November Blue
Vol.5


『あたし達、幼馴染みでしょ?他に何があるの?』

何であんなこと、言っちゃったのかしらねぇ…。
自分で言っておきながら、こうやってネチネチ考えていること自体ダメなのよ…。
はぁ…。

『杏を一人の女性として、そう思ってる』

玲人の気持ちはすごく嬉しかったし、自分だって…。
なのにどうして、彼の想いを受け止められないのだろう…。

「杏。そんなに悩むなら、玲人君に何であんなことを言ったのよ」

キッチンの向こうで料理を作っていたりみが、腰に両手を当てて怖い顔で杏の方を見ている。
りみは正から杏の様子がおかしいことを聞いて、それとなく聞き出すために彼女を自分の家に招いていた。
正と付き合うようになっても杏とだけはこうやって自分の家に誘っていたから、彼女に怪しまれることもないだろうと…なのに杏の口から出てきた言葉は…。

「だって…」
「だって、じゃないでしょ?自分から苦しむようなことを言って、どうするのよ」
「そうなんだけど…口から出ちゃったんだもん、しょうがないじゃない…」
「そういうところ杏らしいんだけど、あたしは杏に幸せになってもらいたいの。まぁ、今日はとことん飲もう。覚悟しなさいよ?」

多分、正から聞いたのだと思うけど、こんなりみの気遣いはすごくありがたいと思う。
自分だって色々あったのに人の心配ばかりして…。

「何言ってるのよ。あたしとなんて飲んでる場合じゃないでしょ?それなら、正君と飲めばいいのに」
「正と飲んでもつまらないもの、すぐ酔っ払っちゃうしさぁ」
「また、そんなこと」

正はあまりお酒が強くない、逆にりみはというとこれがかなりの酒豪で、飲む相手には相応しくないらしい。
だから、りみは飲みたくなると杏を家に招くのだった。
杏とりみとの関係は大学に入ってからだったが、彼女もまた少し離れた地方にある名の知れた企業のお嬢様、どうして自分の周りにはこう不釣合いな人間ばかりなんだろうと思わずにはいられない。
りみはそんな家のお嬢様とは思えない快活な女性だったから、杏とはすぐに意気投合し、今では親友とも呼べる存在だ。
しかし、杏を想う正との間で、また彼女も苦しんで…。

「これって、マルゴーじゃない。こんないいワイン飲んでもいいの?」
「いいっていいって。これね、正が二人で飲んだらってくれたの」

杏にはラフィットのセカンドがやっとだというのに、マルゴーとは…。
だけど、こんな一本何万円もするワインをくれるなんて、やはり正は雲の上の人だと杏は思う。
二人で作った、バジルのパスタやタコとモッツァレラのマリネなんかをテーブルに運ぶとマルゴーを開ける。

「ところで、何に乾杯?」
「そうね、杏と玲人君の今後に乾杯」
「何で、そこにあたしと玲人なわけ?」
「いいのよ、ほら乾杯」

勝手にりみは1人で杏のグラスにカチンと自分のグラスをぶつけると、それをグイッと飲み干す。
いったい一杯いくらするんだろうかと、貧乏人の杏はついそんなことを考えてしまう。

「あ〜美味しい。杏も見てないで、飲んだら?」
「うん」

さすがにりみのように飲み干す勇気はなくて、味わうようにそれを口に含む。
やはりマルゴー、只者ではないようだ。
テレビに出てくるような有名ソムリエさんのようにはうまく表現できないが、なんとも言えない深い味わいだなと思った。

「美味しい」
「さ、食べよう。あたし、お腹空いちゃって」

こんな飾らないりみが、好きだなと杏は思う。
ふと、『俺たちが今まで築いてきたものに地位とか名誉とか関係ないだろ』という正の言葉が頭を過ぎる。
頭ではわかっていても、それを素直に受け入れられない自分がもどかしい。

「自分なんかがっていう杏の気持ち、あたしには正直わからないのよ。ほら、あたしって周りを省みずに好きって思ったら突き進むタイプじゃない?釣り合う釣り合わないとか、そんなことより好きならどんなことをしても相手に振り向かせる。もちろん、人間としてやってはいけないことはしないつもりだけど」

りみ自身が会社社長の娘だからそんなことが言えるのだと杏は思っているかもしれないが、それは違う。
例え杏の立場だったとしても、それは変わらないということをわかって欲しい。

「好きな人が自分じゃない誰かを見てるってことがどんなに辛いか、杏にはわからないでしょ?杏の方が、あたしなんかより全然幸せなのよ?お互いが想い合ってるんだから」
「りみ…」
「何も考えないで飛び込んじゃいなさいよ、彼の胸に」
「うん」

みんなそれぞれに苦悩がある。
自分のことばかり、考えていたのかもしれない。

「あれ?携帯鳴ってる。杏のじゃないの?」
「え?」

杏のバックの中から微かに着信音が聞こえ、急いで取り出すと登録されていない知らない携帯番号が表示されていた。
―――誰かしら?

「もしもし―――」
『杏か?俺、玲人だけど』
「えっ、玲人?」

着信拒否していたのにどうして玲人から電話が…。

『お前、俺の番号着信拒否してるから、携帯変えた』
「え?変えたって…」

―――何もそこまでしなくても…そりゃぁ着信拒否してたけど、今は解除したわよ?
あら、言っていなかったんだわ。
さすがに着信拒否まではと思い解除していたのだったが、彼はそれに気付かなかったのだろう。
わざわざ、携帯電話を変えたとは…。

『あのさ―――ゴホッ…ゴホッ…ッ…』
「玲人、どうしたの?」

何かを言おうとして、電話の向こうから玲人の咳き込む声が聞こえる。
風邪でもひいたのかしら…。

『ごめん、風邪ひいたみたいで…熱が下がらないんだ。頼む、杏悪いけど来てくれないか…顔が見たい、逢いたい―――』
「ちょっと!大丈夫なの?玲人っ」

何度玲人の名前を呼んでも、咳き込むばかり…。
―――熱が下がらないって、大丈夫なの?
ううん、大丈夫じゃないから掛けてきたのよね…。

「杏、玲人君どうかしたの?」

側で会話を聞いていたりみは、ただ事ではない二人の様子に割って入る。

「風邪ひいたらしいんだけど、熱が下がらないから来て欲しいって」
「えっ?それは大変じゃない。すぐ行きなさいよ」
「でも…」
「でもも、クソもないでしょっ。玲人君にもしものことがあったら、どうするのよっ!」

―――クソって…。
仮にもあなたは、お嬢様なんだから…。
なんて、言っている場合じゃなくってっ。
りみの言う通り、玲人にもしものことがあったらどうしよう…。

「ほら、早くっ!!」とりみに背中を押されて、杏は玲人のマンションへ向かう。
―――玲人…。
今は、都合のいい女なんかじゃないわよね?

『…顔が見たい、逢いたい―――』

そう言って、番号を変えてまで電話を掛けてきてくれた彼に杏もまた同じように一刻も早く逢いたかった。


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