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Chapter16
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「はぁ〜あ。まったくあのハゲ課長のやつ、絶対許せない!」

定時間際に今日中にやらなきゃいけない見積書の作成を言うの忘れてたといきなり課長に言われたのだ。
そして、『君には、彼氏はいないんだろう?だったら少しくらい残業したって平気だよね』と抜かしやがった。
―――このセクハラオヤジのハゲ課長!
友達と会って食事をする約束だったのを断って、今の今まで仕事をしていたのだった。
吉崎 未有(よしざき みゆう)はこの会社に入社して4年目になる。
営業部に所属していて、主に見積関係の仕事をしている。
ハゲ課長はつい最近うちの部に異動して来て未有の上司になったから、関係はまだ浅いけどこんな調子では先が思いやられる。
とっとと仕事を終えると今にも噴火しそうな勢いで、未有は会社を後にした。

「吉崎さん―――」
「何!!」

誰に声を掛けられたのかも確認しないまま、機嫌が悪かったのでぶっきらぼうに返事を返してしまった。
振り返ると声の主は、栢原 脩二(かやはら しゅうじ)だった。
栢原は、未有と同じ3年前にこの会社に入社した同期。
同じ部に所属しているが特に可もなく不可もなくという男で、あまり深く関わったことはない。
部の飲み会などに行くとまれに彼の名前を女子社員から耳にすることはあるが、ものすごくいい男ではないけど仕事もそこそこできて優しいし、結婚するならああいう男がいいのだそうだ。

「どうしたんだ?なんだか、ものすごく怒ってるみたいだけど」
「あっ、別に栢原のことを怒ってるわけじゃないのよ。今まで、ハゲ課長のせいで残業させられたのとセクハラ発言に腹が立ってたからつい勢いで…」
「ハゲ課長って…田中課長のことか?なんか、吉崎さんらしいな」

栢原は、苦笑しながらも結構納得していたようだった。

「栢原も今帰り?」
「あぁ、いつもこんな感じだけどこれでも今日は早い方かな」
「大変だね。栢原のところは、いつも忙しいもんね」

栢原のグループは大口の顧客を抱えていて、その受注が最近取れたらしくものすごく忙しいのだと聞いていた。

「吉崎さんは、一人暮らしだっけ?」
「うん。そうだけど、何で?」
「食事とか、自分で作ってるのか?」
「いつもはそうだけど、今日は面倒だからコンビニにでもお世話になろうかなって思ってたところ」
「だったらさ、俺に付き合わない?奢るからさ」
「えっ?」

同期で飲みに行ったりすると栢原も一緒にいるってことは度々あったけど、二人っきりでなんてなかったから少し躊躇った。
別に栢原が嫌なわけじゃないのだけど…。
それに他意もないのだろう。

「うん。いいよ」

奢ってくれるという言葉に引かれたわけじゃないけど、なんとなく栢原と話してみたい気分になっていた。

「俺、あんまりおしゃれな店とか知らないけど、結構うまい料理を出してくれる店があるんだ。そこでいいかな」
「いいよ、どこでも」

未有は、栢原の案内で一軒の店の前に来ていた。
見た目は普通の古民家という感じで、知らない人はそこが店だとは気が付かないかもしれない。
栢原は扉を引いて未有の方を見ると「どうぞ」と言って、未有が先に入るまで待っていてくれた。
なんか今まで彼氏でもこんなふうにしてくれる人はいなかったので、少し恥ずかしい気もしたけど、取り敢えず中に入る。
店内は思ったよりずっと広くて、天井は吹き抜けで大きな梁が何本もあった。
栢原はおしゃれな店を知らないって言っていたけど、これは人によってはかなりポイントが高いんじゃないかなと思う。
手前にカウンター席と奥は座敷になっているみたいだったが、二人は真ん中の大きな囲炉裏のあるテーブル席に並んで腰を降ろした。

「栢原、なんでこんなお店知ってるの?」
「あぁ、大学時代の先輩によく連れて来てもらったんだよ。でも女の子って、こういうところあんまり来ないだろ?」

確かに周りを見れば男性ばかりで、若い女の人は自分くらいしか目に入らない。
魚でも焼いているのか煙も上がっているし、栢原の言うように今時の若い女性は好まないかもしれないが。

「私、こういうところすっごく好き」

未有の言葉に栢原は、意外という顔をした。
それもそのはず、未有はとてもこの店には似合わなかったのだから。

「ならいいけど。何か飲む?吉崎さんは、結構お酒はイケル口だったよな」

栢原は、メニューを未有に差し出した。
まぁ、いつも飲み会で未有が飲んでいる姿を見ているのだからお酒が強いのは知っていたのだろう。

「栢原は、何にする?」
「俺は、日本酒かな」

え?栢原って、日本酒好きなんだ。
てっきり、ビール党だとばかり思ってた。

「栢原、日本酒飲むの?」
「実は日本酒好きなんだよ。会社の飲み会だと、周りがビールだから合わせてるけどな。吉崎さんは焼酎が好きなんだっけ?」
「えっ、どうして?」
「なんか、見てるといつも焼酎飲んでるから。それも、決まって梅割りだよな」

―――ゲっ、知ってたんだ。そうなのよ、私は梅割りが大好きでそれも箸でぐちゃぐちゃってするのがね。
オヤジくさいからやめてって友達にはよく言われてるんだけど、好きなんだからしょうがないじゃない。

「見てたの?オヤジみたいだって言いたいんでしょ。友達にもよく言われるもの」
「いいんじゃないか?俺は気にならないし、逆にそういうの好感が持てる」

え?未有は、思わず隣の栢原の顔を見上げた。

「一応、誉め言葉として受けておくわ」

栢原は山形の地酒、未有は梅割りと適当な料理を頼んだ。
彼はメニューを見てもあまり悩むことはないらしく、ぱっぱと料理を注文していく姿は未有とはえらく違うと思った。
未有はいつも悩んでしまって、結局迷って相手と同じにしたりしてしまうことが多かったから。
優柔不断と言えばそうなのかもしれないけど。

「吉崎さんって、彼氏いないのか?」
「はぁ?」

いきなり変なことを言い出すから、突拍子もない声を上げてしまった。

「いやぁ、さっき田中課長がそんなことを言っていたからさ」
「やだっ、聞いてたの?」

さっき、ハゲ課長が未有に見積書の作成を頼んで来た時に『君には、彼氏はいないんだろう?』って言われたのだった。
この前の課長の歓迎会の時に、ついそのことを話してしまったのを覚えていたらしい。

「聞いてたって言うか、聞こえたっていう方が正しいと思うけど、本当なのか?」
「彼氏がいないのは本当だからしょうがないんだけど、まったくハゲ課長のやつ、声が大きいのよね」
「冗談だと思ってたけど、本当だったんだ。てっきり、吉崎さんなら彼氏はいると思ってたよ」
「なんか、外見と中身のギャップが激しいらしくて…別に猫被ってるわけじゃないのに君には付いていけないって、いつも相手からフラれちゃうのよね」

未有は自分ではよくわからないのだが、見た目はおしとやかでおとなしい子に見られているようで、実際の性格はそんなじゃないからギャップについていけないって一方的に相手からフラれてしまう。
―――あぁ、なんでこんなこと栢原に話しているのかしら。

「ごめん。実は、俺も初めはそう思ってた。外見と違うんだなって。でも、話していると今の吉崎さんの方が自然なんだって思う。きっと相手の見る目がなかったんだよ」
「え?」

こんなふうに言われたのは、初めてだった。
いつも上部だけしか見られていなくて、どうして本当の自分を見てくれないの?って心の中で叫んでたから。
ちょっと湿っぽい話になっている時に、ちょうどよくお酒が運ばれてきた。
栢原が自分でお銚子から注ごうとしていたので、未有は素早くそれを注いであげた。

「じゃあ、今日は可愛そうな私を励ますってことで」

お互いのグラスを合わせると彼は、一気に飲み干した。

「栢原って、優しいよね」

未有の口からぽろっと出た本音だった。

「そんなこともないぞ。友達なんかには、お前って冷たいよなとか言われるし」
「そうなの?だって女の子達が言ってるわよ、栢原は優しいって。仕事もできるし、旦那さんにするなら栢原みたいな人がいいんだって」
「何?俺ってそんなこと言われてるのか?まいったなあ」

―――栢原、顔が赤いけどそれってお酒のせい?それとも照れてるの?

「それより、栢原彼女は?私なんかと、こんなところで飲んでる場合じゃないんじゃないの?」

―――そうよね、栢原に彼女がないとは限らないわけだし。

「俺、彼女いないから」
「えっ?でも、モテるでしょ?」

―――今、彼女がいなくても、案外モテるんじゃないの?

「全然モテないよ。吉崎さんから見て、俺ってどんなやつなわけ?」

野菜の煮物を食べながら、栢原が言う。

「そうねえ。ものすごくいい男ってわけじゃないけど…。あっ、ごめん変な意味じゃないんだけど… 」

慌てて否定したけど、栢原は苦笑してる。

「私から見ても仕事はできると思うし、相手のことを気遣ってて、やっぱり優しいと思う。それに自分の意見もちゃんと持っていて実はとっても男っぽくて頼りになるんだなって」
「吉崎さん、すごい誉め言葉だよな。それ聞くと俺って、かなりイイ男じゃない?」
「いい男だよ」

自分で言ってて、はっとした。
今までなんとも思ってなかったのに3年間一緒にいてもわからなかったことが、たった数時間でこんなふうに思うなん…自分でもびっくり。

「そんなふうに言ってくれるの、吉崎さんだけだよ。俺っ、いつもいい人ねで終わっちゃうんだ。何かが足りないんだって」
「それこそ、栢原のことわかってないんだと思う。栢原は優しくていい人だけじゃない、そこを見抜けない女なんてやめた方がいいのよ」

栢原が、じっと無言で隣の未有を見て言った。

「俺達、似たもの同士なのかもしれないな」

未有もその言葉に同意を込めて頷いた。
お互いの印象が、180度変わった瞬間だった。
それから未有は会社のこと(主にハゲ課長のこと)とか友達のこととか、学生時代のことなどを延々話続けていた。
それを黙って、時たまいい感じで言葉を挟む栢原の存在がとても心地よかった。
自分が友達以外にここまで話をしたのは、多分初めてのことだと思う。
まして男になんて、こんな話はしたことがない。
栢原には悪いけど、未有は一方的にしゃべるだけしゃべって店を出た。

「栢原、本当に奢ってもらっていいの?私、すごい飲んだし食べたのに」
「いいよ。俺が誘ったんだし、それに奢るって言ったんだから」

未有がいくら自分の分は払うと言っても、受け取ってくれなかった。
そういうところは、案外頑固なのかもしれない。
これ以上言うのもなんなので、今回のところは素直に奢ってもらうことにした。

「でも、私ばっかりしゃべっててつまらなかったでしょ?」
「そんなことないよ。吉崎さんの意外な一面が見られて、俺は楽しかったけど」
「ほんと?私も栢原の意外な一面が見られて、すごく楽しかった」

二人で同じようなことを言って、どちらからともなく吹き出して笑い合った。
すると栢原が、言いにくそうに言葉を発した。

「あのさ、よかったらまた誘ってもいいかな」
「え?」

栢原の言葉にはたった今誘ったのと同じで、意図なんかなかったんだと思う。

「いいよ。私でよかったらいつでも付き合う。あっ、でも今度は割り勘でね」
「あぁ、わかったよ」

それから栢原は、未有の家は駅のすぐ近くだから大丈夫だという言葉も聞かずに家の前まで送ってくれた。
―――まったく、律儀と言うかなんというか…。
未有の中で今までなんとも思わなかった栢原の存在が、どんどん大きくなっていくのを感じていた。

+++

それから、週一程度で栢原から食事に誘われるようになった。
初めはいきなり社内メールが来たので何かと思ったら、栢原からの誘いだった。

『吉崎さん、今夜空いてる?焼き鳥のうまい店を原田に教えてもらったんだけど、どうかな?』

―――焼き鳥かぁ、いいわねぇ。でも栢原、仕事はいいのかしら?

「私はOKだけど、栢原は仕事平気なの?」
『大丈夫。今日は井上課長が出張でいないから。19時に駅前で待ち合わせでいいか?』

―――そっか、今日は課長は出張でいなかったものね。

「いいよ」
『じゃあ後で』

こんな感じで栢原の仕事の都合で誘われるから当日いきなりってことが多いんだけど、未有の方はそんなに遅くなることもないので、何かある時は栢原の方が待っていてくれる。
別に付き合っているわけでもないし、恋人同士でもないのにこうやって誘ってくる栢原の気持ちがわからないでもないんだけど、それでもいいのかなって思う。
約束の時間少し前に駅で待っていると、すぐに栢原が現れた。

「ごめん、遅くなって」
「まだ、時間前よ?」

栢原にとっては人を待たせるということが、例え約束の時間前であっても自分が悪いと思ってしまうようだ。
本当に律儀だなあと思う。
原田に教えてもらったという焼き鳥のお店は、これまた渋〜い通しか来ないようなところだった。
原田と言うのは栢原と未有と同じく同期で、彼は違う部署に配属になっているけど、栢原とは研修中から仲がよかった。

「吉崎さんって、ほんとこういうところ似合わないんだけどな」
「そう?私は、大好きなんだけどね」

未有がおしゃれな店よりも男くさい店を好むのを栢原は知っているから、いつも行く店はこんな感じだった。

「本人がいいなら、俺は何も言わないけどさ」

そう言って、何も聞かずに梅割りを頼んでくれた。
もう何も言わなくても、わかってくれているようだった。
そんなところも、栢原とは気兼ねなく付き合えるところなのかなと思った。



今夜は部内の親睦会、ふと思い出したように美久が言う。
隣に座っている桂木 美久(かつらぎ みく)は、未有と同期で同じ部に配属された一番の仲良しだった。

「そう言えば。最近、栢原が急にいい男になったわよね」

栢原という名前に敏感になっている未有は、思わず飲んでいたビールを吹き出しそうになった。

「何でそう思うわけ?」
「わかんないけど、何となく。だって今まで特にそんなふうに思ったことなんてなかったけど、この前見た時にドキッとしたのよ。こう男っぽくなったっていうのかな、あれは絶対女だわ」

―――美久ったら、鼻息荒いわよ。
いい男となると目がないんだから、まったく呆れちゃうわ。
でも、未有も少なからずそう思っていたことは事実だった。
一緒にいる時間が長くなったせいか、どんどん栢原がカッコよく見えてくるのだ。
未有の勘違いかと思っていたけど、あの美久もそんなふうに感じていたのだから間違いないんだろう。
―――だけど、女って誰なのよね。

「だけど、あの子達もゲンキンよね。栢原のこと今まで対象外って感じだったくせに、急にかっこよくなったからってあんなふうに纏わりついたりして」

美久が、2つ先のテーブルを見て言う。
栢原の周りには部内の数人の若い女の子達が取り囲んでいる、どうやら個人的な飲み会に誘っているようだ。
―――栢原、あんなに人気あったんだ。
知らなかったな。
若い女の子達に囲まれていつものように優しい笑顔の栢原を見るのが、未有にはなぜか少し胸が痛かった。

「そうだね。栢原ってほんとにいいヤツだから、外見だけで判断して欲しくないな」
「そう言えば。私、未有と栢原が一緒に歩いているところを見たのよね」
「えっ?いつどこで?」

未有は栢原とは会社帰りによく食事に行っていたから、誰かに見られていても不思議ではなかった。

「やっぱり、そうなんだ」

え?未有には最初美久の言っている意味がわからなかったのだが、少し考えてそれが嘘だと言うことを理解した。

「鎌かけた?」
「ごめん。なんか未有と栢原って最近仲いいなって思って。特に栢原の方がね、未有を見る目がすごく優しい気がしてた。でも、未有何も言ってくれないから違うのかなって…。それであんた達は付き合ってるわけ?」
「なっ、何言ってるの?私達そんなんじゃないし、付き合ってなんかないわよ」

―――美久は、一体何を言い出すのやら…。
未有は、小さく溜め息を吐いた。

「ほんと?」

美久の様子では未有の言ったことなど信じる様子もなく、疑いの眼差しでこっちを見ている。

「ほんとだって。ただ会社の帰りにちょっと食事をするだけだし、別に栢原から付き合おうとかそういうこと言われたわけじゃないから」
「そうなの?」

まだ、信じていない美久に向かって大きく何度か頷いて見せた。

「それで、未有はどうなわけ?栢原のこと、好きじゃないの?」
「はぁ?」

未有は飲んでいたビールを、また吹き出しそうになるのをかろうじて押さえた。
好きなのかどうか…それは、好きか嫌いかと問われれば間違いなく好きと答えるだろう。
でも、それが男と女の愛情となると話は別だ。
栢原はいい人だと思うけれど、それは美久に対する気持ちと同じなのだ。

「いい人だって思うけど、私の今の気持ちは美久に対するそれと同じかな。いい友達だと思うけど男としては意識したことないもの」
「そっか、でも栢原が変わったのって未有の影響なのね。今までの栢原ってどこか自信がなさそうな感じだったのが、最近は全然違うもの」

美久はとても相手をよく見ているというか、鋭いところがあるから、栢原のちょっとした変化も見逃さなかったのだろう。

「栢原にも同じようなこと言われたけど、私はそんなんじゃないわよ。思ってることを口に出してるだけだし」
「そこが、未有のいいところだと思う。それと未有もすごく変わったと思う、いい意味でね。こうどこか自分を作ってるっていうか、誤魔化してる部分があったでしょ?未有のこと外見で判断してる人が多いから、みんなの理想の未有を装ってたんだと思う、そういうところわからないでもないんだけど。それが今は素直に自分をさらけ出してる。肩肘張らないで等身大の未有って感じがしてすごくいい顔してるもんね」

美久の言うように栢原と一緒にいることが多くなってから、すごく気が楽になっていたことは確かだった。
彼に対してはそのままの自分を出すことができたから、きっと他の人達に対しても自然にそうするようになっていたのかもしれない。
でも…。
『栢原のこと好きじゃないの?』
さっき美久に言われた言葉が、頭を過ぎった。


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