November Blue
Vol.4


「玲人、あの…」

こんなところまで何しに来たの?と思う半面、本当はすごく逢いたかった。
自分から避けておきながら、こんなふうに思うのは間違っているかもしれないが…。
でも、だからといって今更彼と…。

「何だよ。待たせておいて、中にも入れてくれないのか?」
「勝手なことばっかり言わないでよ。誰も待っててなんて、言ってないじゃないっ」

お茶らけたように言う玲人に少し腹が立ってくる。
これはいつもの彼の言い方だってわかっていても、口が勝手に悪態を吐いてしまうのだ。
そんな自分に嫌気がさすが、やっぱり都合のいい女のような気がして素直になることができないのだから仕方がない。

「もう、帰って。あたしに構わないでっ」
「おいっ、杏。待てよっ!」

横を通り過ぎようとした杏の腕を玲人が掴む。
こういう時、セキュリティがしっかりしているのは考え物かもしれない。

「嫌っ、離して!」
「嫌だね」

玲人は、断固として杏の腕を離そうとしない。
何度電話を掛けてもメールを送っても出ようとしない杏にようやっと逢えたというのに、そう簡単に離すわけがない。

「ちょっ、玲人。痛い、お願いだから離してっ」
「離したらまた、俺の前から逃げるんだろ?」
「逃げないから」
「俺とちゃんと話をするって、約束してくれる?」

彼の目は冗談を言っていないことを杏が一番良くわかってる。
受け入れなければ、いつまでもこうしているつもりなんだろう。

「わかった。わかったから、離してっ」

観念した杏に玲人はようやっと腕を掴んでいた手の力を緩めるが、それでも完全に離そうとしないのは、もしかしてまた自分の前から逃げてしまうかもしれないという不安から。

―――そんなことしなくたって、もう逃げないのに・・・。
さすがの杏も、これ以上玲人を避けたりはしない。

この姿はまるで犯人が警察官に連衡されるようだったが、エレベーターという密室で久し振りに触れる彼の手の感触に心臓の鼓動が段々と速まっているのが伝わるんじゃないかと杏は気が気じゃない。

「ここに来るのは、引越しの日以来だな。お前、全然誘ってくれないし」

―――誘うって…。
単なる幼馴染みってだけなのに、男の人を自分の部屋に誘えるわけがない。
そういうことをわかって、言っているの?

「誘うなんて、変な言い方しないでよ。いくら玲人でも男の人なんだから、そんなことできるわけないでしょ?」
「どうして?」
「どうしてって…」

―――真顔で聞かれても、困る。
言葉に詰まってしまう杏の顔を覗き込むようにして玲人は返事を待っていたが、ちょうどいいところで扉が開き、杏はその質問には答えずエレベーターを降りて歩き出してしまう。

「ねぇ、もう離して?」
「ダメ。家の中に入るまでは」
「だって、目の前じゃない。逃げたりしないわよ」

杏の家のドアは目の前にあるというのに玲人はまだ信じられない様子だったが、やっと微笑んだ杏にホッとした表情を見せた。

玄関を一歩中に入ると、玲人の記憶にあったものとはかなり違うことに驚いた。

「随分、部屋の感じが違うな」
「そう?っていうか、あの時は引っ越したばっかりだったから、荷物の山しかなかったじゃない」
「そうだけどさ。なんか、おしゃれっていうか」
「別に驚くことじゃないでしょ?玲人の家の方がよっぽど、おしゃれじゃない」

これでもかなり頑張ってコーディネートしたけれど、お金持ちの玲人の家の方がうちなんかよりよっぽどおしゃれ。

「玲人、食事は?これ買ってきたんだけど、一緒に飲む?」

杏は会社帰りに買って来たカリュアド・ド・ラフィットを顔の辺りに高く上げて、玲人に見せる。
食事は?と聞いておきながらも、今夜は一杯やるつもりだったから、つまみしかないんだけど…。

「おっ、ラフィットか?」
「セカンドよ。あたしには、これを買うのが精一杯だもん」
「あのなぁ。言っとくけど、俺だって同じだぞ?セカンドだろうとラフィットなんて、滅多に飲めないだからな」

社長をしているのだから、お金がないとは言わない。
でも、ビールを飲む感覚で高価なワインを飲んだりするようなことは、決してなかった。
逆に杏に聞きたいくらい、どうしてそうやって自分との間に隔たりを置こうとするのかを…。

「なぁ、杏。何であの時、俺の前からいなくなった。電話もメールも繋がらないし。都合のいい女って、どういう意味なんだよ。俺は杏のことをそんなふうに思ったことは、一度もないのに」
「そうそう、ワインに合うようにってチーズも買ったの―――」
「はぐらかすなよ」

わざと誤魔化すように言う杏の言葉を遮るように玲人が言葉を発した。
怒っているわけではないが、普段よりずっと低い声に怖ささえ感じる。

「別にはぐらかしてなんて…」
「だったら、きちんと説明してくれよ。俺には、全然わかんないんだよ」

玲人の真剣に見つめる視線が絡み合う。
先に逸らしたのは杏の方だったが、その後ポツリポツリと話し始めた。

「あたし達、幼馴染っていうだけで恋人でも何でもない。なのにこうやって二人っきりになったり、おかしいと思うの。お互い好きな人ができたら、このままってわけにいかないでしょ?」
「杏に好きな人が、できたってこと?」

―――まさか…やっぱり、男が…。
絶対にそんなことはないと確信していたはずなのに…。

「そうじゃないけど…。玲人だって、きっと彼女ができたら」
「彼女なんて、できないよ」
「今はそうでも、この先ずっとってわけじゃないし…」

杏に男がいないと知ってホッとしたが、どうしてあんな行動に出たのか、ようやくわかってきたような気がした。
まぁ、正に言われて、わかってはいたけれど…。

「俺は、杏とずっと一緒にいたいって思う。それは、幼馴染みとしてじゃない」
「えっ、どういうこと?」
「杏を一人の女性として、そう思ってる。俺の言ってる意味、わかるか?」

――― 一人の女性としてって…。
玲人は、あたしのことをそんなふうに思っていたなんて…。
もしかして…なんて思うことはあっても、それは彼が幼馴染みで仲がいいからだって思ってた。
ううん、自分の中で勝手に思おうとしていたのかもしれない。

「あたしは…」
「杏はどう思ってるんだ?俺のこと」
「どうって…」

あたしだって…。
あたしだって、ずっと玲人のこと…。

「はっきり言ってくれ。杏は、俺のこと…」
「あたし達、幼馴染みでしょ?他に何があるの?」

こんなことを言うつもりじゃなかったのに…。
心とは裏腹に口から出てしまった言葉に後悔しつつ、これで良かったのだと自分に強く言い聞かせた。


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