クリスマス・イヴの夜に


今日は12月24日、クリスマス・イヴ。
つい先日イヴと同じ24歳になったばかりの齋藤 紗耶(さいとう さや)は、社会人2年生。
彼氏もいないのに見栄を張ってお洒落して来た手前、残業するわけにもいかず、定時の鐘が鳴ると早々に会社を後にした。

―――何やってんだ、あたし…。

行く当てもなく街をブラブラと歩きながら、ジュエリーショップのウィンドウに映る自分の姿を見て呆れ返る。
紗耶は自分で言うのもなんだが、モデル張りの容姿で昔からかなりモテた。
もちろん男関係もそこそこ派手だったにも関わらず、一度も彼氏とクリスマスを共に過ごしたことがないのはその時期になると必ずといっていいほどフラれるから。
だから、その間近である誕生日も彼に祝ってもらったことがない。
さすがにここまで毎年同じことを繰り返しているとなると、一度お祓いでもしてもらった方がいいのではないかと思いたくもなる。
少なからず原因はこの容姿に似合わない男勝りで可愛くない性格のせいだとわかってはいるのだが、直せないものは仕方がないのだ。
小さく溜息を吐くと気を取り直し、『シャンパンとケーキでも買って家に帰ろう』。
そう、一歩足踏み出したところを聞き知った声に名前を呼ばれて振り返った。

「齋藤?」

そこにいたのは、同じ会社で一緒に仕事をしている先輩の中谷 卓哉(なかたに たくや)だった。
紗耶より2歳年上の26歳だったが、老けているという意味ではなく実際の年齢よりも幾分落ち着いて見える。
何センチあるのか聞いたことはなかったけれど、かなり身長も高くて顔は世間一般で言うイケメンである。
卓哉と一緒に仕事をするようになったのはここ半年ほどで頭も切れるし頼りになる存在であり、顔の良さを鼻に掛けないところは好感が持てたのだが、いかんせん口が悪くて紗耶にだけは意地悪なのだ。
しかしよりによって、どうしてこう会いたくない人間にこういう日に限って会ってしまうものなのだろう?
余程ついていないのかと本気でお祓いしてもらうことを考えた紗耶だったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「中谷さんじゃないですか、こんなところでどうしたんですか?あっ、これから彼女とデートですか?」

平静を装っていつものように紗耶は、卓哉に明るい笑顔を向けた。

「俺か?あはは、やっぱりそう見えるか?って。それより、お前こそデートか?あぁ、聞くだけ野暮だったなぁ」

―――『やっぱりそう見えるか?』
中谷さんは、デートなんだ…。
卓哉は今日の紗耶の服装を見て、同じように彼氏とデートなんだと思ったのだろう。
それ以上深く追求されなかったことがせめてもの救いだったけれど、なぜかすっきりしない。

「言っとくけど、勘違いするなよ。俺はお前と違ってモテないからな、イヴだってのに一人寂しく家に帰るところだよ」
「え?嘘…」

卓哉の口から出て来た意外な言葉に紗耶は思わず声を上げた。
社内でも人気の高い卓哉にクリスマスを一緒に過ごす彼女がいないとは…まったくもって、意外すぎる。

「こんなこと、お前に嘘言ってどうすんだよ」
「中谷さんって、彼女いなかったんですか?」
「悪かったな」

視線を遠くに外してふて腐れたように言う卓哉が、なんだか少し可愛く見えたりして…。
言われてみれば確かにそうだ。
わざわざ本当のことを言わなくてもいいのだろうが、そういう正直なところが逆に卓哉の良さなのだと紗耶は思った。

「言っときますけど、あたしもデートなんかじゃありません。だいいち、彼氏なんていませんから」

―――あ〜あたしったら、何ほんとのこと言ってるのよ。
言ってしまってから後悔しても遅いのだが、卓哉が正直に言うものだからつい紗耶までいらぬことを言ってしまった。

「本当なのか?」
「こんなこと、中谷さんに嘘言ってどうするんですか」

いつも意地悪なことを言われているので、お返しとばかりにワザと卓哉が言った言葉と同じことを返した。
そういうところが自分でも可愛くないと思うところなのだが、こればっかりは直りそうにない。

「いやこんな日だし、お前いつも以上に可愛い格好してるから、てっきり男とデートかと思ってた」
「自分でも馬鹿だって思ってますよ。彼氏もいないのにイヴだからって見え張って、こんな格好して…」

自分で言ってて、悲しくなってくる。
今の紗耶のイデタチは、襟元にファーの付いた真っ白のコートに膝小僧が出るくらいのマーメードラインの少しラメが入ったツィードのスカート、そしてヒールの高いロングブーツ。
セミロングの髪だって、毛先を少しカールさせている。
誰が見ても、イヴを彼氏と過ごすと思うに違いない。

「そうか、齋藤もフリーなのか」

『そうか、そうか』としみじみとひとり頷きながら、ニヤっと笑う卓哉がなんだか憎らしい。
―――どうせ、フリーで悪かったですね。
余計なお世話、放っておいてってのよ。
心の中で、卓哉に聞こえないように憎まれ口をたたく。

「だったらそんな意地張ってないで、もっと早く言ってくれればいいのに」

紗耶に向かって「ちょっと待っててくれ」と卓哉は言うと、おもむろに携帯電話を取り出してどこかに掛け始めた。
相手は誰だかわからないが、話口調からして随分と仲がいいように聞こえる。
彼は暫く話をした後、電話を切ると「行くぞ」と一言告げて、紗耶の腕を取って歩き出した。

「ちょっ、ちょっと中谷さんっ。どこに行くんですか?」
「まぁいいから、黙って付いて来いって」

―――黙って付いて来いって…。
一体、どこに行くと言うのかしら?
大人しく卓哉に腕を捕まれたまま繁華街を抜けると落ち着いた住宅街に入り、一軒の家の前で立ち止まった。

「ここは?」
「あぁ、俺のダチがやってるフレンチレストランだよ」

紗耶は初めそれが普通の民家だと思ったのだが、卓哉にフレンチレストランだと言われてもう一度よく見ると小さく『ビストロ マエダ』と書いてある。
―――へぇ、こんなところにこんなお店があったんだぁ。
などと関心している間もなく、卓哉に背中を押されて店の中へ入った。

「可愛いっ」

思わず紗耶が声に出してしまったほど、店内は可愛らしいクリスマスの飾り付けでいっぱいだったのだ。
南フランスの雰囲気が漂うどこか家庭的な感じが、一層乙女心をくすぐる。

「いらっしゃいませ」

紗耶が店内に気を取られていると奥から、白い制服を身に纏ったシェフらしき若者が顔を現した。
年齢は卓哉と同じ位だろうか?端正な顔立ちで、今流行のカリスマシェフみたいだ。
さっき店に入る前に言っていたダチというのは、この人のことだろうか?

「光輝(みつき)、悪いな無理言って」
「ほんと、お前はいっつもいきなりだからな。でも、こんなに可愛い彼女と一緒なら仕方ないか」

光輝と呼ばれた男性が、卓哉をいたずらっぽく睨みつけると横に立っていた紗耶に向かってニッコリと微笑みかけた。
ここで即座に『あたしは、彼女なんかじゃありませんっ』とツッコミを入れるところなのだが、光輝があまりにも綺麗な顔立ちをしているので思わず見惚れてしまう。
そんな紗耶をチラっと横目で見つつ、卓哉が光輝を紗耶に紹介する。

「こいつは、俺の幼馴染の前田 光輝(まえだ みつき)。ここの二代目シェフなんだ」
「今日は、ようこそいらっしゃいました」

またもやニッコリ微笑む光輝の顔に見惚れていると、続けて卓哉が光輝に紗耶を紹介をした。

「彼女は俺と同じ会社の後輩で一緒に仕事をしてる、齋藤 紗耶さん」
「初めまして、齋藤です」

紗耶がペコリと頭を下げると光輝の『紗耶ちゃんって言うの?顔も可愛いけど、名前も可愛いんだね』って声が頭の上から降ってきた。
光輝は線は細いが、卓哉と同じくらい背が高い。
しかし外見に似合わないこの口調、それにこの歳でちゃん付けもどうかと思うのだが…。

「紗耶ちゃんも卓哉も、お腹空いてるでしょ。さぁ、どうぞ」

光輝は忙しい身だったのを敢えて二人のために出迎えてくれたようで、すぐにまた厨房に消えて行った。
一番奥の席に案内された卓哉と紗耶だったが、よく見れば周りはカップル達でいっぱいだ。
卓哉が電話を掛けていたのはこの店の予約をするためだったのだろうが、いくら幼馴染とはいえよくこんな日に空いていたものだと思う。

「お前、さっき光輝に見惚れてただろう?」
「え…」

―――げっ、中谷さん見てたの?
いきなり振られて、紗耶も返す言葉が見つからない。

「まぁ、あいつも女みたいに綺麗な顔してるからな。でも、あいつは駄目だぞ?もう奥さんがいるからな」
「え?そうなんですか?」

別に狙っているとかそういうわけではないが、卓哉と同い年であると考えれば紗耶と2歳しか違わない。
既に奥さんがいるとは思わなかった。

「本当は奥さんも、海晴(みはる)さんて言うんだけど店を手伝ってたんだよ。でも、最近おめでたでさ悪阻がひどいらしいんだ」

聞くと奥さんである海晴さんは、光輝さんよりも3歳年上の姉さん女房らしい。
なんでも光輝さんがフランスで料理の修業中に短期語学留学で来ていた海晴さんに一目惚れして、猛アタックしたというのだから驚きだ。
2年間の超遠距離恋愛を経て、目出度く半年前に結ばれたそう。

そんな話をしていると、程なくしてテーブルにシャンパンが運ばれて来た。
ゴールドに輝くそれをグラスに注ぐと、どちらからともなくカチンとグラスを合わせる。
思いもしなかった展開に紗耶は戸惑いを隠せなかったが、目の前にいる卓哉はそんなことはお構いなしといった表情だ。

「あの…中谷さんは、どうしてあたしをここへ連れて来てくれたんですか?」
「それは、今日は特別可愛い齋藤を一人にしておくのはもったいないから」

―――聞いたあたしが、馬鹿でした。
この人は、いつもこんなふうにあたしをからかって楽しんでるのよ。
そう言いながらも、実はそんなあたしも楽しんでるんだけど。
一人で寂しく過ごすはずだったイヴが、ひょんなことからこんなにも素敵な夜に変わったのだから。

突然押しかけたにも関わらず、光輝さんはあたし達二人のために特別に料理を作ってくれた。
それは、どれも本当に美味しくて…時が経つのも忘れてしまうくらいだった。
席が空いていたのも偶然ではなくて、何かのために1つは必ず用意しておくのだそうだ。
これは本当かどうかはわからないが、卓哉がいきなりここへやって来るのは一度や二度ではないそうで、そのためだと光輝さんは冗談交じりに言っていた。
あながち、冗談でもなさそう…卓哉を見ればそう思うのは紗耶だけではないはず。

「今日はありがとうございました。こんな素敵なお店に連れて来てもらって…あたし、クリスマスを男の人と二人で過ごすの初めてなんです」

驚いた顔の卓哉が視界に入る。
それはそうだろう、男の噂が耐えない紗耶がまさかクリスマスを二人で過ごしたことがないと言うのだから…。

「なんかいっつもこの時期になるとフラれるんです。だから、憧れだったんですよねこういうの。あたしって性格がこんなじゃないですか、だからすぐ愛想つかされるんです」

卓哉の前では、カッコつけるとかそんなことはもうどうでもいいような気がしていた。
逆にカッコ悪い自分をさらけ出せて、すっきりしていたのは事実だったし。

「今年は急だったからなプレゼントも用意できなかったし、これが精一杯だけど。来年はもっとすごいの、考えてやるよ」

―――え?来年って、どういうこと?
紗耶には卓哉の言っていることが理解できず、きょとんとした顔で見つめることしかできなかった。

「心配するな、俺はお前の性格はこの半年で全てお見通しだ。口が悪いのも素直じゃないのも、知ってる」

―――ちょっと、それどういう意味よ!
そりゃあ、中谷さんの言ってることは間違ってないから否定はしないけど、少しくらいフォローしてくれてもいいじゃないっ!

「どうせ口も悪いし、素直じゃないですよ。だから男にフラれるんだって、中谷さんも思ってるんじゃないんですか?」
「まぁ、そう開き直るなよ」

卓哉は苦笑しながらも、こういうところが紗耶の魅力だとも思っていた。
外見は光輝も言っていたように本当に可愛いから、卓哉が半年前に今の部署に異動になって初めて紗耶を見た時も同じようにそう思ったものだった。
しかし、外見とは似ても似つかない男勝りの性格は驚きの反面ひどく新鮮で、卓哉のハートを一瞬で捕らえてしまったのだ。
卓哉は自分では特別いい男とも思わないのだが、なぜか女性の方から迫られる。
あまり女性に対して関心もなかったし、断るのも面倒で誰とでも付き合ってきたが、甘ったるい声で話し掛けられたり束縛されることを嫌い、いつの間にか相手から離れていくというパターンを繰り返していた。
ある意味紗耶と似ているのかもしれないが、それでもいいと思っていたところでの紗耶と出会い、初めて自分から人を好きになったのだ。
しかし、今まで卓哉になびかない女性などいなかったのだが、紗耶は一向にその気配がない。
わざと意地悪なことを言ってからかっても、ムキになって本気で突っかかってくる。
負けず嫌いで世話好きな姉御肌だが、そのくせ涙もろい。
クルクルと変わる表情が見ていて飽きないというか、いつしか一緒にいることが心地よくて目が離せなくなっていた。
そんな女性に会ったのも、初めてだった。
しかし、紗耶の男関係の噂は絶えず、クリスマス・イヴである今日は飛びっきりの格好で会社に来たのを見た時にはもう駄目だと思ったのは事実。
こんな日に残業する人も会社にはいなかったから仕方なく定時で退社するも、真っ直ぐ家に帰る気にもなれない。
自宅近くの繁華街をブラブラしていると、ジュエリーショップの前に立っていたのは紗耶だった。
ただでさえ目立つ容姿である、嫌でも目に入ってしまう。
一瞬傍に男がいるのではないかと見回してしまった卓哉だったが、どうもその気配はない。
それに良く見れば少し寂しげな表情にも見えて思わず、声を掛けていた。
そして、紗耶の口から飛び出して来た『―――彼氏なんていませんから』という意外な言葉に自分の耳を疑った。
卓哉の問いに即座に返ってきた『こんなこと、中谷さんに嘘言ってどうするんですか』という返事に紗耶らしさを感じて、それすらも嬉しさでいっぱいになる。
それからの卓哉の行動は早かった。
実家でフレンチレストランのシェフをしている幼馴染の光輝に半ば脅しとも取れる発言で無理矢理席を用意させ、紗耶が店を気に入ってくれて神様もまだ捨てたもんじゃないなどと都合のいいことを考えてしまう。

「俺は変に媚びるやつよりもはっきりものを言う齋藤が好きだし、そんなお前が可愛いと思う。大丈夫安心しろ、絶対俺はお前をフったりしないよ」
「それは…どういう…」

―――意味なんでしょうか?
中谷さんは、まるであたしを好きだと言っているようにしか聞こえないのだけど…。
まさか、それはないわよね。
だって、あたしはいつだって女扱いされなくて、今まで意地悪ばっかり言ってたくせに。

「お前、わかってるのか?これは俺にとって、一世一代の告白なんだからな」

恥ずかしそうにそう言い切った卓哉が、可愛くて愛しくて…。
―――こんなシチュエーションで、こんな殺し文句を言うなんて…やっぱり中谷さんはズルイ。
涙もろい紗耶は込み上げてくる感情を抑え切れなくて、でも今涙を見せるのは負けたような気がして…両手で顔を隠すように覆うと俯いた。

「馬鹿だな、泣くやつがあるか。それとも、そんなに俺の告白に感動したか?」
「・・・・・・」

いつもの紗耶なら『何言ってるんですか、そんなわけないじゃないですかっ!』と思いっきり反論するところなのだが、今はそれすらもできなかった。
―――だってぇ、ほんとに感動してるんだもん。

「おーい、さいとー。頼むから、泣き止んでくれよ」

『俺は、お前を泣かすためにこんなこと言ってるんじゃないんだから』と、少し焦ったような卓哉の声が聞こえる。
本当はもう涙は止まっていたのだが、わざと卓哉を困らせるために泣いてるフリをしていた。

「もう意地悪しないって、約束してくれますか?」
「しないよ。優しくするから、約束する」

卓哉には紗耶をイジメルのは面白過ぎて半ば快感になっているところもあり、実際はやめるつもりなどなかったのだが、ここで『約束する』って言わないと自分を受け入れてくれないだろうから。

「絶対ですよ。約束破ったら、承知しないんだからっ」
「わかった。わかったから、ほんとにもう泣き止んでくれよ。俺、お前の涙には弱いんだよ」

心底困ってる卓哉がちょっと可哀想になって、紗耶はすっと顔を上げたがその顔は涙の痕こそ残っていたものの思いっきり笑っていた。

「お前、ワザとか…」

騙されたと思ったが、惚れた弱みだからしょうがない。
卓哉は、いつだってこの笑顔が見たかったのだ。
彼女には、隣でいつも笑っていて欲しい。

店を出るとさっきよりも寒さが増したような気がしたが、どうやらホワイトクリスマスになっていたようだ。
紗耶が夜空に両手を広げて見上げていると、背後からそっと卓哉が抱きしめる。
何だか少し恥ずかしかったけれども、卓哉の身体に包まれているととても温かい気分になってくる。
紗耶はゆっくりと瞼を閉じると、頬に柔らかいものが触れた。

「今夜は離すつもりないから。って言うか、今夜だけじゃないけど」
「なっ」

続けて言おうとしていた『何、言ってるんですかっ』という言葉は、再び降ってきた卓哉の唇によって塞がれていた。

二人の聖夜は、まだ始まったばかり。
粉雪が静かに舞い降りていた。


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