「俺もひとつ聞いていいか?」
「どうぞ」

わざと剣士と同じ言い方をしてみる。

「さっき、俺のこと嫌いかって聞いたら、それは逆だって言ったよな。それって、お前は俺のこと嫌いじゃなかったってことか?」

杏奈は、自分は剣士に嫌われていると思っていたが、自分は剣士のことをそう思ったことは今までない。
だからと言って、それが好きだということにはならないのだが…。

「私は、藤崎君のこと嫌いじゃないわよ。ムカつくこともあるけど」
「それって、好きってこと?」
「あのね、嫌いじゃないってことが、どうして好きってことになるのよ」

この男の頭の中には、YESかNOしか存在しないようだ。

「だったら、今から俺のこと好きになれよ」
「はぁ?またそんな無理難題を…」

―――「ダメか?」ってねぇ…。
杏奈には剣士がとても本気で言っているとは思えないのだが、冗談にしては性質が悪すぎる。

「お前が俺のことを好きになるのって、無理難題なのか?」
「ねぇ、どうして?私みたいな高飛車な女なんかより、もっと可愛くて素直な子がいくらでも彼女になってくれるでしょ?だいたい、私みたいな女が藤崎君にとって一番嫌いなんじゃないの?」

私みたいな女―――。
つまり大企業の社長令嬢で、腰掛程度に自分の親の会社に勤めてるような女。
杏奈が思うに剣士はこういう女が一番嫌いなはずだった。
なのにどうして、好きだなどと言うのだろうか…。

「確かにお前の言うように俺は、何不自由なく暮らしてきたような社長令嬢は嫌いだよ。でも、少なくとも俺が知ってるお前は違う。この会社だって、一般と同じように採用試験を受けたって聞いてるし、そういう偏見で見られないよう影で努力してることも」

剣士は、初め杏奈のことを何もできないただのお嬢様と決め付けていた。
そんな女に何ができるんだと。
研修中よく同期で飲みにも行ったが、そんなふうに思っていることが剣士の顔や態度に現れていたのだろう、杏奈にはあからさまに嫌な態度を取られた。
杏奈はとても綺麗だったし、令嬢と聞いて周りの男どもは手のひらを返したように彼女に近付いた。
ところがそれをあの高飛車な態度で跳ね返したのだ。
普通、男に言い寄られれば理由はなんにせよ嬉しいはずだと思うのだが、杏奈は違っていた。
まったく男を寄せ付けないというオーラみたいなものが、彼女には出ているような気がした。
それからだろうか、剣士が杏奈を別の意味で意識するようになったのは。
今までずっと剣士のような見方をされてきたのだろう、だから彼女の中で男に対して本能的に身構えるというようなものが身に付いてしまっていたのかもしれない。
彼女を目で追うようになって、初めて知る部分もたくさんあった。
口では厳しい言い方をしているが、本当は相手のことをとても気遣っていて、だからこそそんな彼女を慕う女性が多いのも頷けた。
知らぬ間にどんどん引き込まれていて、杏奈の言うように剣士の一番嫌いな女性であったはずなのに、いつしか一番好きな女性に変わっていた。
あまり色恋沙汰には興味のなかった剣士が、心から人を愛したのだ。
が、元来優しい言葉など掛けられない剣士だったから、杏奈にうまく気持ちが伝わらない。

「口は悪いけど相手のことを誰よりも思ってること、人一倍努力家だってことも俺はちゃんとわかってるよ」

この男はズルイ。
こんなことを言われて、嬉しくない人などいるはずがないのに…。

「何でそんなこと言うのよ。危うく好きになっちゃうところだったわよ」
「そのつもりだったんだけど、さすが亀井さんだ。一筋縄ではいかないな」

剣士はちょっと残念そうな顔を見せながら、グラスを口につけた。

「当たり前じゃない、私を誰だと思ってるの?」
「おっ、その高飛車な言い方。最高だな」

杏奈はわざとこんな言い方をしてみせたのだが、剣士はそれがとても気に入っている様子。
そんな剣士に、つい杏奈の顔には笑みがこぼれてしまう。

「そうそう、やっぱり亀井さんには笑顔が似合うよ。でも、それを見せるのは俺の前だけにしてくれよな。俺さ、案外嫉妬深いんだよ。そんな顔、会社のやつらに見せたら勘違いするだろうから」
「大丈夫よ。私はあなたの思ってるような、可愛い女じゃないもの」

さっきまで嫌われているとばかり思っていた男にいきなり好きだと言われて、こんなふうにドキドキしながら話してるなんて…。
今までその立場から、真剣に男と付き合うということを拒絶していた杏奈には、この気持ちをどう受け入れていいのかわからなかった。
剣士は遊びで付き合えるような相手ではない。
このまま彼の胸に飛び込んでしまったら、もう二度と離れることはできないだろう。
そんなことを考えていると剣士が突然、驚くような言葉を口にした。

「俺、アメリカに行こうと思うんだ」
「え?」

アメリカに行く?
たった今、杏奈を口説いておきながら、自分はアメリカに行くと言うのか…。

「前からそういう話はあってさ、なかなか決心がつかなかった。でも、今決めた」

剣士の親戚にアメリカで事業を展開している人がいて、剣士にも手伝って欲しいと前々から言われていたのだ。
それを決断できなかったのは、ある意味杏奈の存在があったからなのかもしれない。

「何それ、信じられない。私を口説いておいて、ひとりでアメリカに行くって言うの?」
「だからこそ行くんだよ。亀井さんに似合う男になって戻って来るから、待っていて欲しい」
「それってすぐなの?嫌よ何年も待たされて、オバサンになるのは」
「どうかな。でも俺はオバサンになっても、亀井さんのことを好きでいる気持ちに変わりないから。それに俺だってオジサンになるんだから、同じだろう」

冗談とも本気とも取れる言い方をする剣士だったが、それが本当なら当分の間、いやもしかしたらもう会うことはできないのかもしれない。

「そんな顔するなよ。俺だって、亀井さんと離れ離れになるのは辛いけど、今の俺じゃあダメなんだよ。もっとデカイ人間にならなきゃ」
「私、待っていてもいいの?」

杏奈は、剣士の言葉通り待っていてもいいのだろうか?

「あぁ、待っていて欲しい。3年…いや2年で、必ず帰ってくるから」
「必ずよ。それ以上は待てないから」

剣士は杏奈の左手を取ると薬指の根本にそっとくちづけた。

「ここは、俺が予約したから」

その言葉を聞いた瞬間、杏奈の瞳からは大粒の涙がこぼれた。
抑えても抑えても、どんどん溢れてくるそれをどうすることもできなかったが、剣士は杏奈の肩に手を当てるとゆっくりと自分の胸に抱き寄せる。
そして杏奈の髪に顔を埋めて囁くように言った。

「愛してる」


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