「ねえ。比奈って今は付き合ってる人いないって、言ってたわよね?」
今日は久し振りにいいお天気だからと流行のパスタのお店でランチを食べている時、春姫がいつもとは違う真剣な表情でそう切り出した。
「何?急に」
「うん、実はね。比奈と私の写ってる写真をたまたま見た人が、比奈のことを気に入っちゃって食事に誘えってうるさいのよ」
「はぁ?何それ、そんな奇特な人いるの?」
杉本 春姫(すぎもと はるひ)とは2年前に今の会社に同期入社して同じ部に配属されて以来、ずっと親しくしている友人だ。
でも今までこんなふうに男の人を紹介するとかそういうことがなかったのでちょっと意外だったのと、比奈のことを気に入るような男の人がいることも信じられなかった。
「え~それ、本気で言ってる?比奈は可愛いから、社内でも狙ってる男が多いのに気付いてないだけでしょう?」
そんな話は今まで聞いたことがなかったというか、それより自分が可愛いなどと思えるはずがないのだから。
「春姫の言ってることの方が、全然わからないわよ。私は可愛くなんてないし、男の人が狙ってるわけないじゃない」
比奈があまりにも自分のことをわかっていないので、呆れた春姫はそれ以上深くは言えなかった。
「その人、私が言うのもなんだけど、結構いい男だし性格もいいと思うから、取り敢えず会うだけ会ってみて。ね?」
春姫からそこまで言われて断るわけにもいかず、仕方なく比奈は了承したのだった。
◇
それから何日か経った金曜日の夜、会社帰りに春姫の言っていた人と会うことになった。
その人は比奈よりも3歳年上の28歳で、名前を聞けば誰もが知っているという大手広告代理店に勤めていた。
比奈の希望で春姫にも一緒に行ってもらうことにして待合わせの駅で待っていると、ほどなくして春姫がその人に気付き軽く手を上げる。
比奈が春姫の視線の先に目にした人物は、背が高く爽やかでとても素敵な人だった。
「ごめん、遅くなって」
「あと5分遅かったら、帰るところだったわ」
笑いながら冗談っぽく、春姫が言う。
時計を見ればまだ待合わせの時間よりも少し前なのにと比奈は思いつつも、二人のやり取りを聞いていた。
「あぁ、比奈ごめんね。この人は、杉本 春樹(すぎもと はるき)。実は、私の兄なの」
「えぇぇぇ?!」
驚いた比奈は、春姫と兄春樹の顔とを交互に見比べていた。
言われてみれば、目元がどことなく似ているような気がするが…それにしても、どうしてこんなに兄妹二人揃って美男美女なのだろうか?
「それから、こちらが神原 比奈(かんばら ひな)さんね」
「はっ、初めまして。神原です」
春姫の後に続いて比奈も挨拶をしたが、どうにも緊張して声が上ずってしまった。
「こちらこそ初めまして、春姫の兄の春樹です。いつも、妹がお世話になってます」
優しい笑みをたたえながら答えた春樹は、あまりに綺麗な瞳で比奈を見つめるので思わず見惚れている自分に気付き、慌てて視線を逸らして誤魔化した。
「兄貴、お腹空いちゃった。早く食べに行こう」
「何だよ。今日のお前は、おまけだろう?」
そんな呆れ顔の春樹にはお構いなしの春姫が腕を引っ張って歩き出し、春樹お薦めというイタリアンの店に足を運んだ。
「ねぇ兄貴って、どうやってこういうお店を探すわけ?」
春姫の言うように春樹の連れて来てくれたお店は、イタリアの田舎街にあるような家をそのまま持ってきてしまったような石造りの店内に、中央には大きなピザを焼く石釜も見える。
「職業柄、業界の人と会うことも多いから、色々教えてもらうんだよ」
春樹の勤めている会社は大手広告代理店、それを聞けば納得できる話だろう。
既に予約をしてあったようで、店員に春樹が名前を告げると奥の席に案内された。
「料理の方はお任せで頼んであるんだけど、飲み物は比奈ちゃんも春姫もワインで大丈夫かな?」
いきなり春樹に比奈ちゃんなどと呼ばれて、緊張してずっと俯いていた比奈は反射的に春樹の方に顔を向けた。
相変わらず、春樹は優しい微笑で比奈の方を見ている。
―――お願いだから、そんな目で見ないで。
比奈の心臓が、わけもなく大きく鼓動を打ち始めていた。
「大丈夫よ。ねっ、比奈」
「え?はっ、はい」
―――何か、ものすごく緊張するわ…。
さっきから比奈に向けられる春樹の視線が、ひどく比奈を動揺させていた。
春樹は話し上手と言うよりは、どちらかというと聞き上手な感じだろうか?
春姫と比奈の会話にさり気なく相槌や言葉を挟んで、場を盛り上げてくれる。
ずっと緊張しっぱなしの比奈もそのおかげで、段々と打ち解けて普段の自分を出すことができた。
料理もさすが業界人御用達のお店だけあってとても美味しく、あっという間に時間が過ぎて、ほろ酔い気分で店を出るとすぐに春姫の携帯が鳴り出した。
聞こえてくる会話から、どうやら春姫の彼氏からのようだ。
「彼が迎えに来てくれるって言うから、私はここで失礼するわね」
「あぁいいけど、今夜も泊まりか?」
春樹の質問への返事の代わりに、春姫は左目をウインクして答える。
またか…という呆れた表情の春樹を見ると妹の外泊、それも男となれば兄としては複雑な心境なのなのだろう。
「兄貴、比奈のこと頼んだわよ。言っておくけど、大事な友達なんだから変なことしちゃ駄目よ」
「わかってるよ。もう、さっさと行けよ」
追い払うように春樹が手を振る。
「言われなくても行くわよ。じゃあ比奈、兄貴をよろしくね。それじゃあ、また月曜日にね」
春姫はそう言って、彼との待ち合わせの場所に向かって行った。
「比奈ちゃん、まだ時間平気?」
「あっ、はい…」
ちらっと時計を見ると、21時を少し回ったところだった。
比奈は独り暮らしをしていたので、特に門限など存在しない。
「それじゃあ、もう一軒付き合ってもらってもいい?」
春樹の問い掛けに、ただ黙って頷いていた。
次に入ったお店は、高層ビルの最上階にあるバーだった。
大きく一面にとられた窓の向こうには、恐らく夜景が一望できるのであろう。
二人は、窓際に添って並んでいるカウンター席に腰を下ろした。
「比奈ちゃんは、何がいい?」
「私、こういうところにはあまり来ないので何を頼んでいいのかわからないんです」
「そっか、じゃあここのオリジナルのカクテルはどう?少し甘めだけど、飲みやすいと思うから」
「はい、それでお願いします」
カウンター内にいるバーテンに、オリジナルのカクテルと春樹はウイスキーのロックをオーダーした。
「比奈ちゃん、煙草いい?」
比奈が「どうぞ」と言うと、春樹は胸ポケットから煙草の箱を出して一本取ると火を点けた。
食事の時は吸わなかったところを見ると、我慢していたのだろうか。
ふーっと、大きく煙を吐いた。
「知らない男に急に会ってくれなんて。それも春姫の兄貴だったなんて、比奈ちゃんビックリしただろう?」
室内の薄暗い照明とカウンターで隣同士に座っていることもあって春樹の顔はよく見えないが、かえってそれが比奈には春樹と二人だけという緊張感を解きほぐしてくれていた。
「はい、私なんかと会いたいっていう男の人がいることも信じられませんでしたけど、それがまさか春姫のお兄さんだとは思いませんでした」
「ちょっと前にさ、比奈ちゃんと春姫達の会社でどこかの温泉に行っただろう?あの時の写真を春姫が見ていてそれを見せてもらったんだよ。浴衣姿で春姫の隣に写ってる比奈ちゃんを見てすごく可愛いなって思って、冗談交じりで聞いてみたんだ。この子、彼氏とかいるの?って、そうしたら多分いないと思うって言うから即行食事に誘ってくれって頼んだんだ。初めは春姫も絶対駄目って全く聞き入れてもらえなかったんだけど、しつこく言ったらじゃあ取り敢えず聞いてみるって言われて。でも本当に来てくれると思わなかったから今日はすごく嬉しかったよ」
「え?あの写真、見たんですか?」
―――はぁ…。
今から一ヶ月ほど前になるが、毎年恒例の部内旅行に一泊二日で草津温泉に行った。
多分、春姫の隣に写っている比奈というのは、浴衣姿で酔っ払ってる写真のことだろう。
夕食の宴会の後に調子に乗って先輩男性社員の部屋にみんなで乗り込んだところを写真に撮られてしまったのだ。
よりによって、どうしてあんな写真を見て可愛いなどと思えるのだろうか?
「全部、見せてもらったよ」
全部見たとしても失態はあの浴衣姿だけだから、まだ許せるが…。
「えっと、春樹さんはもしかしものすごく目が悪いですか?」
「俺?俺は、両目とも裸眼で1.5だからね。全然悪くないよ」
目が悪くないとなると、益々比奈を可愛いと思う理由がわからない。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?」
「春樹さんは、私から見てもすごくカッコいいと思います。それなのにどうして私なんでしょうか?業界の人ともお知り合いなら、もっと素敵な人がたくさんいるのではないですか?」
もしかしたら芸能人とだって知り合う機会があるかもしれないし、春樹ほどの人だったらあながち相手になっても不思議はないだろう。
「比奈ちゃんは、春姫の言っていた通りだね」
「え?」
「春姫が言っていたよ。比奈ちゃんは誰が見てもすごく可愛いのに自分のことを全くそんなふうに思っていないって、まぁ自分のことを可愛いって思える人はそうそういないとは思うけど。でも比奈ちゃんだったら周りからも言われてきただろうし、少しは自覚があってもよさそうなものだけどね」
確かに小さい時から、比奈ちゃんは可愛いわねとか将来はモデルさんか女優さんになるの?なんて言われたことがあったけれど、それはいわゆる社交辞令というもので、一度も本気になどしたことはなかった。
「そんなことないですよ。自分の顔は、自分が一番良くわかってますから」
「そういうところが、比奈ちゃんのいいところだよな。俺、益々気に入ったよ」
「へ?」
―――何なの?一体。どうして、そこで気に入られるの?
「あのさ、よかったら俺と付き合ってくれないかな?もちろん遊びじゃないよ。近い将来、結婚も視野に入れた本気の付き合いだからね」
―――はぁ?今なんとおっしゃいました?
結婚?!…。
「けっ、結婚ですか?」
「そう、それくらい俺は真剣だってこと。返事は今すぐにとは言わないから、ゆっくり考えてみてくれないかな」
春樹からのいきなりの申し出に比奈はどう答えればいいのかわからなかったが、春姫の兄ということもあるし、彼の言葉通り返事は少し考えさせてもらうことにした。
+++
月曜日の朝、比奈が会社に行くとロッカールームに先に来ていた春姫と会った。
「おはよう」
「あぁ、比奈、おはよう。ねえ、あれから兄貴とどうなったの?」
春姫は春樹と比奈と別れた後、彼の家に行ったままで、自宅に戻ったのは昨日の夜遅くだった。
既に自室に入っていた春樹とは今朝も時間が合わず、まだ話をしていなかったのだ。
「うん、夜景の綺麗なバーに連れて行ってもらった」
「それから?」
春姫は、興味深々という顔で迫るように聞いてくる。
「それからって、それだけよ?」
「何か、他にはなかったの?」
「意味わかんない」
春姫が、何を期待しているのか…。
「それで、これからどうするの?付き合うとか、そういう話は?」
「うんそれがね、付き合ってくれないかとは言われたんだけど…」
「けど?」
「結婚を視野に入れた、本気の付き合いだって」
「ふううん」
春樹がいつもと違うとは思っていたけれど、それくらいの想いがなければ大切な友達の比奈を紹介したりはしない。
「それで比奈は、何て言ったの?」
「ゆっくり考えて欲しいからって、言われて。だから、返事はしてない」
「そっか、比奈は兄貴のこと嫌い?」
「え?そんなことないけど、春樹さんは私にはもったいないし、それに急に結婚なんて言われても…」
「比奈。まだ、そんなこと言ってるの?私から言わせれば、あの兄貴に対して相手が比奈っていう方がもったいないって言うのよ」
「そんなことないわよ」
「どうして?私は妹だから言うわけじゃないけど、比奈と兄貴はお似合いだと思うわよ?」
「だって…」
「だっても、クソもないの。そういうとこ比奈の悪いところよ?比奈は人の世話ばっかりやいて、自分のこととなるとほんと疎いんだから。兄貴は比奈のことが好きって思うからこそ、そこまで言ったんだと思う、だから比奈も自分に合うとか合わないとかじゃなくて、自分はどうしたいのか考えて欲しいな。兄貴の気持ちを真剣に受け止めて欲しいの」
こんな真剣な顔の春姫を見るのは、初めてだった。
「実はね、兄貴は初め冗談で言ってるのかなって思ったの。こんなこと言うのもなんだけど、あの容姿だし、職業的にね前はそれなりに女遊びも派手だったのよ。でもここ1年以上は、誰とも付き合ってなかったみたい。それが比奈の写真を見て、彼氏いるのか?いないなら、食事に誘ってくれって言われた時には驚いたわよ。だって、あの時の比奈って浴衣姿は半分乱れてたし、酔っ払って目は虚ろだし、お世辞にも可愛いって感じじゃなかったわよね。それなのに兄貴は、可愛いって言ったんだから。もしかして、これは本気なのかなって思ったの。よく比奈の話は家でもしていたから、外見だけで比奈を好きになったわけじゃないって」
「うん、わかった。ゆっくり考えてみる」
春姫の兄のことだから、外見だけじゃなくてきっと全てが素敵な人に違いない。
まだ少し戸惑う部分がないわけじゃないが、比奈はこの出会いを大切にしたいと思った。
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