時刻は、17時30分ジャスト。
玲人は静かに車を止めると、携帯の通話ボタンを押した。
「もしもし、杏?」
『玲人、どうしたの?』
「あぁ。近くまで来てるから、食事でもどうかなって思って」
やっと想いが通じ合った二人だったが、玲人は社内で杏を狙う者がいるのではないかと心配でたまらない。
付き合う前とこの状況は何ら変わらないはずで、恋人同士になったにも関わらず気になるのは、相手を想う気持ちが強いから。
だから、近くまで来ているなどと嘘をついてこうやって不意打ちで現れたりもするのだった。
『ごめんね。今夜は先約が入ってて』
「え?何だよ、先約って。俺より、大事なのか?」
杏は自分の誘いを絶対に断ったりしない、どころか喜んでくれるとばかり思っていたのにこの展開は予想外…。
『無理、言わないで。いくら玲人の誘いでも、先に約束した方を優先するのが筋でしょ?』
「そうだけど…そうだけどさ」
玲人だってわかってはいるのだが、つい我侭を言ってしまうのは、何を置いても杏と一緒にいたいから。
『ほんとにごめんね』
「いや。俺こそ、ごめん。我侭言って」
『今度、ゆっくりご飯食べに行こうね』
「あぁ」
通話ボタンを切ると玲人は溜め息を吐いて、窓に凭れかかった。
◇
「どうしたの?もしかして、彼氏とか…」
杏が携帯をジッと見つめていると、同僚で仲がいい由那が心配そうな顔で声を掛ける。
実を言うとさっき玲人に言った先約とは、彼女のことだったのだが…。
「うん。近くに来てたみたいで、食事でもどうかって」
「え?杏、まさか彼氏と食事に行くつもりじゃ」
「断ったわよ」
「『俺より、大事なのか?』って言われたけど」と少し口を尖らせて杏が言うと、「ごめん」と由那は両手を合わせて謝りのポーズを取る。
杏もこれをされてしまうと、何も言えなくなってしまう。
それを知ってて、言っているのだろう。
「良かったぁ。杏が来てくれなきゃ、困るんだから」
「もう、今回だけなんだからね」
「わかってるってぇ。ほら、そろそろ時間だから、早く行こう」
由那に腕を引っ張られるようにして、杏はロッカールームを後にした。
◇
「やっぱり、エリートは違うわね」
―――由那ったら、目の色が違うわよ?
二人がいる場所は、某高級ホテル内にあるイタリアンレストラン。
そして、目の前に座っている男性3名はどこぞのエリート官僚さんで、彼女の言うように顔も身なりも同じ会社に勤めている人達とは随分違う。
なぜ、こんなところに杏がいるかというと簡単な話、由那に誘われたから。
そう、これは合コンなのだ。
玲人という彼氏がいる杏にしてみれば合コンなどに参加する必要は全くないのだが、由那にどうしてもと誘われて断ることができなかった。
今回かなり力の入っている彼女にとっては、彼氏のいる杏を誘う方が都合が良かったらしい。
「で、本命は?」
「えっとね、右の人。遊んでる風だけど、顔が好みなのよ」
由那の斜め前に座っていた男性で、甘いマスクに人懐こいクリクリっとした目が特徴の巷でいうイケメンである。
―――なるほど、由那好みだわ。
まぁ、どうでもいい杏にとっては他人事でしかないわけで…。
だけど、もし玲人と付き合うことになっていなかったら、あたしは今頃…。
「どうかされました?」
「えっ。あっ、いえ…何でもありません」
「そうですか?なら、いいのですが」と杏がボーっと考え事をしているころへ声を掛けてきたのは、左側で杏の斜め前に座っていた男性。
官僚らしく、とても真面目そうに見えるが、フレームのないメガネがよく似合うなかなか素敵な人。
「もしかして、無理矢理誘われた口ですか?」
「え…」
「わかりますよ。あなたの顔を見ていれば」
フっと笑う彼は、赤ワインの注がれたグラスに口を付ける。
―――あたしったら、そんなに顔に出ていたかしら?
っていうか、この人どうしてそんなことがわかるのよ。
「実は、僕もなんです。女性が二人なんですから、僕がここへ来る理由はないんですけどね。体裁っていうんですか、男が多い方がいいって連れて来られたんです。おまけですね」
「そんなことは」
彼の言う通りだと思いつつも、ここは一応否定しておく。
「話も上手くないですし、第一印象が固い感じに見えますから。女性には、つまらないみたいです」
―――あぁ、確かにねぇ。
会話が固いわね。
でも、あたしは意外に話ができてるように思う。
逆に軽いノリで話されるより、ずっと誠実でいいのに。
「大丈夫ですよ。あなたなら、きっと素敵な女性が現れると思います」
「ありがとうございます。お世辞でも、そう言っていただけると嬉しいですね」
「お世辞なんて」
―――これは、お世辞じゃないわよ。
この人なら、きっと素敵な彼女ができると思う。
「ところで、あなたの彼氏は焼きもち焼きですか?」
「え?」
―――やだ、さっきから透視されてるみたいなんだけど…。
何で、彼氏がいるってわかったの?
それに焼きもち焼きって…。
「さっきから、あなたの彼は僕のことをすごい形相で睨みつけてるんですけど」
「えっ、うそっ。どこに?」
「ほら、あそこです」
彼の指差す方にそっと顔を向けると、ワインボトルを片手に怖い顔で睨む男が約1名…。
―――何で、ここに玲人がいるのっ!
「うそっ、玲人。やだ、何でこんなところに」
「早く行ってあげた方がいいですよ。誤解されないうちに」
―――まさか、玲人がこんな場所にいるとは…。
多分、さっき近くまで来ていると言っていたから、後を付けて来たに違いない。
これじゃあ、ストーカーじゃないって、自分の彼氏に向かっては言わないわね。
でも、どうしよう…。
電話であんなことを言っちゃったのに、信じてもらえるのかしら…。
「ここは、気にしないで下さい」
「はい。じゃあ」
トイレに行くフリをして席を立つと、玲人の元へ行く。
相当飲んでいるのか、ワインのボトルが半分以上空いている。
「玲人、どうしたの?こんなところで」
「どうしたの、じゃないだろ。杏、わかってるのか?自分のしてること」
杏は玲人の前の席に座ると俯いたまま、黙り込んでしまう。
この場を見られてしまえば返す言葉もないが、ここへは由那に付き合って来ただけで、自分には玲人しかいないことに変わりはない。
「ごめんね。弁解はしない」
「俺としてはして欲しいね。何でもいいから」
自分のしたことを潔く認める杏だったが、玲人にしてみれば、何でもいいから弁解して欲しかった。
「由那に頼まれて、断れなかったの。彼女、今回どうしても彼氏を見つけたいって」
「だったら、杏じゃなくてもいいだろ」
「彼氏のいるあたしと一緒の方が、都合がいいって言うから」
友達としては競争相手は少ない方がいいわけで、杏を選んだ理由が玲人にもなんとなくわからなくもない。
「話していた男は、どんなヤツだったんだ?」
「うん、とっても真面目でいい人だった。あたしが仕方なく連れて来られたこともわかってたし、玲人のことも彼が気付いて教えてくれたの」
「そっか」
「ごめんなさい」
「いいよ。もう、誘われても行ったりしないって、約束してくれれば」
「行かない」
その言葉だけで十分。
玲人だってそれ以上言うつもりはなく、席を立つ。
早く、二人っきりになりたかったから。
「なら、出ようか」
「そう言えば、玲人。ここへは、車で来たんじゃないの?」
「そうだけど」
「お酒飲んじゃって、どうするの?」
「泊まればいいだろ」
「泊まればって…」
この場合、車を置いて帰るか、泊まるしか方法は…。
ガッシリと腰に腕を回されて、杏に選択権はないらしい。
「ねぇ、玲人」
「ん?」
「近くまで来たっていうの、あれほんと?」
「どっ、どうして。本当だぞ?たまたま、近くで打ち合わせがあったんだ」
杏の唐突な質問に、玲人は一瞬どもってしまう
「ふ〜ん、そう」
「何だよ、その言い方」
「あたしに会いに来てくれたのかなぁって思ったの。だったら、すっごく嬉しいなって」
「杏」
こんなに可愛いことを言われて、玲人が黙っていられるはずがなく…。
「…ぁっん…っ…れ…じ…ちょ…っ…」
こんなところで!なんて言葉は、彼に届きそうにない。
深くくちづけられて、全身が溶けてしまいそうだ。
「杏が可愛いこと言うから―――」
後で聞かされた話だが、なんと由那とあの真面目な彼が付き合うことになったらしい。
玲人との甘い夜も良かったけれど、どうやって由那と彼がくっ付いたのかも見たかったぁ。
と思う、杏でした。
END
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