Intersection
11


『俺と付き合わないか』

付き合うといっても、その辺に行くのとはワケが違う。
―――常務は本気であんなことを…かといって、冗談で言うとも思えない。
短い間でもそれは梨華が一番良くわかっているはずで、いや、だからこそわからないのかもしれない。
だけど、困ったなぁ。
常務は素敵だし、尊敬できる人だけど、付き合うとかそういうことを考えたことも、これから考えることも恐らくない相手。

『森永さん、ちょっと来てくれないかな』
「はっ、はい。ただ今っ」

梨華は内線電話で崇(たかし)に呼ばれ、今は何となく顔を合わせるのが気まずいが、仕事だからそんなことは言っていられない。
数回ドアをノックして、常務室に入る。

「失礼します。常務、お呼びでしょうか?」
「あぁ、今夜6時にいつもの店を予約しておいてくれないか」
「はい。人数とお料理は、いかがなさいますか?」
「料理は任せる。二人で頼むよ」
「お任せのお料理と人数は二名ですね、かしこまりました。すぐに予約してまいります」

それ以上余計なことを聞かれずに済んで良かったと、ホッと胸を撫で下ろし梨華はすぐに踵を返して自分のデスクに戻ろうとしたところを崇(たかし)に呼び止められた。

「それから、森永さんは定時後すぐ出られるように準備しておいてくれ」
「はい?あの…」

―――なぜ、自分が?
梨華はそれを聞こうとしたが、崇(たかし)がどこかに電話を掛けてしまったので何も言い返せない。
仕方なく言われたようにいつもの店を二名で18:00に予約を入れたが、定時後すぐに出られるようにと言われた意味がわからなかった。



定時を告げる鐘が鳴ると、早々に崇(たかし)は部屋を出て来た。

「森永さん、準備はいい?」

梨華は言われた通りにすぐに会社を出られる用意をしておいたので、「はい」と答えると「じゃあ、行こうか」という崇(たかし)の言葉の後に着いて常務室を出て行った。
エレベーターを一階まで降りると連絡しておいた車が既に玄関先に横付けされていたが、今夜は崇(たかし)もお酒を飲むからということで、自分の車は駐車場へ置いていく。
二人に気付いた運転手がドアを開けると先に崇(たかし)が、後に梨華が乗り込みドアが閉まる。
行き先は、さっき予約した店であることは明白で、ちらっと横目で崇(たかし)を盗み見るも、彼は窓の外に目をやったまま一言も言葉を発することはなかった。
30分ほどして店の前に着き、乗った時と同じように運転手がドアを開け、先に梨華が車から降りると崇(たかし)が降りたのを確認してから後に着いて行く。

「石本さん、今日はもう帰っていいですよ。また明日、よろしくお願いします」

崇(たかし)が運転手に向かってそう言うと、彼は頭を下げて「では、お先に失礼致します」と二人が店の中に入るまで見送っていた。
ここは、たまに予約を入れる店だったが、実際に梨華が来るのは初めてのこと。
―――何か、政治家が裏金とかもらってそうなところじゃない?
そこはいわゆる高級料亭というところだったが、まるでドラマの見過ぎ的発言を頭に浮かべつつ店の中に入ると、すぐに女将らしき50代くらいの着物姿の女性が挨拶に出て来た。

「右京様、ようこそいらっしゃいました。さぁ、こちらへどうぞ」

梨華はこんな店には来たことがなかったからか、キョロキョロと物珍しそうに辺りを見回していた。

「さぁ、さぁ。そちらのお嬢様も、どうぞ」

いきなりお嬢様などと言われて呆気にとられたが、崇(たかし)の後を追って店の奥にある座敷に向かった。
内部は落ち着いた雰囲気で、思ったよりはきらびやかなところではない。
崇(たかし)がいつも利用する意味が、梨華にもわかったような気がしていた。
10畳ほどの部屋に通されて中に入ると、やはり座椅子は2つしか置かれていない。
それは、ここには崇(たかし)と梨華以外の人物は入ってこないことを物語っているのだろう。
彼の意図はわからなかったけれど、ここで帰るわけにもいかず梨華は仕方なく席に着いた。
すぐに仲居がおしぼりを持って来た後、女将は必要以上の会話を交わすことなく、崇(たかし)がビールを注文すると任せてあった料理の確認をしてすぐに部屋を出て行った。

「森永さん、こういう所に来るのは初めて?」
「はっ、はい」
「そっか、そんなに硬くならなくてもいいよ。今は仕事じゃなく、プライベートだからね」

崇(たかし)は、ふっと柔らかく微笑んだ。
それは常務就任後、初めて顔を合わせた時に見た爽やかな笑顔と同じだった。

「ごめん。こんなふうに強引に連れて来るつもりはなかったんだけど、断られるのは困るんでね」
「あっ、いえあれはそういうつもりでは…」

慌てて否定したけれど、崇(たかし)には梨華の考えがわかったようで苦笑いを浮かべていたが、すぐに襖の向こうから聞こえてきた「失礼します」という仲居の声に少しホッとした梨華だった。
ビールをグラスに注いでもらい、崇(たかし)は取り敢えず乾杯とだけ言ってグラスを合わせた。
梨華は女性にしてはお酒が強い方でよく飲むが、何だかこれではせっかくのビールもあまり喉を通らない…。

「実は、森永さんに聞きたいことがあってね」

崇(たかし)はグラスを一気に空けるとそう言ったが、聞きたいこととは一体何だろう?。
すぐに梨華がグラスにビールを注ぎながら、「聞きたいことですか?」と返すと、その場で膝立ちになった崇(たかし)は前屈みに梨華の顔の方へ手を伸ばして彼女の眼鏡に手を掛けた。

「やっ、ちょっと何をするんですかっ」

いきなり眼鏡を外された梨華は慌てて崇(たかし)の方へ手を伸ばしたが、無常にも空を切っただけでそれは彼の手の中へ。

「どうしてあの時、名乗らなかったんだ?」
「あの時?―――あっ」

すっかり忘れていたが、初等部の同窓会で間違って入った会場に偶然にも崇(たかし)とぶつかってシャンパンをこぼしてしまったのだった。
―――マズい…っていうか、その前に常務はあれが私だっていうこともわかってたの?
別に黙っているつもりはなかったけれど、あの場でいちいち説明するのも面倒だったし、それに会社での自分とあまりに違う姿を知られたくなかったから。
あの時、巨哉(なおや)を見掛けたことで梨華も一緒に居たことは常務も知っていたけど、あれが私だとどうしてわかちゃったのかしら…。

「申し訳ありません。まさか、あの場所で常務に会うとは思いませんでしたので…」
「俺とは会いたくなかったってことかな?」
「いっ、いえ。そういうわけではっ」

一生懸命首を左右に振るものの、益々、気まずい空気が流れ始めた頃に仲居が料理を持って入ってくれたおかげで何とかその場をしのげたが…。
―――あぁ〜ん、もうっ。
何て言っていいか、わからないじゃない。
いくら言い訳をしたところで、上司と知っていながら挨拶をしなかった梨華が悪いことはわかっている。
わかっているけど…。
目の前に並べられた美味しそうな料理にも、これでは手を付けづらい。

「それと、君は森永製薬社長の娘だよね」
「えぇっ!?」

―――やだっ、これも知られちゃったの?
まさか、小父様がしゃべっちゃったとか…。
お父様には、あれほど黙っていてねと言っておいたのにぃ。


「これは、親父に聞いて確認済みだから」

親父というのは右京社長のことで、梨華は社長と親友である父の勧めで右京コーポレーションに入社したのだった。
ここまでバレてしまっては、どうしようもない。
―――ちょっと待って。
常務は梨華が森永製薬社長の娘だということ、そして同窓会での別の姿も知っていた。
そういう前提があって、自分と付き合おうとしているのだとしたら…。

「そうですか。知られてしまったのであればしょうがないですね。では、もう眼鏡を返していただけますか?」

どうしたことか、梨華のあまりにも冷たい言い方に、崇(たかし)は持っていた眼鏡を黙って彼女に返す。

「ごめん。君を怒らせるつもりはなかったし、子供っぽいことをしてるってわかってる」

眼鏡を掛け直して崇(たかし)を見ると、とても寂しそうな表情をしている。
梨華だってこんな態度を取るつもりはなかったが、同窓会で会ったことはともかくとして、森永製薬社長の娘だということを黙っていたからといって崇(たかし)には何の関係もないはずだ。

「いえ、気にしていませんから。ただ、できれば社長と常務以外には知られたくないことですので、黙っていていただけるとありがたいのですが」
「あぁ。それは言うつもりはないから、安心していいよ。でも俺のこと、嫌いになった?」

崇(たかし)の唐突な質問には困ったが、こんなことで人として嫌いになるような狭い心を梨華は持っていないつもりだ。

「そういうことは、ありません」
「良かった。これで断られたら、元も子もないから」

安堵している崇(たかし)を見ながら思う。
彼に素性を知られてしまったことは不覚ではあったが、梨華は今のところ誰とも付き合うつもりはない。
ましてや、自分と同じような境遇にあるお金持ちのお坊ちゃまとなれば尚更だ。
崇(たかし)にとって相手が森永製薬の社長の娘となれば、付き合う体裁は十分だろう。
でも、梨華はそういう相手ではなくてお金なんてなくてもいい、平凡でいいから自身を心から愛してくれる人と一緒になりたいと願っていた。
―――常務には同窓会での着飾った自分ではなく、今の地味な私を好きになってもらえていたら…。
実際そうだと、どこかで信じていたのかもしれない。

「申し訳ありませんが、お付き合いの件はお断りさせていただきます』

梨華は、崇(たかし)の告白をきっぱりと断った。
ズルズルといたずらに引き延ばすよりも、結論を出すいいキッカケだったと梨華には思えたが、あまりに即答したものだから崇(たかし)も動揺を隠せない。
「どうして?」と問うのは当然のことだったかもしれないが、その言葉に梨華は半ばウンザリしていたのは確か。
付き合ってくれという男性は、みんな断るとこう返してくるからだ。
何度も言うようだが、崇(たかし)のことは素敵だと思うし、上司として尊敬もしている。
決して嫌いなわけではないが、これだけはきっぱり言えるのは一人の男性として好きになることは絶対ないということ。

―――だから、おじいちゃんの方が良かったのよ。
これじゃあ、明日から仕事でどう顔を合わせればいいのか、わからなくなる。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
仕事もやっと自分のやりたいことをさせてもらえるようになって、充実した日々を送っていたはずなのに…。


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