ジョゼッティ家の憂鬱
2/E


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『何よ。人のことを散々、誘っておきながら』

それも致し方ない。
父のジャン・マルコ・ジョゼッティが事実上引退し、セリーニが外れた今、ファッション界では新参者であるジョルジオ一人での経営は非常に難しい状況にあった。
秋冬物のコレクションが終わっても、すぐに次の春夏コレクションへ繋げなければ、変わり身の早いこの業界をリードすることは不可能に近い。
もう一つの痛手は、ジョルジオがセリーニの代わりに連れて来たコーディネーターと今までのスタッフとの意見の食い違いにあった。
世界を魅了する一大帝国も、人とのコミュニケーションで成り立っていたということがよくわかる。
センスも重要だが、最後は見えない絆なのだ。

―――ちょっと、かわいそうなことをしちゃったかしら…。
こんなにも呆気なく事が運ぶとは思わなかったセリーニ、良心が痛まないわけではないが、彼もまた幾度も厳しい戦いを勝ち抜いてきたはず。

トゥルルルルル―――
   トゥルルルルル―――

そんな時に鳴り出した携帯電話のディスプレイには、父からだと告げる表示。
やれやれ、と重い腰を上げてセリーニは通話ボタンを押した。

「パパ、世界一周旅行はいかが?」
『暢気に“いかが”じゃないだろう。私の知らないところで勝手なことを』

今頃は、豪華客船で太平洋上をハワイに向けて航行中だろうか?

「あら、私はちゃんと料理教室にも通っているし、花嫁修業中なのよ?」
『ジョルジオ一人にジョゼッティを任せてか』
「そのために彼を社長に迎えたんでしょう?」

返す言葉に困った父は一瞬、言葉に詰まる。

『私は、彼と協力してと言ったはずだ』
「妻として、協力は惜しまないつもりよ?」
『セリーニ、お前の立場もわかるが、ジョルジオは今一人なんだ。頼むから、助けてやって欲しい』
「彼がそう言ったの?」
『ジョルジオが言うはずないだろう。だから、こうして』
「パパの言いたいことはわかったけど、彼本人から頼まれるなら話は別。それまで、私は動かないわ」

『セリーニ!!』と叫ぶ父の声が聞こえたが、「ママとゆっくり、楽しんできてね」と勝手に通話を切ってしまった。
このまま放っておけば、やがてジョゼッティの名は消えてなくなるだろう。
そして、ジョルジオとの結婚も。
自分がこんなにも嫌な人間だったとは…。

トゥルルルルル―――
   トゥルルルルル―――

再び、携帯の着信音。

「パパったら、しつこいわね。私は協力しな―――」
『セリーニかい?僕だ』
「ジョルジオ…どうしたの、食事のお誘い?」
『そうじゃないんだ。お願いだ、君の力を貸して欲しい』

とうとう、あの男も音を上げたのだろうか。

「あら、何の話かしら」
『君の気持ちはよくわかる。いきなり現れた男が娘の君を差し置いて社長に就任し、その上、君と結婚することでジョゼッティの全てを奪おうとしていると思われても仕方がないんだ』

ジョルジオはこの件に関し、敢えて口を閉ざしていたのは何を言っても悪い方に取られてしまうのがわかっていたからだ。
例え、セリーニに敵意を向けられても。

「実際、そうでしょ?」
『違うと言っても、信じてもらえないんだろうな』

―――違うって、じゃあ何のために社長になんかなったって言うのよ。

『君が戻って来てくれるなら、僕は社長を退任してもいい』
「は?ちょっと待って」

―――そんな簡単に社長を辞めるなんて、言わないで。
ジョルジオを選んだパパの目に狂いはなかったはず、ただ、それにはセリーニの協力が必要不可欠だったということ。
なのに自分の思う通りにならないからって無責任な。

「ふざけないでよ。あなたにとって、ジョゼッティって何なの?パパが何十年も掛けて築き上げてきたものを子供がおもちゃに飽きたからって放り投げるみたいに」

ジョルジオは電話越しで怒鳴るセリーニを想像しながら、『大人しくしていれば、親の欲目とはいえ自慢の娘なんだが。少々、気が強くって』と話していたジョゼッティ氏の苦笑した顔が目に浮かぶ。
出会ってからというもの、恐らくこんな彼女は初めてだろう。

「何、笑ってるの?人が本気で怒ってるっていうのにぃ」

「失礼な男」と今にも電話を切ってしまいそうな勢いだ。

『ごめん、そんなつもりじゃないんだ。やっと本当の君に出会えたような気がして嬉しかったんだ』
「あのねぇ、私のことなんてどうでもいいの。今はそんなことを話してる場合じゃないのよ。いい?あなたはパパが選んだ人なのよ?最後まで責任持ちなさいよ。この私の夫となるあなたが辞めるなんて絶対、許さないからっ」
『そうならないために君が力を貸してくれるなら』

上手くハメラレタような気がしたが、ジョルジオの本心を少しだけ垣間見たような。
彼は思っているほど、悪い人じゃないのかもしれない。

+++

「戻って来てくれたんですね」

「やっぱり、マネージャーでないと仕事に集中できなくて」と話すスタッフ達が懐かしくさえ感じるほど、セリーニは現場を離れていたのだと実感させられた。
しかし、感慨に浸っている場合ではない。
一刻の猶予も許されない、ジョゼッティをここにいるみんなを守らなければ。

「さぁ、張り切っていきましょう」

セリーニの明るい笑顔に励まされない人はいない。
きっと、次のショーも賞賛を浴びることは間違いないだろう、彼女がいる限り。


辺りはすっかり静まり返って、気が付けばオフィスには自分一人。
―――私の居場所は、ここしかないみたい。
はっきり言って、料理教室が向いていなかったことがよくわかる。
結婚なんて、私には当分無理ね。

「何が、無理なんだい?」

「そんなに根詰めると体に悪いよ。これを食べて少し休憩した方がいい」と、手には彼より魅力的なチキンサンドのお皿を持って現れたジョルジオ。
つい、口から出たひとり言が彼に聞こえてしまったようだ。

「ありがとう。美味しそう」

素直にお皿を受け取るとセリーニは立ったままで、その一つをいただくことにする。
お昼にビスケットをつまんだだけだったのを思い出して、急にお腹が空いてきたのだ。

「あなたは?」
「そのチキンサンドは、君の胃袋に納まった方がずっと幸せだと思うよ」

本当は一緒にと思って持って来たけれど、その様子だとジョルジオのお腹の分まで回ってこない。
それより、ここから追い出されなかっただけマシだ。

「ねぇ、やっぱりコレあげる。そんな目で見られたら、食べられないもの」

非常に居心地が悪かった。
この場所に二人きり…これまで、ずっと仕事に打ち込んできたセリーニには目の前にいる彼はあまりに魅力的過ぎたのだ。

「未来の奥さんに見惚れたらダメかい?」
「はっ?みっ、未来の奥さんって…」

うっとりとした目で見つめるジョルジオに未来の奥さんなどと言われて、セリーニはカーッと体中が熱くなる。
社長の座は彼に譲っても、結婚をするつもりはないのに。

「この際だから、はっきりしましょう。私は経営の話はよくわからないから、あなたに社長は任せます。でも、結婚は…仕事と家庭は両立できないって言ったはずよ?」
「君は電話で『私の夫となるあなたが』って言ったの、忘れたちゃったのかな?」
「えっ、私がそんなこと」

―――勢いに任せて、言ったかも…。
そういうところは、さらっと聞き流してよ。

「できるだけ早く結婚した方がいいと思うんだ。君の体のためにも。なぜなら、僕は料理が得意なんでね」

チラッとチキンサンドに目を向ける。
―――もしかして、これ…。

「社長の座だけじゃ不満なの?」
「僕は、君の夫になりたいんだ」
「何でまた…」

わけがわからない。
ジョルジオのように経営の才能と容姿を兼ね備えた男性ならば…そうなのだ、そもそも彼のような人がジョゼッティみたいなファッション界では有名であっても、家族経営の小さな会社の社長に納まること自体もったいない話。

「それは、君に恋をしているからさ」
「嘘っぽいわね」
「僕は本気だ。セリーニ、君のためなら何だってする。よく考えてみてくれ、君は今の仕事が一番合っているし、そこに社長業が加わったらどうなるか。一生一人でなんて、僕が隣に居ればきっと素晴らしい人生になるはずだよ」

父がなぜ、社長を彼に任せたのか。
セリーニの性格を知っているからこそ、そして多分、彼が嘘を言うような人じゃないからだろう。
多少、大げさに聞こえるけれど。

「ねぇ、パパとはどこで知り合ったの?」
「サッカー場でね」
「サッカー?」

イタリア人はみんなサッカーが好きだが、父は必ずと言っていいほど時間があるとサッカー場に足を運ぶ、熱狂的なACミランのサポーターだ。
そんなところで知り合った二人が?
父には何か感じるものがあったのかもしれないけれど、それにしたって娘と会社を託す相手を選ぶにはちょっと…。

「君の写真を見せるんだよ。自慢の娘だってね」

―――パパったら、もう…。
30目前の娘を恥ずかしいから止めてって言ってるのに。

「一目惚れだったな」
「あなたが?」
「実物に会ったら、益々、惚れたけど」

―――この人といるとペースが狂うわ。
でも、なんだか楽しそうかも。

「私のためだけに愛を囁いてくれるなら、奥さんになってあげてもいいわよ?」
「いくらだって、囁いてあげるよ?何なら、ベッドで」

調子に乗らないでっ!!
と思ったけれど、その笑顔は反則よ。
未来の旦那様。


To be continued...


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