November Blue
Vol.1


杏(あん)が街をブラブラと歩いていると、嫌でも目に入ってしまうくらい目立つ男が二人。
いつもなら気軽に声を掛けるはずの杏も、この時ばかりは他人のフリをしてしまう。
なぜなら、周りにいた女性達の目が二人に注がれているのが痛いほどわかったからだ。
―――何で、あんな目立つ二人とあたしは幼馴染なんだろう…。
小さく溜め息を吐くと気付かれないように近くにあったCDショップに足を運ぶ。
別に買いたいものがあったわけでもないが、他に隠れる場所がなかったし、適当に流しながら歩いていると懐かしい物が目に入る。
懐かしいなどと言っても杏が生まれた頃にデビューして、数年で解散してしまったというグループだったから、リアルタイムで彼らを目にすることはなかったが、たまたまラジオで耳にした時にヴォーカルの爽やかな歌声に共感し、名前だけは頭に入っていた。
その時聞いた曲しか知らなかったからこれを機に聞いてみようと、それを手に取ると後ろから軽く誰かに頭を小突かれた。

「痛っ」
「何、無視してんだよ」

その声に思わず体がビクッと振るえた。
さっきまでかなり遠くにいたはずなのにどうして気付かれたのか…。

「玲人(れいじ)…」
「お前。俺らに気付いておきながら、わざと無視しただろ」
「別に無視…なんか、してないけど」

しっかり、バレてる。
どんなに遠くにいても玲人が杏に気付くのは、今に始まったことではないが…。

「随分とまた、渋いのを聞いてんだな」

玲人は杏が手にしていたCDをひょいっと取ると、ちょっと小馬鹿にしたような言い方でそれを眺める。
杏はあまり音楽に興味がなく、ジャンル・年代を問わずいいなと思ったものを聞く程度。
まだ20代半ばにもいっていない若者にしては珍しいかもしれないが、それをいちいち玲人に言われたくはないのである。

「いいでしょ、人が何を聞いたって。もう、買うんだから返してよ」

杏は玲人からCDを奪い返すと、そそくさとレジに向かう。
それを呆れたように見ていた玲人だったが、杏の後に付いてレジの前に来ると、彼女より先にポケットから1万円札を取り出して店員の前に差し出した。

「ちょっとぉ、そういうことやめてよ」

なんて杏の声が玲人に届くはずがなく、店員から清算の済んだCDを受け取ると玲人に腕を捕まれて店から出た。

「一体、何の真似?あたしだって、CDくらい自分で買えるわよ」

―――あたしだって、ちゃんと働いているんだからこれくらいは自分で買えるわよ。

「さっきから、何そんなにイラついてるんだ。カルシウム不足?それともアレの日?」

おちゃらけるように言う玲人に、段々と腹が立ってくる。
杏はその場に立ち止まると玲人の手を振り払って、反対側へ歩き始めた。
―――何であたしが、こんなことを言われなきゃいけないのよっ。
いつもそうだ、玲人は杏の反応を見て面白がっているとしか思えない。
そりゃあ、玲人はレストランやショップをいくつも経営している会社の若社長なのだからCDの1枚や2枚、缶コーヒーを買う程度の感覚なのかもしれないけど、杏は普通のシガナイOL。
こういうことをされると恵んでもらっているようで、いい気持ちはしないのだ。

「杏、怒ったのか?」

慌てて追いかけて来た玲人だったが、杏が何で怒っているのかわからない様子。
彼とは住む世界が違い過ぎると、ずっと子供の頃から思ってきた。
それがこんなふうに幼馴染という関係でいるのは、やはり父親同士が幼馴染だからという単純な理由から。
それも、もう限界かもしれない。
第一、幼馴染というだけで恋人でもなんでもないのである。
そんな男女がこんな年齢になるまで一緒にいることが、間違っているのではないだろうか?

「あたしのことより、正(ただし)君は放っておいていいの?」

―――何で、後を付いてくるのよ…。
気まずさのあまり、さっきまで一緒にいたはずの正に話題を振ってみる。

「あぁ。あいつなら、りみと待ち合わせてるとかで、さっき別れたけど」

りみというのは正の彼女で、杏とは親友だった。
色々あったが、ようやっと結ばれて今はラブラブなのである。

「そう」

玲人から離れられる口実が見つかったと思ったが、どうやら当てが外れたようだ。
これ以上会話が続かなくて、杏はまたそのまま歩き出す。

「杏」
「何?」

どうして、玲人はあたしに構うのだろう。
周りの女の子達の視線が痛い。

「ごめん、怒ったんだったら謝るから」
「別に怒ってないけど…」
「ほんとか?」

黙って頷くと心底ホッとした様子の玲人だったが、こんな顔をされると正直どうしていいかわからない。

「杏、これから予定あるのか?」
「ううん、特にないけど」

正直に言う必要もなかったが、きっと彼のことだから用事があるなんて言ったらさっき以上に落ち込むに違いない。

「だったら、飯食いに行こう。今日は休みだってのに昼も抜きで仕事だからな、腹減りまくり」

返事を聞く間もなく、玲人は再び杏の腕を取って歩き出す。
玲人ほどの人なら、電話一本でどんな子だって付き合ってくれるはずなのに、たまたま会ったからって無理に杏と食事に行かなくてもいいと思う。

「ねぇ。あたしじゃなくても誘う人、他にいるでしょ?」
「それ、どういう意味」
「どうって、いいのよ?偶然会ったからって、無理にあたしを誘わなくても」
「無理にって…。言っとくけど俺にはそんな相手はいないし、ここで偶然会わなくても杏を呼び出してたよ」

―――呼び出してたって…それこそ、どういう意味よ。
あたしはそんな都合のいい女なんかじゃ、ないんですからねっ。

「呼び出してたって、あたしは玲人にとって当り障りのない都合のいい女なんかじゃないんだからっ」
「誰が都合のいい女なんだよ。今日のお前変だぞ。美味いもの食わせてやるから、機嫌直せよな」

確かに、今日のあたしは変かもしれない。
今までだって、食事の相手として電話で呼び出されることなんて日常茶飯事だったのになぜか今はそれに抵抗を感じてしまう。

「あたし、行かないっ!」

もう一度、玲人から腕を振り払うと、今度は追いつかれないように走って近くの地下鉄乗り場に駆け込んだ。
こんな強情を張るつもりはなかったが、これ以上幼馴染という立場で玲人の側にいるのは耐えられない。

杏のいきなりの行動に姿が見えなくなっても、玲人は呆然とその場に立ち尽くしていた。
なぜ、彼女があんなことを言ったのか…考えても、答えは見つからなかった。


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