―――確か、この辺のはずなんだけど…。
佐伯 泉(さえき いずみ)は、大学時代の友達に誘われてライブハウスへ向かう途中だったが、薄暗い路地裏にはところどころに若い男性達が屯していて、時折嘗め回すようにしてダルそうな視線をこっちに向ける。
もう少し早く、出るんだったわ…。
週末だったし鐘が鳴ったと同時にみんなは席を立ったが、一人出遅れた泉は『佐伯さん。悪いけどこれ、ちょちょっと直してくれないかな。定時までにメールを入れる約束になってたんだよ』と課長に捕まり、仕方なく引き受ける羽目に…。
それは30分ほどで片付いたけれど、初めて行くライブハウスの場所がどこだかさっぱりわからない。
地図を片手にあっちこっちさ迷っていたら、なんだか怪しいところに足を踏み入れてしまったよう…。
―――それにしても、何か変じゃない?
自慢じゃないが、泉は街を歩けば必ずと言っていいほど声を掛けられるくらいの美貌の持ち主。
そんな彼女に対して、周りにいる男性達は一瞬視線を向けはするものの、全く対象外という様子。
もしかして…。
よく見れば、互いに見詰め合ったりしているし…。
えっ、うそ…。
男性同士で、キスしてる。
数メートル先に向き合って立っていた男性同士がキスを…それもかなり濃厚なキスをしているのが、嫌でも目に入ってしまう。
世の中には何十億という様々な人種、考えを持った人達が同じ世界を共有して生きているわけだし、彼らのことを否定したりするつもりも毛頭ない。
しかし、すぐ側でそれを目の当たりにしてしまうと、それはそれでカルチャーショック。
―――でも、すっごく綺麗。
いわゆる、ビジュアル系とでもいうのだろうか?
背は高いけれどものすごく線が細くて、一人は壁に寄り掛かっているせいか、影になってはっきり顔を見ることはできないが、もう一人は女性よりも綺麗な顔立ちをしている。
あんなに綺麗な男性同士なら、好きになっても不思議ではないのかもしれない。
つい、見惚れていた泉は慌ててその場を立ち去ろうとしたが、影になっていた彼と目が合った。
やだ…どうしよう…。
ジっと、見たりしたから…。
悪気があったわけじゃない、でも彼らにしてみれば見られるのは気持ちのいいもんではなかったに違いないのだ。
「ごめんなさい。わたし…」
「それ」
「え…」
特別怒っているわけでもなく、彼は泉のことを見ているというか、手に持っていたパンフレットにそれは注がれているようだった。
「聴きに行くのか?」
「はっ、はい。場所がわからなくて」
「なら、俺が連れて行ってやるよ」そう言って、彼は相手の彼に軽くくちづけると泉の方へやって来た。
影になって良く見えなかったが、相手の彼以上に綺麗で目が釘付けになってしまう。
「ほら、もたもたしてるとライブ始まるぞ?」
「えっ。あっ、はい」
予期せぬ展開に戸惑いつつも、このままさ迷っているよりはライブハウスの場所を知っている彼に付いて行く方がずっと確かである。
―――すっごくカッコいいけど、ほら男性が好きなわけだしね。
変な安心感を持って、彼の後ろをチョコチョコと。
ライブハウスはそこからすぐのところにあったけど、一本道が隣だった。
それも地下への入口が微妙にわかりづらく、初めての人はまず見つけられないといっていい。
やっぱり、泉は運が良かったのだ。
「ここだから」
「すみません、ありがとうございました。わざわざ、連れて来ていただいて」
よく考えてみれば、ライブとは何の関係もない彼がわざわざここまで連れて来てくれるなんて。
それより、良かったのだろうか?相手の彼とはあの場所で別れてきても。
「いや、俺もここに来る予定だったから」
「そうだったんですか」
―――なぁんだ、この人もライブを見に来たんだぁ。
でも、一人で?
彼はあそこに置いて来ちゃって、一人でライブに?
「じゃ、楽しんでいって」
「はい、あなたも」
彼は、軽く手を上げて行ってしまう。
その後ろ姿を見送っていると、泉に気付いた友達の柴山 春菜(しばやま はるな)が肩を叩く。
「泉、遅いっ」
「ごめ〜ん。出掛けに課長に仕事を頼まれちゃって。それにここ、全然わかんないんだもん。迷子になって、変な道に入り込んじゃったわよ」
「えっ、もしかして。男の人同士のキスシーンとか見たりした?」
「バッチリ、見たわよ。だけど、いい人がここまで連れて来てくれたの。すっごい、カッコいい人」
「へぇ、そうなんだ。この辺ね、男性同士のカップルが集まる場所なのよ」
―――そうなんだ、春菜は知ってたのね?
わたしみたいなのが入ったりしたら、きっといけないところだったんだわ。
「それよりね、Ryoがまだ来てないって話なの」
Ryoとは、今夜のライブに出演するバンドのボーカルである。
メジャーデビューを果たしながらもメディアには一切出ないという伝説のバンドで、限られたライブハウスでしか活動しない。
そんなプレミアチケットをどうやって手に入れたかというと、そこは友達の力なわけだが…。
実を言うと泉は彼らのライブを見るのは今回が初めてで、曲はCMやドラマなどに使われているから耳にしても顔は見たことがなかった。
春菜を前にして言い難いが、泉にはあまり興味がわかないのだ。
「まだって…大丈夫なの?こんな時間に来てなくても」
「いつものことなんだけど、ドタキャンなんてことはないと思うから」
―――そういう人なの?
滅多に聴けないライブだし、せっかくここまで来たんだからドタキャンはねぇ。
「取り敢えず、中に入ろう?」
「うん」
彼らのライブは、20歳以上と限定されている。
それはなぜかというと、会場でアルコールが出されるから。
中に入ると思ったよりもずっと落ち着いた店内に既に観客は大勢集まっていたが、自分達と同じような会社帰りのOLやサラリーマンの姿が目につく。
フリードリンクなので、カウンターで好きな飲み物を頼んで彼らが出てくるのを今か今かと待ちわびる。
お酒大好きの泉にとってみれば、これはちょっと嬉しいかもしれない。
万が一Ryoが来なくてもいいかな、なんて思ったりもして。
ビール片手にほろ酔い気分の泉だったが、急に会場が暗くなってステージの中央にライトが光る。
「あっ、出て来た!」
「え?どこどこ?」
キャーッという声と共に出て来たのは…。
―――え?さっきの人…。
あの人が、Ryoだったの?!
ここまで連れて来てくれた彼が、Ryoだったなんて…。
だから、さっき『楽しんでいって』って言ったんだ。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
NEXT
BACK
INDEX
SECRET ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.