Snow White
Story1


―――はぁ〜あ、まさかこんなに大変だなんて思わなかったわ。

木下 もえは普段は誰も立ち入らない社内でも隅にある、存在すら知られていないような書庫に来ていた。
職場に置いてある書類で古いものを整理して書庫に持って行って欲しいと今朝、先輩女性社員に頼まれたからだった。
気軽に引き受けたもののこの春、大学を卒業してこの会社に入社したばかりの彼女がそれがすごく大変で面倒だということを知る由もなく。
薄暗く窓もない、ただ書棚が延々と並んでいるような騒然とした場所。
―――こんなところにずっといたら、きのこが生えてきそうだわ。
なんてひとり言を言いながら、黙々と作業を続けていた。

「木下さん?」

誰も来ないと思っていた場所でいきなり声を掛けられて、驚きのあまり思わず持っていた書類を床にファイルごとぶちまけてしまった。

「ごめんごめん。急に声を掛けたりしたから、びっくりさせたね」

振り向くと声の主は、同じ課の主任、芹沢 和也だった。

「芹沢主任?」

もえがそのまま呆然と立ち尽くしていると芹沢が床に散らばった書類を拾い始めた。

「あっ、主任。私がやりますので」

慌ててそれを制して自分でやろうとしたが、『いいよ、俺のせいだから』と全部拾い集めてファイルに閉じてくれた。
芹沢はとても優しく素敵な人で、もえの憧れの人でもあった。
同期で同じ部に配属された野沢 真里情報によると、年齢は27歳で独身だそうだ。
真里いわく、もえは主任の下で羨ましいと言うけれど、もえは小学校から大学までずっと女子校に通っていたために男性と話をするのが少し苦手だったから、自分から話し掛けるというようなことはとてもできなかった。

「木下さん。これ、全部1人でやってるの?」
「はい。みなさん、お忙しいですから」
「じゃあ、俺も手伝うよ」
「え?主任にそんなこと…それに何か他に用があって、こちらに来られたのではないのですか?」

いきなり芹沢に手伝うと言われてどうしていいかわからず、話を逸らせようとなんとか話題を切り変えた。

「あぁ、ただ昔の資料をちょっと探しに来ただけだから。それと木下さんの持ってる書類のほとんどが、実を言うと俺のなんだよね。ずっと溜めてた手前悪いからさ」
「いえ、これは私の仕事ですし、今はこれくらいしかお役に立てませんから。資料の名前を教えてくだされば後で私がお持ちしますので、主任は仕事に戻られてください」
「…本当は、ここに来た理由は他にあるんだよね」

なんだか言いにくそうに髪を掻き上げている芹沢を見ながら、他に理由?って何かしら?

「さっき上原課長が電話で騒いでただろう?なんか問題が起きたみたいでさ、あの人面倒なことが起きるとなんでも俺に振るんだよ」

だから避難してきたのだと、芹沢は苦笑しながら言った。
その姿がなんだかいたずらをして逃げてる子供みたいで、大人の男性には失礼だけど可愛いと思った。
知らず知らずのうちにそれが、顔に出ていたのだろう。

「木下さん、何笑ってるのかな?」
「あっ、すみません」
「どうせ、子供みたいだとか思ってるんだろ?」
「いえっ、そんなつもりじゃぁ…」

芹沢は、クスクスと笑いながらもえのすぐ傍まで顔を近づけて言った。

「木下さんってわかりやすいな、図星だって顔に書いてあるよ」

ええ?もえは急いで、顔を手で覆って隠した。
―――もう嫌っ。きっと顔は真っ赤なはず、これじゃあ、益々本当だと言っているようなものじゃない。

「木下さんって、ほんと可愛いね。でも、さっきみたいに笑ってる方がもっと可愛いと思うけどな」
「えっ?…」

まさか、そんなふうに言われるとは思ってもみなかった。
自分の顔が真っ赤だってことも忘れて、芹沢の顔を見上げた。

「だって、いつも俯いてばかりであんまり笑わないし、初めは暗い子なのかなって思ったんだけど女の子達と話をしている時はすっごく楽しそうにいつも笑ってるからさ。俺、嫌われてるのかって一瞬凹んだんだよね。でも、俺だけじゃないみたいだって最近気付いた。木下さん、もしかして男が苦手なの?」

もえは、返す言葉がなかった。
これも図星だったから、きっと芹沢もわかったと思うけれども。

「ごめん。俺、変なこと言っちゃったね。もしかして、俺がこうやって話し掛けるのも辛い?」
「主任は…、そんなっ……こと……ないです」
「ほんとに?」
「はいっ…。あの…私…ずっと小学校から大学まで女子校に通ってて、兄弟もいないし、男の人が周りに居なかったので、どう接していいのかわからないんです」
「そうか。じゃあ、もし困ったことがあったらすぐに俺に言って、いつでも力になるからさ」
「ありがとうございます」

芹沢の優しい微笑みに胸がジンとした。

「それより、これさっさと片付けちゃおうか」

芹沢は、傍にあった書類を手際よくファイリングし始めた。

「あの主任、やっぱり私がやりますからっ…」
「木下さんは、俺を課長の元に戻したいわけ?」
「そ…そんな…」

『だったら、早くやっちゃおうか』そう主任に言われて今度はもえも断ることができず、一緒にファイリングをすることにした。
その間も芹沢は仕事のこととか、プライベートのこととかを話してくれたが、決して嫌なものではなくてそれはもえにはとても心地よく感じられた。
―――こんなふうに男の人と二人きりで話したのは、初めてかも。
いつしか芹沢に引き込まれている自分がいたことを、戸惑わずにはいられなかった。


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