「若菜。話があるから、ちょっとここに座りなさい」
お風呂からあがった若菜が、冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを取り出して飲もうとしていたところを父に呼び止められた。
「なぁに?お父さん」
ウーロン茶のペットボトルとグラスを持って父の居るリビングに行くと隣には母も一緒に座っていた。
「まぁ、いいからそこに座りなさい」と父に言われ、若菜も斜向かいのソファーに座る。
「父さん急だけど、シンガポールに転勤が決まったんだ」
「え?」
若菜は、グラスに注いでいたウーロン茶を途中で止めた。
―――お父さんが、シンガポールに転勤?
「それでな、若菜は高校もあと1年だし、せっかく大学まで行ける学校に入ったのにここで変わるのはもったいないだろう?だから父さん1人で単身赴任しようと思ったんだが、今回は支社長という役職で行かなきゃならないんだ。夫婦同伴が条件だから、どうしても母さんに一緒に来てもらわないとならない」
父は商社に勤めている関係で、海外転勤が多かった。
若菜も生まれたのはマレーシアだったし、小さい時からアジアの各国を転々としていたのだが、中学生の時に香港から日本に戻って来てからは、家族で行くことは一度もなかった。
お嬢様学校と言われる聖愛女学園に中等部2年生で編入してから、今年高等部3年生になるまでずっと通っていて、今のままいけば受験戦争に巻き込まれることなく確実に大学まで進学することができる。
高校生活も残り一年、ここで転校するというのは誰が考えてももったいない話だろう。
父も母も京都出身で、親戚も関西近辺にしか住んでいないから、誰かの家にお世話になるわけにもいかない。
だが父に付いて母もシンガポールに行ってしまったら、若菜はここで独り暮らしをすると言うことなのだろうか?
「父さんと母さんはシンガポールに行くが、若菜はこの家に残ってこのまま学校に通う。でも高校生の若菜に一人でこの家に住まわせるわけにはいかないからな。そこで母さんとも話し合ったんだが、ここに若菜のボディガードも兼ねて同居人を呼ぼうと思うんだ」
「同居人?」
若菜の問いに父と母が同時に頷いた。
「父さんの会社で親しくしている人の甥御さんが今年仙台にある大学を卒業して、東京の会社に勤めることになったそうなんだ。東京に住むのは初めてだというので、ちょうどいいだろうと思ってな。取り敢えず、若菜が高校を卒業するまでの一年間という契約で同居してもらうことにしたから」
「そうよ。女の子の独り暮らしじゃ心配だけど、男の人が一緒に住んでくれれば安心じゃない。それに若菜はお兄さんが欲しいって言ってたのが、現実になるのよ?」
などと父に続いて、しれっと言ってくれる母。
確かに兄は欲しかったが、それは本当の兄であってこれは少し話が違うと思うのだが…。
―――ちょっと待って。
男の人と一緒に住むって言うのの、どこが安心なわけ?
「お母さん。若い娘が知らない男の人と一緒に住むなんて、それのどこが安心なの?襲われたらとか考えないわけ?」
「あら、襲うなんて。そんなこと、あるわけないでしょう?」って、ちっとも心配していない母。
普通はいくら親しくしている人の甥御さんでも他人なわけだから、一つ屋根の下に若い男女が住むのを反対するのが当たり前のはずなのに…。
「もう決めたから」と話は、そこで終わってしまった。
―――あ〜ぁ、私はどうしてこんないい加減な親を持ったのかしら…。
若菜は盛大に溜め息を吐いたが、両親はそんな娘のことなど気にもせず、久しぶりの海外生活の話に花を咲かせていた。
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