素直になれなくて
STORY1


「そう言えば、今度エリのグループに新しい課長が来るらしいよ?」

いつものようにお昼に社食でご飯を食べている時、沙希が思い出したように言った。

「そうなの?」
「エリのグループは、松本課長が兼任してたじゃない。やっぱり大変みたいで、誰か他の部署から異動させるって部長と話してるの聞いちゃった」

城崎 エリの勤める会社は、外資系のコンピューターメーカー。
今年25歳になるエリは、郊外にある事業所に勤務していた。
エリのグループは現在15名ほど人員がいるが、以前担当していた課長が他事業所に出向になってしまったのでポストはずっと空席のままだった。
その後は別のグループの課長が兼任していたけれど、最近新しいプロジェクトの受注が決まったと聞いていたので、兼務は難しくなったのだろう。

「なんかね噂によるとその人、今回の異動と同時に課長になるらしいからまだ若いはず、それにかなりのいい男らしいよ?」
「さすが沙希ね、情報が早いわ」

沙希こと前田 沙希とエリはこの会社に同期入社して以来ずっと同じ部署で働いていて、今年で3年目になる。
入社式で席が隣だったこともあって初めに会話を交わしてからすぐに意気投合し、公私共に仲がいい数少ない親友と呼べる存在だ。
沙希は、長身でスレンダーなボディが可愛らしいと言うよりカッコイイ。
男性だけでなく女性ファンも多く、特に後輩からは憧れの的なんだそうだ。
そんな沙希にはものすごくかっこいい彼氏がいるくせに、いい男にはすこぶる目がない。
本人曰く、彼氏といい男を鑑賞するのとは別だという理論がエリには到底理解できないのだが…。
同い年の割にしっかりしていて何でも頼れる存在だが、これだけは見習えない。
エリは呆れ顔で沙希を見つめていたけれど、彼女の中にはもう近々来るであろう課長のことしか頭にないようだった。

+++

それから暫くして、朝会社に出社するといつもの朝礼に加えて新任課長の紹介が行われた。
部長の長くもなく短くもない挨拶の後、名前を呼ばれたその人は、端から中央に出てゆっくり周りを見渡すと話し始めた。

「本日よりこちらで課長を勤めさせていただくことになりました、東郷と申します。長い間本社勤務でしたので、まだ慣れない点も多々あるかと思いますが、よろしくお願いします」

沙希が若いと言っていたけど、目の前にいる東郷という人物は想像よりはるかに若い。
30歳にいっているか、いないかという感じだろうか?
それにかなりのいい男というのも頷ける。
ダークなスーツとセンスのいいネクタイに身を包んだ長身のその姿は、誰もが見惚れてしまうくらいだった。
カラーを入れているのとは違う色素の薄い柔らかそうな髪に、フレームのない細い眼鏡がなんとも知的な雰囲気をかもし出している。
あまりいい男に興味のないエリでさえも、クラっといってしまいそうだ。
―――沙希なら、失神ものかもしれないわね。
そっとひとつ隣の列にいるはずの沙希を覗き見ると案の定、東郷に目が釘付けになっている。
両手を胸の辺りで組んで、今にもハートマークが飛び出してきそうだ。
朝礼が終わると、沙希が興奮した面持ちでエリの席にやって来た。

「東郷課長、めちゃめちゃいい男じゃない。いいなあエリは、あんな人が上司でさ」
「そうかなあ。まあ悪いよりは良い方がいいとは思うけど、仕事にはあんまり関係ないんじゃない?」
「エリって、ほんと男に興味ないわね」
「別にそういうわけじゃないけど… 」

あまり立ち話もしていられなくて、沙希はそそくさと自分の席に戻って行った。
後で聞いた話では課長の名前は東郷 一士、年齢は今年30歳で独身の一人暮らしだということ。
エリには独身かどうかは問題ではなかったけれど、みんなの関心事の一番はこれなんだろう。
沙希はそう聞いただけで更に喜んでいるし、これを見たら彼氏は泣くだろうに…。
変わり映えのない日常に、少し変化が訪れた朝だった。

+++

「城崎さん、この内容ではダメだ。ここをすぐに直して」
「 …はい」

今まで普通にやっていたことが、東郷の下ではまったく通用しなかった。

はぁ…。
知らず知らずのうちに溜め息が洩れてしまう。
これで何回目だろう?
まだ、東郷が来て3日目だというのにエリはもう限界に来ている状態だ。
―――こんなんじゃ、いくら身体があっても足りないわ。
溜め息の後に愚痴までついて出てくるようになっていた。
東郷の言っていることは間違っていない、むしろ正論であって今までが疎かになっていただけなのだが… 、そうは言っても何もここまでというところまで東郷は追及してこようとするから、愚痴のひとつも言いたくなってくる。

「エリ、だいぶお疲れのようだけど大丈夫?」

「これでも飲んで元気つけて」と沙希がコーヒーを入れて、持ってきてくれた。
いつの間にか、時計は定時になっていたようだ。
東郷が来てからというものずっと残業続きで、定時でなんて到底帰れない。

「ありがとう。なんとか大丈夫だと思う」
「東郷課長、ちょっと張り切りすぎじゃないかしら?あれじゃあ、周りが持たないわよね」
「だから言ったでしょ?顔がいいのと仕事は関係ないんだって」

ちらっと横目で東郷に視線を送りながら、エリは言う。

「周りで見てる私には、目の保養になるんだけどね」

そう言うと沙希は、「お先に帰るけど、身体を壊さない程度に頑張ってね」と申し訳なさそうに更衣室に消えて行った。

そして一ヶ月を過ぎると慣れもあるのだろうか、知らない間に東郷には“城崎さん”から “城崎”に呼び捨てられていた。
傍から見ればそれはかなり親しい間柄に見えるらしいのだが、実際はそんな甘いものじゃない。
単に扱き使われてるだけとしか思えないのは、自分だけなのだろうか?
―――何で私ばっかり…と思ってしまう。
もしかして、嫌われているのかもしれない。
特に何もした覚えはないけれど、エリは初対面の人には愛想が悪いので有名だから、東郷にもそんなふうに思われているのかもしれない。

+++

その日は、朝から息つく暇もないほど忙しかった。
昼休みになっていることさえもわからないほどで、沙希が社食に行こうと誘いに来たがとても行ける状態ではなかった。

「ごめん、ちょっと無理だわ。私は適当に後で何か買って食べるから、沙希は誰かと行ってくれる?」
「わかった、けどエリも無理しないでね」

黙って頷くと、沙希は心配そうな顔でその場を後にした。
―――あ〜ぁ、お腹空いたなあ。
ふと窓際を見ると東郷は席に居なかった。
―――私はお昼も食べずに働いてるってのに、あの人ったら人に任せっきりでいいご身分ね。
東郷に八つ当たりしてもしょうがないのだが、こうでも言わないとどうにもやっていられなかった。
そんな考えを吹き飛ばすように黙々と1人仕事をこなしていると、不意に後ろから頭を小突かれた。

「痛っ」

―――何よ、痛いわね!
こんなことをするのは後輩の杵(きね)か同期の沢村(さわむら)位しかいないなと思い、エリが後ろを振り返ると意外にもビニール袋を手にした東郷だった。

「お前、昼くらいちゃんと食べろよ。倒れたら困るだろう?」
「困るのは、課長だけなんじゃないですか?」

どうにも憎まれ口しか出てこない。

「なに、膨れてるんだよ。困るのは俺だけじゃないだろうが」

「ホレ」と言いながら呆れた顔で見つめる東郷が、持っていたビニール袋をエリの前に差し出した。

「何ですか?」
「適当に買ってきたから好みじゃないかもしれないけど、キリのいいところでちゃんと食べとけよ」

中にはサンドイッチとヨーグルトにペットボトルのお茶が入っていた。
さっき席にいなかったのは、これを買いに行っていたからだったのだろう。

「あの…ありがとうございます」

東郷はそれ以上何も言わず、後ろ手にヒラヒラと振りかざしながら自分の席に行ってしまった。
エリには、いまいち東郷の考えていることがわからない。
―――こうやって、優しくされると調子狂うのよ。
エリは、東郷の買ってきてくれたサンドイッチを頬張りながら仕事を続けた。


NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.