Snow White
Story6


確かもえは会社から40分ほどのところに家族と住んでいると聞いていたが、そこまで持つかどうかが心配だった。
タクシーの揺れで、余計に酔ってしまうかもしれないからだ。
それに比べて芹沢のマンションは、ここから車でなら15分程のところにある。
まだ早い時間でもあるし、幸い酒を口にしていない芹沢は後で車で送ることもできると判断して自分のマンションに連れて行くことにした。
タクシーの中でもずっと芹沢に寄りかかるようにしていたもえの呼吸は苦しそうだったが、それほど量を飲んでいなかったのだろう少し横になれば落ち着くと思うが…。

暫く車を走らせると芹沢のマンションの前に着き、もえを抱きかかえるようにして車から降ろすと自分の部屋に入れ、ソファーに座らせた。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注ぎもえのところに持って行く。

「木下さん、これ飲んで」
「ありがとうございます」

芹沢からグラスを受け取って、それを口にするとだいぶ楽になってきた。
まだ頭の中はボーっとしていて、もえには今の状況が理解できないのだが…。

「ごめんな、勝手に俺の家に連れて来て。木下さんの家少し遠いから、あっでも後でちゃんと家まで送るから心配しないで」

今のひと言で、ここが芹沢の家なのだとわかったが―――。
―――えええ?!
上司とはいえ、いきなり男性の家に上がりこんでしまったとは…。

「そんな顔しないで、大丈夫取って食べたりしないから」

もえは、いつものように思いっきり顔に出てしまったようだ。
芹沢は困った顔をしているが、また迷惑をかけてしまった自分が腹立たしくて情けなくて…。
知らぬ間に、もえの頬を涙が伝っていた。
泣くつもりなどなかったのだが、勝手に涙が溢れ出てしまうのだからどうしようもない。

「木下さんっ、ごめん。俺、変なこと言って」

慌てて側に来た芹沢が、『ごめんな』そう言ってもえを抱き寄せ背中をゆっくりと摩る。
それはとても心地よくて、なのになぜか余計に涙が出てくるのはなぜだろうか?

「ちっ違うんですっ。芹沢主任が悪いんじゃないんですっ。わっ私が迷惑かけてばかりいるから―――」

―――全部私が悪いのに…いつだって、芹沢主任は優しくて…。
泣いたりしたら、もっと芹沢主任に迷惑かけるってわかってるのに…。

「木下さん、もう泣かないで。俺は別に迷惑だなんて思ってないよ。ただ、木下さんのことが心配なだけなんだ」

芹沢は、そっともえの頬に触れると今もまだ流れている涙を指で拭う。

「俺言ったよね、木下さんは笑ってる方が可愛いって。あっ、でも言っとくけど誰にでもはだめだからな。その笑顔を見せるのは俺だけにして」
「え?」
「大丈夫。俺が、木下さんのことを守るから」

その意味がわからないもえは、大きな瞳をより一層見開いて芹沢を見つめる。
この状況でそんな瞳で見つめられたら、いくら芹沢が取って食べたりしないとは言ってもそれを抑えられるかどうか…。
―――そんなこと、このお嬢さんはわかってないんだろうな…。

「木下さんは、俺のこと嫌い?」
「そっ、そんなわけないです」
「ってことは、好きだと思ってもいいのかな?」
「え…」

いきなりそんなことを言われても、困るわけで…。
もえも芹沢だけは別だったし、ずっと憧れの人ではあったが…。

「違うのか…」

ガックリとうな垂れる芹沢が、男の人なのに可愛いと思ってしまう。
―――でもそれって…。

「芹沢主任?」

問いかけると真面目な顔で、芹沢はもえの名前を呼んだ。

「木下さん」
「はい」

あまりに真面目な顔をして言うものだから、思わず姿勢を正して返事を返す。

「今まで言ったこと、俺の一世一代の告白だって理解できてる?」
「告白?って、ええええ?!」

『やっぱり、わかってなかったかぁ…』と芹沢は、ソファーの背に頭を凭れさせた。
当のもえはと言うと、告白なんて言われてもどう対処していいかわからないわけで…。
ただそれが嫌なものとかでなく、逆にとても嬉しいのだということだけは確かだった。

「俺、木下さんを困らせてるね」
「そんなこと…ないです。私、こういうの初めてでどうしていいかわからないんですけど、あの…すごく嬉しくて…」
「え?」

―――嬉しいってことは、まだ脈はあるってことなのか?

「あの…私なんかで、いいんですか?」
「いいに決まってるっていうか、木下さんでなきゃだめなんだよ」

予想していなかったもえの返事に、芹沢は我を忘れて彼女を抱きしめた。
もう真っ赤になってるだろうもえの顔を思い浮かべながらも、その手を緩めることなどできなかった。
もえのことだから長期戦を覚悟していた芹沢だったが、まさかこんなに早く自分のモノにできるとは…。
大事な彼女を危ない目に合わせてしまうところだったが、ある意味片桐には感謝しなければならないかもしれない。

抱きしめていた腕を緩めると、想像通り真っ赤になっているもえの顔が見えた。
彼女の頬を挟むように両手を添え、その小さな唇に自分のそれを軽く押し当てる。
一度では抑えられなくて、何度も何度も啄ばむようなくちづけを繰り返す。
本当はもっと深いくちづけを彼女に与えたかったが、そういうのには慣れていないというか多分まだ未経験だろうから。
最後に額にくちづけをひとつおとすとこれ以上は理性が利かなくなりそうだったから、かろうじてそこで止めた。

「もう体は大丈夫?そろそろ家に帰らないとご両親が心配するだろうから、送って行くよ」
「そうですね、芹沢主任にご迷惑かけてすみません。でも大丈夫です、両親はおとといから海外旅行に行ってますから」

―――はぁ?海外だと?ってことは今日は帰さなくてもいいってことか。

「もえちゃん。そういうことマジな顔で言わないでくれるかな?俺、今夜は帰したくなくなるんだけど」

突然、もえちゃんなどと言われた上に帰したくないと言われても…。
それに芹沢主任、いつもと少し違ってませんか?

「そういう意味じゃ…」
「じゃあ、どういう意味なの?」

顔をグぐっと近づけてくる芹沢に恥ずかしさのあまりもえの顔は、また茹蛸のように真っ赤に染まっていく。

「もえ、ちゃんと言ってくれないとわからないよ」

今度はもえと呼び捨てされてそれだけで、心臓の鼓動が早くなるのがわかる。
意地悪な言い方だと芹沢は思ったが、もえがあまりにも可愛くてついこんな言い方をしてしまうのだ。

「うっ」
「もえは、家に帰りたいのかな?」

もえだって、もう少し芹沢と一緒にいたいって思う。
だけど、男の人と付き合ったこともましてキスだってさっきのが初めてだと言うのに帰したくないと言われてももえにはどれもこれもが初体験なのだから、どうしていいのかわからないのだ。

「帰りたいような、たくないような…」

この言い方は、最ももえらしい言い方だなと芹沢は思った。
これが彼女の本音なのだろうが、ここで帰してしまうほど芹沢は聖人君子でもないし、理性もない。

「もえが帰りたいって言っても、俺は帰すつもりないから」
「せっ、芹沢主任」

しれっと言いのける芹沢にもえは動揺を隠せない。

「それとその芹沢主任って言うのはナシ、和也って呼んでごらん」
「そっ、そんな急に名前でなんて呼べません」
「ダメ」

そんな…だめって…。
芹沢はもえをじっと見つめたままで、これは名前を呼ぶまでそうしているつもりだろう。

「和也…さん」
「さんは余計だけど、まあ仕方ないか」

芹沢は少し不満だったが、芹沢主任と呼ばれるよりはかなりいいだろう。

「あと、俺の前では敬語もダメ」
「そっ、それこそ無理…です」

いくらなんでもタメ口で話すなど、今のもえにはとてもできるはずがない。

「ダメ。俺達、恋人同士なんだぞ?もし言ったら、ペナルティだから」
「ペナルティって…」

それに恋人同士などと言われて、もえの体は一気に熱を帯びる。

「って言うか、今言ったな?罰として、もえからキス一回」
「えええ?!」

キス一回って簡単に言われても、そんなこと絶対無理に決まってる。

「も〜え」

そんなもえの気持ちを他所に目の前の愛しい相手は顔をグーっと近づけてきて、墨黒の瞳で真っ直ぐに自分を見ている。
―――こんな瞳で見つめられたら逃げられないじゃない…。
もえは、観念するように和也に聞こえないよう小さく息を吐いた。

「和也さん…目を瞑って?」

和也は、もえの言う通り黙って目を瞑る。
もえは和也の肩に手を掛けるともう一度小さく息を吐いて、羽が触れるか触れない程度のキスを和也の唇におとした。
あまりに一瞬のことで和也も拍子抜けだったが、もえにしてみればこれが精一杯だろう。
そっと目を開けると至近距離にさっきよりも真っ赤になったもえの顔があった。


END


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