恋は一度きり
2


「申し訳ございませんが、龍波は只今会議中でして。とにかく出せ?そう言われましても―――」

「伝言しておきますので」と答えて受話器を置くと、樹那は大きな溜め息を吐いた。
女性からの電話は名誉ある副社長付になって数日しか経っていないというのにほぼ毎日のように掛かってくるが、今日はペースが早いのか、まだ午前中だというのにこれで5回目だ。
どこで番号を嗅ぎつけてきたのか、副社長に就任したばかりだというのに見つけた獲物は逃がさない…ということなんだろうか。
しかし、副社長付という私の仕事が女避けだったと誰が思っただろう。
―――兄貴のやつ、信じられない。
大事な妹にこんな役回りをさせるなんてっ。
仮にも私はこの会社の創始者の孫娘なのよ?親友の方が妹より上だっていうわけ?
主のいない大きなデスクに向かって、心の中でふざけるなっ!!と叫ぶ樹那。
あんな男を一度でも好きだったなんて…。
自分が恥ずかしいわ。

兄と龍波さんは同じ大学で知り合って妙に馬が合ったらしく、いつも二人は一緒だったが、その頃の樹那はまだ中学生で、兄とは違う初めての異性に心惹かれていた。
しかし、いつまで経っても妹扱い、兄が二人いるようなそんな関係に微塵も変化はない。
それでも、一途に想い続けた私の気持ちを決定的に砕いたのは、高校生の時に後輩の男子学生を紹介された時だろうか。
迷惑な親友の妹を追い払うために身代わりを押し付けて、自分は綺麗どころとヨロシクやっていたなんて。
そして、この仕打ち…。
どこまで、人をバカにすれば気が済むのっ!!

「いやぁ、粟飯原のやつ、まったく人使いが荒くって」

「まいるよな。樹那ちゃんからも言っておいてくれないかな」と自分のことは棚に上げて会議から戻って来た龍波さんは、疲れた表情で椅子に深く腰掛けた。
―――どっちがまいるのよ。
人の気も知らないでっ。

「コーヒーを入れてもらえるとありがたいんだけど」
「そういうことでしたら、秘書の方にお願いしたらいかがでしょうか?喜んで入れて下さると思いますが」

「あなたには、他に美人秘書が付いているんですから」と樹那は、視線を合わせもせずに皮肉たっぷりに言い返す。
そして、どっかとデスクに置いた書類の山と女性からの伝言メモ。

「なんでしたら、ついでに副社長付の役職もその方にお譲りしましょうか」
「嬉しいな、妬いてるのかい?」

ニヤニヤ顔で見つめる龍波さんに腹立たしくも、やっぱり見惚れてしまうくらいのいい男。
その気持ちを悟られないようにするのは厄介だ。

「はっ、何で私がっ」
「まだ、脈はありそうだね」

―――脈?

「しっかし、兄君ではないが、その服装と髪型はいただけない。せっかくの美貌が台無しだ」

大きなお世話、いくら着飾ったって、たった一人の人が振り向いてくれなきゃ意味がないからよ?

「あなたに言われたくありません。どんな格好をしようと個人の自由、それをイチイチ言うのなら副社長付なんて形ばかりの仕事は辞めさせていただきます」

この姿のことで影で噂されていることは知っていたし、気にならないと言ったら嘘になるかもしれない。
でも、それは本人の意思でやっていること、別に他人に何を言われても構わなかった。
なのに龍波さんに言われると、どうしてこうもムキになってしまうのか…。

「それは困るよ。君を付けてくれるという約束で、副社長を引き受けたんだから」
「どうして」
「ん?樹那ちゃんなら、女性避けになってくれるだろう?なーんって、じょ―――」

ボカっ!!

「バカにするのも、いい加減にしろーーーーっ!!」

叫び声と共にバーンっと大きな音を立てて閉まるドア。
何事が起きたのかと部屋を覗き込む社長の颯仁(はやと)が目にしたのは、「痛ってぇ…」と涙目になって両手で頭を抱える変わり果てた親友の姿だった。

+++

上司、それも副社長の頭を思いっきりグーで殴った社員、それも女性となれば前代未聞。
とはいっても、あんな失礼なことを言ったのだから自業自得。
兄の話によると軽いたんこぶはできたらしいが、相変わらずの男前っぷりに変化なし、だそうだ。
しかし、暴力はいかんだろう。
その責任は、取らなければならない。

「やっと顔を見せたのか、どこへ行ってたんだ?携帯の電源は切ってるし、マンションにも帰っていない。心配しただろうが、一週間も無断欠勤して」

「ったく、殴るなんて女のするこっちゃないだろ。それもグーで」と呆れ顔の兄、もとい社長。
だけど、言い訳する気にもなれず…。
―――だって、兄貴は実の妹の私より、親友の味方をするに決まってる。
どーせ、凶暴な女ですよ〜だ。
ふんっ。

「はい。なので、責任を取って辞めさせていただきます」

「辞表も書きました」と、いつになくしおらしく社長のデスクの上に白い封筒を置く。

「えっ?辞めるって、辞めてどうするんだ」
「どうするって、取り敢えず辞めてから考えます」

家に頼らず一人仕事に生きるつもりだったが、よくよく考えてみると身内が経営する会社で働いても実はあまり意味がないのかもしれない。
これも、世間の厳しい荒波に揉まれるいい機会。

「辞めてから考えるって。家も出ているってのに辞めて、これからどうやって暮らすんだ?あれだけ、啖呵を切っておいて戻って来るわけにもいかんだろう。だいいち、世の中そんなに甘くないんだぞ?お嬢様育ちのお前が、他所でやっていけるはずがない」
「そんなことは、やってみなければわからないでしょ?少しは蓄えもあるし。大体ねぇ、あんな副社長の下でなんか、こっちから願い下げよ」

―――わかってるわよ、そんなこと。
両親と目の前にいる兄の反対を押し切って自活を始めたんだから、ここで逃げ帰るわけにはいかない。
だからといって、あの副社長の下でなんか、働く気になれないんだもの。
仕方ないでしょ?

「もう、好きじゃないのか?あいつのこと」
「もうって、昔から好きじゃないけど」
「嘘つけ。龍波も反省してるんだ。今回だけは許してやれよ。樹那が辞めたら、あいつだって」

―――は?
妹のことを思ってじゃなくて、あの男がいなくなると会社にとって困るから。
反省してるなんて言っても、どーだか。
いいわよ、いいわよ…どーせ、その程度の存在なのよ、私なんて。
わかっていたことなのに、いざ現実を突き付けられると悲しいもの。

「結論を急ぐ前にゆっくり話した方がいい。そうだな、二人で食事にでも行ったらどうだ?あいつが来てから誘いを断ってるそうじゃないか」
「別に話すことなんてないし、龍波さんだって私と食事に行ってもつまらないでしょ」

―――そりゃあ、誘われているのは確かだけど、きっとまた女避けに決まってる。
女として見られないのは、もう嫌なの…。

「それは違うな。以前のあいつは―――まぁ、一度騙されたと思って行ってみろって。その時は少し位、おしゃれしろよ?」

それこそ、今更…。
もう、誰のためにおしゃれはしないって決めたんだから。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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