November Blue
Vol.2


あれから一週間が過ぎたが、玲人(れいじ)とは連絡を取っていない。
というか玲人からは幾度となく電話もメールも来ていたのだが、杏(あん)の方がそれに応えなかっただけ。
よく考えてみれば、こんなことは今まで一度もなかったような気がする。
恋人同士でもないのに暇さえあれば会っていたのが、今となっては異常なことだったのだろう。
きっと、この状態にも時間が経てば慣れてくる。
そして、幼馴染だったという過去形に変わるのだろう。
それでいいのだと、杏は心に強く言い聞かせた。



正(ただし)は玲人があの日以来、元気がないことが気掛かりだった。
何を聞いても『別に』しか言わない玲人、一体何があったというのだろうか?

「もしもし、杏?」
『あっ、正君。珍しいね、どうしたの?』

正は、あの日見かけた杏と玲人に何かあったのではないかと気になって電話を掛けてみた。

「たまには食事でもどうかなって、今杏の会社の近くまで来てるんだよ」
『そうなの?えっと定時まであと20分くらいだから、少し待ってもらってもいい?』
「あぁ、いいよ。じゃあ出る時、電話くれるか?」
『わかった。後でね』

正は通話を切ると、ドアの窓ガラスを少し開けて煙草に火を点けた。


―――正君が食事に誘うなんて、珍しいな。
何かあったのかな。

杏は正に何かあったのかと少し心配になったが、どうせ りみ とのことだろうとさして気にも留めなかった。
さっさと仕事を片付けて、杏は帰る支度を整えると再び正に電話を掛ける。
彼は車で来ているというので、あまり会社の前には駐車できないからと急いで彼の元に向かった。

「正君」
「よぅ」

軽く手を上げてドアの窓から顔を出した彼は、スターさながらだ。
玲人とは違うスマートさを兼ね備えている、筋金入りのお坊ちゃまという感じ。
彼は、父親の経営するコンサルタント会社の今は専務をしているらしい。
まったくもって、あたしは場違いな人間だなと思わざるを得ない。
すぐに車を出さないとマズイというので、素早く助手席に乗り込むと車が走り出す。
彼の愛車はメルセデスのスポーツタイプ。
はっきり言って、正でなければこんなキザな車には乗れないと思う。

「杏、何食べたい?好きなもの言っていいぞ」
「うん。あたしはどこでもいいよ、正君に任せる。でも、こんな格好だからあんまりゴージャスなところじゃない方がいいかな」

こんな格好と言っても、杏にとっては決して安いものではないが、正に合わせようと思ったらとてもじゃないが1ヵ月の給料では到底まかなえるはずもなく。

「了解。じゃあ、杏が好みそうな店。りみが見つけたんだけど、そう言ってたから」

正が連れて来てくれたのは、とある雑居ビルの地下にあるしゃれたお店だった。
まだOPENして間もないらしく、真新しい店内だったが、杏のような会社帰りのOLがぶらっと気軽に立ち寄れそうなそんなお店。
―――さすが、りみ。センスがいいわ。
店員さんに案内されて、角にある席に座る。

「俺は車だから飲めないけど、杏は遠慮しないで好きな物頼んでいいぞ」
「今日はやめとく。なんか、正君にうまく嵌められそうな気がするから」
「なんだよ、それ」

屈託なく笑う正だったが、心の中を見透かされているようで杏はなんだかバツが悪い。
ということで、飲み物はお互いにウーロン茶と料理は適当にお勧めを何品か注文した。

「で、どうしたの?りみと喧嘩でもした?」
「どうして?」
「だって、正君があたしを誘うなんておかしいもの。なんか、あったのかなって思って」

りみと正式に付き合うようになってから、正が杏を個人的に誘うようなことは全くない。
それがどういう風の吹き回しか、近くを通りかかったからなどという理由で杏を食事に誘うというのはどうも腑に落ちないのだ。

「別にりみとは何もないよ、おかげ様でうまくいってる。それよりなんかあったのかって聞きたいのは、こっちなんだけど」
「え?」

正が聞きたいのは多分、玲人のことだろう。

「何のこと?」
「隠しても、ダメだぞ」
「別に隠してなんか、いないけど…」

取り敢えず運ばれて来たウーロン茶で乾杯したが、杏はなんと答えていいかわからずストローでグラスをクルクルと回す。

「玲人がさ、なんか元気がなくて、理由を聞いても言わないんだよ。それって先週の土曜日に杏を見掛けてからなんだよな。俺はあの後すぐにあいつと別れたから、なんかあったんだろ?」

―――あれは、あたしが全部悪いんだけどね。
それはわかってるんだけど、だからって謝るにしたって今更なんて言ったらいいのかわからないんだもの。

「お前、あの時俺たちに気付いておきながら知らんふりしてCDショップに入っただろう。あれ、何でだ?」

―――正君も気付いてたんだ…。

「あれは…あの場面であたしが声を掛けたら、迷惑かなって思って」
「何で迷惑なんだよ、そんなことあるはずないだろう」
「そうだけど…」

―――それはわかってる。
わかってるけど…。

「どうしたんだよ、杏らしくないな。俺が聞いてやるから全部言ってみろよ、な?」

同い年なのに落ち着いた性格のせいなのか、なぜか正はお兄さんのように思える時がある。
杏は、自分の胸のうちを正に話してみることにした。

「うん。なんか正君と玲人みたいな地位も名誉もあってモデルみたいにカッコいい人が、あたしみたいなどこにでもいる凡人と何で幼馴染なんだろうって。住む世界が違いすぎるもん」
「はぁ?」

正の溜め息が聞こえてきた。
何を今更と思っているに違いないが、現にそう思ってしまったのだからしょうがないのだ。

「杏、お前そんなこと考えてたのか」
「そんなことって、あたしにとっては重大なんだからね。正君にはわからないわよ、あたしの気持ちなんて」
「あぁ、わからないね。大体さ、俺たちが今まで築いてきたものに地位とか名誉とか関係ないだろ」

―――こういう正君の考え方は、好きだなと思う。
杏だって、彼の立場だったら相手を差別するような付き合いは絶対にしたくない。
だけど、それは本音と建前であって、子供の時はそれで通用したかもしれないが、やはり今の杏では正や玲人は雲の上の人、対等というわけにはいかないのだ。

「それは、綺麗事でしょ。それに玲人はあたしのこと、都合のいい女としか思ってないもの」
「何、言ってんだよ。まさか…玲人が、そう言ったのか?」

杏は否定の意味を込めて、首を横に振る。
玲人はそんなこと一言も言っていないが、言わなくても言動でわかるのだ。

「だったら、どうしてそんな悲しいこと言うんだよ」
「ごめんね、変なこと言って。あたし、どうかしてるのかも」

どうしたって、正には杏の気持ちは伝わらないだろう。
もちろん、玲人にも。

結局、正もそれ以上は聞けなくて、玲人が元気のない理由も杏がどうしてあんなことを言ったのかも明確にならないまま、他愛のない会話で食事を済ませた。


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