ライブハウスの中は騒然としているのに、泉の周りだけ流れていた時間(とき)が止まったみたいに静かだった。
激しい曲調のものもあれば、落ち着いたバラードもあったが、そのいずれもが、Ryoの澄んでいて力強い歌声に乗った歌詞、というよりも言葉が心の奥底にすっと入ってくる。
―――こんな曲を歌ってたんだ…。
表舞台で耳にしているものとは違う、これが彼らの音楽の真髄なのだろう。
一切メディアに姿を現さないのも、限られた人達とだけ、この一瞬を共有したいからに違いない。
泉はすっかり、このバンドの虜になってしまっていた。
特にRyoの。
◇
「泉ったら、Ryoにすっかり嵌っちゃったわね」
「うん、CD全部買って家でも通勤でも毎日欠かさず聞いてるもん」
短い昼休みの時間に泉は春菜と待ち合わせてパスタ専門店に来ていたが、その時も肌身離さずiPodを持ち歩いていたのだ。
二人は新卒で入社した会社の同期だったけど、春菜は配属先の上司と折り合いが悪く、早々に辞めてしまい、今は派遣会社で気ままに働いていた。
そんな春菜が羨ましいと思いつつも、せっかく正社員で採用されたこの会社をそう簡単に辞める勇気など、泉にはなかった。
「あたしに感謝してね。Ryoのライヴなんて、そうそう見られるものじゃないんだから」
「ほんとよね。ありがと、春菜」
今でこそこんなに夢中になっている泉だったが、誘われた時に思ったのは彼らの音楽を生で聴けることではなく、会社や学生時代の友達に自慢できるということだった。
そして、一人遅れて行ったことで、Ryo本人に案内までしてもらえたし。
―――あぁ、顔を知っていたらサインしてもらったのになぁ。
もったいないことをしたなと泉は思ったが、このことは自分の中だけの秘密にしておこう。
「だったら、ここは泉のおごりってことで」
「はぁ?」
「何で、わたしがおごらなければならないの」と言ったところで、春菜はバッグを掴むとさっさと店を出てしまった。
―――もうっ、春菜ったらぁ。
ちゃっかりしてぇ、今回だけなんだからね?
仕方ないなと後を追う泉だったが、もう一度彼の生の声が聴きたい。
逢いたい…。
想いは募るばかりだった。
そんな矢先、週刊誌やスポーツ紙の一面を踊ったのは突然のRyoの無期限休養宣言だった。
所属事務所の話によると、もう一度ゆっくり音楽の原点を見つめ直したいとの彼の意向を受け入れ、グループの解散はないと断言していたが、ベールに包まれた彼の素性をテレビの芸能ニュースは連日おもしろおかしく並べ立てる。
泉もそれを聞いた時はショックを隠せなかったが、自分の思う通りの音楽が作れるようになった時に戻って来てくれればいい。
誰だって走り続けていれば、休みたくなることだってある。
そっと見守っていよう、一ファンとしてそう心に言い聞かせたというのに、あろうことか彼が同性愛者だということまで…。
確かにあの現場を目撃してしまった泉が衝撃を受けなかったわけではなかったけれど、好きになった相手が同性だったというだけで、なぜそこまで他人にとやかく言われなければならないのだろう。
彼の作り出す音楽が好き、それだけでいいはずなのに…。
腹立たしさと悲しさで、怒りを通り越して涙しか出てこなかった。
+++
自然に足が向いていたのは、Ryoを見たのが最初で最後になってしまったあのライブハウス近くの路地裏。
なぜだかわからなかったが、泉はここへ来れば彼に、彼の何かがわかるかもしれない、そう思ったから。
まるでこの世に男性しか存在していないかのような錯覚さえ覚えるこの場所で、彼女はどう彼らに映っていたのか。
「あの…Ryoさんを知りませんか」
勇気を振り絞って泉は、スキンヘッドの外国人らしき男性と抱き合っていた日本人の若者に声を掛けた。
彼がここにいる保障なんてどこにもなかったし、仮に所在がわかったとしても、他人の泉に一体何ができるというのか。
迷惑なだけだということも、もちろん承知の上だけど、ただ…逢いたかった。
逢って…。
「Ryo?あぁ、最近見掛けないな。世間じゃ随分と騒がれてるし、その前からあいつひどく落ち込んでたから」
「落ち込んで」
休養宣言を発表する前に、ひどく落ち込むような出来事があった。
もしかして、それが原因なんじゃ…。
「あの様子だと、失恋したみたいだな」
「失恋?」
失恋相手というのは恐らくというか男性で、もしかしたらライブの時に見たあの人だろうか。
そこまで思い詰めるほど、その人のことを愛していたんだ。
泉はそこまで人を愛したことはなかったけれど、彼にとってはそれくらいのことだったのだろう。
「どこか、心当たりはないですか」と、泉はどんな情報でもいいから教えて欲しいと頼む。
日本語があまり理解できないのか、仲を邪魔されたのが不満なのか、スキンヘッドの外国人男性がしきりに若者の耳元にキスしたり囁いたりしていたが、何かを思い出しそうな彼の言葉を泉は辛抱強く待った。
「そう言えば、この先すぐのところに見落としてしまいそうなくらい小さなバーがあるんだけど。もしかしたら、そこにいるかもしれないな」
「バー?」
頷く彼に「ありがとうございます」とお礼を言うと、泉は急いでそこへ向かう。
言われた通り、よく見なければそれとはわからない木戸にかすれた文字でかろうじて書かれた小さなバーがあった。
しかし、勢いで来てしまったものの、この扉の向こうにRyoがいるとは限らない。
例えそうだったとしても、何かしなければ泉の心は納まらなかった。
ガチャっ―――
ゆっくりドアを引くと薄暗い店内には奥に長いカウンターがあって、音量を抑えたジャズが流れていた。
「いらっしゃいませ」
静かな落ち着いた声で迎えてくれたのは、他に店員らしき人は見当たらないし、マスターなのだろうが意外にも泉と同じ年代の若い男性だ。
そして、内装も古い煉瓦を壁一面に張った渋い作りで素敵。
「あっ、いえ…その…」
泉は客として来たわけではなく、Ryoを探しに来ただけだったし、だいいちいたとしても彼は泉のことすら覚えていないかもしれない。
「取り敢えず、中へどうぞ」
入口で立たれても困ると思ったのだろう。
そう言われて、泉は恐る恐る中へ入る。
その姿はまるで、一度入ってしまったら二度と外へ出られない、そんなふうに見えたのだろうか。
「大丈夫だよ。ここは、ボッタクリでもないし」
さっきとは違う、その声の主は…。
「Ryo…さん」
一番奥の壁に寄り掛かって座っていた人がいたのに気付かなかったが、彼はRyoに間違いなかった。
随分飲んでいたのか、カウンターに両腕をクロスさせて俯き加減だ。
それでも、微笑む彼に急に込み上げるものを感じて泉はそれを抑えることができず…無意識に彼の胸に飛び込んでいた。
To be continued...
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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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