―――もう、これに頼るしか道は残されていないかぁ――――。
定時後の誰も居ない休憩コーナーで、平沢 那智(ひらさわ なち)は1人とあるクラブの入会案内を開いていた。
あまりに真剣にそれを見ていたせいか、近くに人が居ることすら気付かなかった。
「那〜智さん。こんなところで、何を真剣な顔して見てるんですか?」
「うわぁっ」
那智はとっさに手に持っていたものを隠そうとしたが時既に遅し、あっさりと目の前の若者、一応那智の部下である上原 良輔(うえはら りょうすけ)に奪われてしまった。
「ちょっと上原。返してよ!」
那智はソファーから立ち上がると良輔からそれを奪い返そうとしたが、那智の手は空を切った。
自分より頭1つ以上違う彼に天高く掲げられては届くはずもなく…。
仕方なく那智は、諦めてもう一度ソファーに腰を埋めた。
「素敵な出会い、サポートします―――。何ですか?これ」
良輔、がイマイチ理解できない様子でそれをマジマジと見ている。
―――何もそんな声に出して読まなくてもいいじゃない。
あ〜ぁ、マズイところを見られちゃったわね。
那智は、年甲斐もなく膨れっ面で良輔を見上げた。
「いいでしょ別に。上原には、関係ないことなんだから」
「これって、もしかして出会いクラブみたいのですか?」
「そうよ悪い?」
こうなったら開き直るしかない。
「そんなに怒らないでくださいよ」
良輔は苦笑しながら少々やり過ぎたかなと反省しつつ、パンフレットを那智に返すと隣に腰を下ろした。
「どうして、こんなの見てるんですか?」
「どうしてって、そのまんまよ。結婚相手を探すために決まってるでしょ」
―――何で、そんな当たり前のこと聞くのよ。
「那智さん。結婚したいんですか?」
「そりゃあ、30過ぎていい歳なんだもの。私だって、結婚くらいしたいわよ」
那智はつい先日、30歳の誕生日を迎えたばかりだった。
自分の中の人生計画では、30までに既に子供が1人居る計算になっていた。
結婚なんてその大前提であり、論外だったはずなのに…。
そういう相手が居なかったわけではないが、まだ若かったせいかそこで決断することができなかった。
今となっては、あの時… と後悔せずにはいられないけれど。
さすがにここまで来れば結婚できるだろうと思っていたのだが、こればっかりは予想外の展開になってしまった。
この歳になって今から彼氏を探すのも困難だと思うけど、そこから恋愛して結婚に至るまでの道のりはそれ以上に長く困難だろう。
知り合いの人に誰か見合い相手でも探してもらおうかと思ったが、やはりそういうのは気を使うだろうからと那智は思い切って出会いクラブに入会しようと決めたのだった。
今、那智の隣に座っている良輔は、去年入社して今年24歳になる2年目の若手社員。
爽やかで、誰にでも向けられるその笑顔は好感が持てる。
最近入社した人の中で一番いい男だと言われていたから、那智の下についた時はみんなに羨ましがられたものだった。
仕事も真面目で覚えも早く素直だから、教える側としては楽なんだけど、時たま今みたいに子供っぽい少年みたいな部分もあって、那智はよくからかわれている。
「那智さんは、いいんですか?こんなふうに出会って結婚しても」
「どんな形で出会っても、出会いには変わりないでしょ?」
「俺は、そんなの嫌ですね」
あまりに良輔がきっぱりと言い切ったので、少し戸惑った。
「上原は、まだ若いからそんなふうに思えるのよね。そりゃあ、私だって本当に好きな人と出会って結婚できればそれが一番いいに決まってるけど、そうも言ってられないのよ仕方ないでしょ」
「那智さんは、妥協で結婚するんですか?」
今日の良輔は、いやに噛み付いてくる。
「妥協なんてそんな… 。仕方ないって言い方は良くないかもしれないけど、そういう場所でも運命の出会いはあるかもしれないじゃない。現にそれでうまくいっている人達がたくさん居るのも事実だし、結婚って好きなだけじゃできないことでしょ?お互いの家とか生活の安定とか、色々絡んでくると思うの」
―――うちの両親だって、お見合いで結婚したんだもの。
その割に仲良いし、恋愛して結婚するのだけが幸せとも限らないじゃない。
結婚してから恋愛したって、いいと思うから。
「じゃあ、那智さんってどういう人が理想なんですか?」
「う〜んそうねえ。歳には拘らないけど、やっぱり優しい人が一番かな。私、結構我がままだしね」
良輔は、我がままという部分にだけ相槌を打った。
―――やっぱり、そう思われてるのね。
「俺くらい年下でも、構わないんですか?」
「上原?って、今年24だっけ?」
「はい」
「6歳かあ、どうなんだろうね。私はいいけど、相手次第じゃないの?上原から見たら、私みたいな年上はどうなわけ?」
―――そこまで年下っていうのは考えたことがなかったけど、相手から見たらどうなんだろう?
上原だって、やっぱり若い子の方がいいわよね。
「俺は、那智さんだったら全然OKですよ」
「へ?」
あまりに意外な答えだったから、あっけに取られて変な声を上げてしまった。
でもよく考えたら社交辞令ってのもあるわけだし、というかそれが普通でしょ。
面と向かって『年上は嫌です!』なんて言われても、凹むだけだものね。
「ありがとう。参考にさせてもらうわ」
那智はそこで話を切り上げて、残りの仕事を片付けるために自分の席に戻った。
今度の休みにでも、入会の手続きに行こう。
那智は、心に決めたのだった。
+++
土曜日の午後、那智は初めて出会いクラブという場所に足を踏み入れた。
―――なんか、恥ずかしいかも。
まさか、自分がここに来るとは思わなかったしねぇ。
ここに居る人達が、みんなそういう意思を持って来ているのだと思うとどうも複雑な心境だ。
どんなことも経験というのが重要だから、これで決めてしまうというよりは一つの手段として考えてみればいい。
そう心に言い聞かせて、那智は受付に向かった。
綺麗なお姉さんに入会の旨を伝えると、奥の個室のようなところへ案内された。
用紙に必要事項を記入して、お姉さんがその情報を用意してあったノートパソコンに素早く入力する。
「それでは相手の方の希望を聞いて参りますので、そんなに硬く考えずに答えてくださいね」
「はい」
どんなことを聞かれるのか少し不安になりながらも、お姉さんの質問を待った。
「まず、年齢ですね。何歳から何歳までの方がご希望ですか?」
ふと良輔のことが、頭をよぎった。
実際6歳年下というのは、どういうものなんだろうか?
普通に会社で話している時にはそれほど違和感を感じるわけでもないが、取り敢えず上限10歳までと答えておいた。
よく考えれば、20歳っていうのはあり得ないことなんだけれども。
「では、職業や年収などはいかがですか?」
職業に関しては、特に希望はなかった。
ただ、自分はまだ会社を辞めるつもりがなかったし、できれば子供ができても産休を取りたいくらいだったので、休みが同じ方がいいと思うけど。
年収に関しても、特別お金持ちがいいとかそんなことも考えたことはない。
そこそこの会社に勤めていればいいと思った。
その他、身長だとか趣味だとかそういう細かい部分まで、自分の希望を挙げるのね。
そして、一致する相手と実際に会うことになるそうだ。
だいたい、一週間ほどで何人かの相手に絞って相手のリストを出してくれるそうなので、それから写真を見て会うかどうか決めるらしい。
とにかく第一段階は、終了した。
後は、結果を待つだけね。
―――いい人が、見つかるといいんだけど。
那智は、1人思いながら自宅に戻った。
+++
週が開けて月曜日、会社に行くと良輔が那智の元にやって来た。
「例のクラブに行ったんですか?」
良輔は、小声で那智の耳元でそう囁くように言った。
「行ったわよ。一週間後に連絡が来ることになってるわ」
「そうですか。いい相手が見つかるといいですね」
いつもみたいに冗談を言うでもなく、良輔は真顔でそう言うと自分の席に帰って行った。
―――上原、どうしたのかしら?
変な奴と思いながらも、那智は早く一週間が過ぎないかと思っていた。
その週はそれほど忙しいわけでもなく穏やかに過ぎて行き、そんな金曜日の午後に那智の携帯のバイブが鳴った。
急いで画面を見ると“―――クラブ”の文字。
那智は、取り敢えずオフィスを出ると休憩コーナーへ向かった。
「もしもし」
『わたくし、―――クラブの大山と申します。そちらは、平沢 那智 様の携帯でよろしいでしょうか?』
「はい、そうです」
『先日は、ご入会いただきありがとうございます。平沢 様のご希望に副う相手が3名いらっしゃいましたので、どなたと会うか決めていただきたく、都合のいい時にこちらにおいでくださいますか?』
「3人も居たんですか?じゃあ、明日の午後にでもそちらに伺います」
『それでは、お待ちしております。失礼致します』
そう言って、電話を切った。
―――3人も居たなんてね。
どんな人なのかしら…。
う〜ん早く見たい。
「いい相手が、見つかったんですか?」
いきなり自販機の横から、良輔が出てきた。
「上原、ずっとそこに居たの?人の話を盗み聞きするなんて、ひどいじゃない」
「盗み聞きなんて、人聞きが悪いですね。那智さんの声が俺の耳に勝手に入って来ただけですよ。それに俺は、那智さんが来る前からここに居ましたからね」
片手に飲みかけのコーヒーの缶を持っているところを見ると、良輔の言っていることは本当のようだ。
「ごめん、疑って」
那智は自分でもわからなかったけど、良輔にこのことについて言われるとどうもイライラするのだ。
「いえ、俺こそすみません余計なこと言って。でも、うまくいくといいですね」
良輔は残りのコーヒーを飲み干すと、それ以上何も言わずに出て行ってしまった。
どうして良輔は、あんなに悲しそうな瞳をしていたのだろう?那智は、彼の後姿を見つめながらそう思った。
+++
土曜日の午後、那智は再び―――クラブに足を運んでいた。
昨日の電話で言われた通り、3人の候補の中から1人を選ぶためだった。
まぁ、3人全員と会ってもいいわけだからあまり真剣に考えることもないかなと思ったけれど、もしかしてこれで自分の運命が決まってしまうかもしれないと考えたら必然的にそうなってしまうのも仕方ない。
1人目は、金子 晋二さんと言って32歳。
東京出身、都内の国立大学卒で区役所に勤める公務員だ。
3人兄弟の次男で、3歳上のお兄さんと下に那智と同い年の妹さんがいる。
顔はそこそこで優しそうな感じだし、公務員ということは転勤もないわけよね。
32歳で持ち家まであって、一番無難な相手かもしれないわ。
2人目は、鈴木 祐人さん。
千葉県出身で、大阪の私立大学を出ていて那智よりも2歳年下の28歳、旅行会社に勤めている。
那智は希望で関東近辺出身で次男の人をと言っていたので、鈴木さんも金子さんと同じく2人兄弟の次男。
やっぱり長男だと姑問題でモメそうだし、那智も東京出身だったから関東近辺で互いの実家にすぐ行き来できる方がいいからとこれだけは一応希望として言ってあったのだ。
お兄さんは、那智と同い年なのね。
あと身長がものすごく高い。
187cmで、顔は若いだけあってものすごくいい。
外見だけなら彼がNo.1間違いなしだけど、旅行会社となると添乗員だったり、支店だったら土日が休みとは限らないわよね。
那智は、土日が休みだから休みが合わないのはちょっと困る。
ここは、後で確認しておかないとダメかもしれない。
最後は、高田 圭太さん。
那智と同じ30歳。
神奈川県出身、都内の有名私立大学卒で大手広告代理店に勤めている。
3人兄弟の三男かあ。
さすが広告代理店に勤めているだけあって、洗練された感じかな。
今は、都内のマンションに1人暮らしをしている。
う〜ん、この人は那智にはどうなんだろうか?
やっぱり休みなんかも不規則だろうし、女性関係も派手そう。
なんでこんな人がこのクラブに入会しているのか、その方が疑問だわ。
那智は色々考えた上で、やはり1人目の金子さんと会うことに決めた。
やはり公務員で家持ちというのは、ポイント高いわよね。
誠実そうだし、この人なら那智を幸せにしてくれそうだから。
相手の人の都合も聞かないといけないが、取り敢えず会うのは2週間後の土曜日。
都内のホテルのラウンジと決めてあった。
このクラブでは、だいたいそう決めているらしい。
一応、担当の人が確認のために初めに3人で会ってから、後はフリーで2人だけになって話をする。
見合いと言っても相手を紹介するだけでそれ以降は干渉しない、ラフな出会いを目指しているそうだ。
那智はそれまでの間、短期でエステに通ってみることにした。
やっぱり、少しでも若く綺麗に見せたいと思うのは女心だろう。
しかしあの電話の一件から、良輔は今までみたいに那智に接してくることはなかった。
―――上原は怒っているのだろうか?
それが、なんだか那智には気にかかって仕方がない。
もっとちゃんと謝りたいと思うのだけど、なかなか良輔と2人きりになるチャンスがなくて言いそびれていたのだった。
そんなこんなであっという間に2週間、いよいよ見合いの相手と会うのが明後日に迫った金曜日のお昼に社員食堂に行くとばったり良輔に会った。
「上原、今日は1人なの?」
「那智さんこそ」
「うん、夕実は用事があるって午前中で帰っちゃったし、真紀子ちゃんも昨日から風邪みたいで休んでるしね。だから、今日は仕方なく1人で来たわけ」
うちの会社は、女性社員の数が男性社員の1割にも満たないくらい少ない。
だから那智の所属する部にも、女性は那智を含めて3人しかいないのだ。
そのうちの2人が居ないとなれば1人で食事をするしかない、わざわざ他部署に居る同期に連絡するのも面倒だしね。
食堂に行けば、誰かに会えるんじゃないかとも思っていたし。
「そうですか、そう言えば木村さん昨日から休んでましたね。風邪なんですか?」
那智と良輔は、一番ポピュラーな定食のコーナーに並びながら話していた。
「そうなのよ。熱が下がらないって、さっきメールが来たんだけどね。夏風邪は長引くから、上原も気をつけた方がいいわよ」
「そうですね。俺、すぐ風邪ひくんで気をつけます」
彼の言う通り、良輔はすぐに風邪をひいて会社を休む。
それも、結構長い間ね。
ひとり暮らしだからと心配になって、上司にもその方がいいと那智はよく彼の家に様子を見に行ったりしていたのだ。
早く彼女でも見つけてくれれば、そんなこともしなくて済むのになどと考えながら、2人はトレーを持って窓際の空いている席に着いた。
那智は、良輔がいつものように話をしてくれていることに少しホッとしていた。
それでも、やっぱり彼には言っておきたくて。
「上原、この前はごめんね」
「はい?」
何のことを言っているのかわからないという様子で、良輔は那智を見ていた。
「ほら、電話してるの盗み聞きしてたって私が言ったでしょ?あれから上原あんまり口聞いてくれないし、怒ってるのかなって思って… 」
「全然、怒ってなんかないですよ。逆に俺の方が那智さんのこと怒らせたんじゃないかって思ってたから、なんとなく話し掛けずらかっただけなんですけど」
「そうだったの?上原、怒ってるのかと思ってた」
「そんなことないですから、気にしないでください」
―――良かった。
上原、怒ってなかったんだ。
でも、上原は那智の方が怒ってるって思ってたのね。
もっと早く言えば良かったな。
「それより、那智さんなんだか最近すごく綺麗になりましたね。もしかして、もういい人が見つかったんですか?」
「え?」
「あっ、すみません。俺、また那智さんを怒らせるようなこと言いましたね」
良輔は、そう言うとバツが悪そうにお茶をひとくち飲んだ。
そんな良輔が、なんだか可愛く見えたりして。
「ありがとう。お世辞でも綺麗なんて言われたら嬉しいわ。それと、明後日初めて相手の人に会うんだもの。まだ、いい人なんて見つかってないわよ」
「え?明後日ですか…。あの、どんな人かなんて聞いてもいいですか?」
那智は言うのを躊躇ったけど、良輔にはもう全部知られているし、隠す必要もないかなと思って話すことにした。
「うん。歳は私より2歳上で区役所に勤める公務員。次男だし、家持ちだし、外見もそこそこだったからいいかなって思って」
「そうですか… 」
心なしか、良輔の顔が暗くなった気がする。
あの時見せた悲しそうな瞳と同じだった。
「ほら、でもうまくいくとは限らないじゃない?相手も私と会ったら、こんなんじゃなかったとか言うかもしれないしさ」
―――私ったら、なんで上原に言い訳してるのかしら?
「那智さんなら、きっと相手の人も気に入ると思いますよ」
「そうだといいんだけど… 」
那智は自分で言っておきながら、なんだかこのお見合いがうまくいかなければいいのにと思っていた。
―――うまくいかなかったら上原は、こんな悲しい顔をしないのでは…
そんなふうに思ってしまう自分の気持ちが、この時はよくわからなかった。
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