兄上の温かい?お心遣いにより、予約は1ヵ月待ちなんて当たり前という人気のレストランでの待ち合わせ。
本来なら、目一杯おしゃれしていくところだろうが、今の樹那にはどうだっていい。
それより、面と向かって龍波さんと何を話せばいいのだろうか…。
はぁ〜あ。
憂鬱だなぁ、こんなの。
重い気持ちでレストランの扉を開けるとスタッフが丁寧に出迎えてくれて、既に先に来ているという龍波さんの待っている席に案内された。
「ごめんなさい、遅くなって」
「いや、僕もちょっと前に来たばかりだから」
「ワインと料理は勝手に選んじゃったよ」と話す龍波さんはいつもと変わらなかったけれど、何だか妙に居心地が悪い。
―――やっぱり、少しはおしゃれするべきだったかしら?
今頃言っても遅いが、地味〜なスーツに伸ばしっぱなしのストレートな髪を後ろで一本に束ねただけのヘアスタイルは正にオバサン!!
兄貴のやつ、ここまでお膳立てしたんだったら、せめて個室を予約するくらいの気を使いなさいって言うの。
「あの…」
「ん?なんだい」
「頭、大丈夫?今更だけど…」
「あ…全然平気ぃ?粟飯原(あいはら)のやつ、大げさに言ったんじゃないか?」
語尾が上がっているところがビミョーに気にならないでもないが、見たところ変わった様子もなく、本人の言葉を信じるしかない。
「ごめんなさい。殴ったりして」
「いや、僕も度が過ぎたと反省してる」
「・・・・・」
いつも、ツンツンしていた樹那もさすがに龍波さんにこう素直に返されると毒舌を言うわけにもいかず…。
―――調子、狂っちゃう。
そんな時にちょうどワインが用意されて、グラスに注がれる真っ赤な液体に暫し視線を止めた。
こういう時は飲んで食べて、この場をしのぐのが一番。
「じゃあ、乾杯しようか。仲直りを記念して」
お互いに苦笑しながら、グラスを傾ける。
銘柄にはてんで疎い樹那も、さすが高級なものを口にすれば体が覚えている。
次々、出てくる料理の皿も、それ以上に素晴らしいものばかり。
「辞めるって言うのは、本気じゃないよね」
「えっ?」
プリップリの海老と帆立貝を使ったカクテルは絶品だったが、いきなり本題に入るものだから、思わずフォークから零れ落ちた。
「兄から聞いたの?」
「いや、君のことだから、そうなんじゃないかなって」
「一応、辞表は書いて持っていったんだけど、返されちゃった。全く、いつまで経っても何もできないお嬢様扱いよ」
「なら」
「今のところは保留ね。だって、副社長付といっても特別仕事を任されているわけじゃないし、このままだと…また龍波さんを殴らないっていう保障もないわけだし」
イマイチ、樹那が納得できないのは、あの電話の件がなかったら、一体自分はあそこで何をするのかということ。
立場が変わらなければ、再び腹を立てて殴りかねないのだから。
「ちゃんと仕事はしてもらうよ。僕だって、二度目はごめんだ」
「樹那ちゃんのパンチは強烈だから」と顔をしかめるアタリ、相当強力だったのだろう。
「私だって、勘弁して欲しいわよ。これ以上、凶暴な女だって思われたくないし、言っておきますけど、あんなことはあれが生まれて初めてだったんだから。でも、無理にいいのよ?元の職場に戻してもらえば済むし、それが無理なら他の部署でも」
「ダメだっ!!絶対」
何をムキになっているのだろうか…。
単なる親友の妹という存在でしかない樹那がどこの部署で働こうが、彼にはさほど関係ない話なのに。
「どうしたの?ムキになっちゃって」
「いや、なんでもない」
―――変なの、龍波さんったら。
◇
食事を終えて、樹那をマンションまで送り届けたのを見計らったように携帯に着信が入る。
…粟飯原か。
「なんだ」
『もしかして、邪魔したか』
「グッドタイミングだったよ。たった今、彼女を家まで送ったところだ」
『そっか、で?交渉は上手くいったのか』
『家まで送ったということは、殴られずには済んだようだな』と冗談めかす粟飯原だったが、二人は一気にこのまま…とまでは、いかなかったようだ。
それを聞いて、この分だと一生言われ続けそうだなと龍波は小さく聞こえないように溜め息を吐いた。
「辞表は、取り下げてくれるんだろう?」
『そのつもりだが、妹はどうなんだ?ただ、自分の側に置いておきたいってだけじゃ納得しないだろう』
確かに粟飯原の言う通り。
どうして、副社長付にしたかというと、秘書では納得しないというのもわかっていたし、かといって常に目の届くところに彼女を置いておきたかったからだ。
「そうなんだが」
『ったく、屈折してんだよな、お前達。まぁ、あれでも大事な妹なんだから、これ以上、傷付けないでやってくれよ』
樹那が今でも、たった一人の男を想い続けていることを知っている兄としては、いくら相手が親友でも決して譲れないものがある。
とはいっても、彼の想いもまた十分理解しているだけに複雑なことは確か。
「わかってるって。そのためにここに戻って来たんだから」
電話を切ると、いつの間にか外は雨。
龍波の姿に待たせていたタクシーの後部ドアが開く。
「お客さん、どちらまで」
「すまない。やっぱり、歩いて行くから」
…たまには、濡れてくか。
傘もささずに走り抜ける龍波の心を洗い流すように。
To be continued...
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