Intersection
13


『なぁ。あんな可愛い子、うちの会社にいたか?』
『いや、俺も初めて見た。どこの子なんだろうな』
『お前、後付けてこいよ』
『は?そんなことをしたらストーカーと間違えられて、捕まっちまうだろうがっ』

梨華は総務に用事があって役員室のあるフロアを出ると、あちこちでこんな会話が聞こえてくる。
今までの彼女だったらあまりに地味過ぎて逆に誰もが顔すら覚えていないくらいだったろう、それがこれでは目立って仕方がない。
俯きながら歩いていてもみんなに気付かれてしまうのは、それだけ梨華が可愛いということ。
―――あぁ…何で、こんな格好で来ちゃったのかしら。
常務が好きになったのは着飾った梨華のはず、だからこそ敢えて長いこと封印していた自分をさらけ出してきたというのにあんなキスをされるなんて…。
思い出しただけでも、カーッと体中の熱が顔に集まってくるのがわかるほどだった。
こんなふうに感じるのは、相手が常務だからなのだろうか?それとも…。

「えっ、梨華?」

「うっそー、梨華なの!?」と総務部のフロア内に入ろうとしたところで驚きの声を上げたのは、ちょうど出てきた嘉葉(かずは)だった。
彼女でさえも、この姿の梨華を見るのは初めて。
常々、素材は悪くないと思っていたが、実際ここまで光り輝くダイヤモンドの原石だったとは思いも寄らなかった。

「嘉葉(かずは)ったら、そんな宇宙人でも見たみたいに驚かなくっても」
「宇宙人以上に驚くわよ。それにしても、別人ね。みんな驚いたんじゃないの?そうそう、特に常務なんて」
「えっ、じょ常務?」

何の気なしに言ったであろう嘉葉(かずは)に、梨華は常務という言葉だけでわけもわからず反応してしまう。
まぁ、彼は既に梨華の本当の姿を知っているから、もう驚きはしないだろうけれど。

「もしかして」
「なっ、何!?」
「常務に惚れちゃった?」
「は?」

それはないと自分では思っているが、嘉葉(かずは)は変貌振りから梨華の方が崇(たかし)を好きになったと思っているのだろう。
確かにあの地味な梨華を好き好んで選ぶ物好きは、そういるものではない。
いや、もしかしたら、その物好きは崇(たかし)なのかもしれないが…。

「今の梨華なら、常務だってイチコロでしょ」
「イチコロって…そんなことないわよ。嘉葉(かずは)じゃあるまいし」

「私?ないない」って笑っている彼女だが、綺麗でしっかりしていて社内のお嫁さん候補No.1に選ばれているくらい素敵な嘉葉(かずは)だったら、イチコロ?という言葉も当てはまりそう。

「常務もそれじゃあ、仕事が手に付かないわね」
「もうっ、嘉葉(かずは)ったらぁ」

すっかり立ち話に花が咲いて、肝心なことを忘れるところだった。
梨華はそこで嘉葉(かずは)と別れるとフロア内に足を踏み入れた総務の人達にも一斉に視線を浴びてしまい、急いで用事を済ませて足早にその場を立ち去った。



デスクの上に置いてあった携帯電話が5回震えて止まる。
―――あっ、巨哉(なおや)からのメール。
仕事に集中しようにも朝からあんなことがあったし、このフロアから出れば痛い視線を浴びる。
梨華の全部を知っている彼だけが、一番安心していられる相手なのかも。

『会議中なんだけどさ、眠くて』

書いてあったのは、たった一行これだけだった。
呆れながらも思わず笑みがこぼれる梨華だったが、しかし会議中にメールなんて送ってもいいのだろうか?
たいくつな会議で眠い気持ちはわからないでもないけれど、返事をしようにも巨哉(なおや)のこと、きっと周りは偉い人達ばかりに囲まれているはずなのに…。


「森永さん、森永さん?」

―――え?

「じょっ、常務っ」

慌てて立ち上がった梨華に向かって、「さっきから電話も掛けてるのに出ないんで来てみたら、どうしたんだ?それに何度も呼びかけたのに」と崇(たかし)に言われるまで、梨華は側にいることすら全く気付かなかった。

「申し訳ありません」
「随分、嬉しそうに携帯を見ていたようだけど」

意味深な言い方をしながら、携帯を覗き込む崇(たかし)。
思わず閉じたが、変にニヤケタ顔はしっかり見られてしまっただろう。
―――あぁ…私としたことが、こんなところを常務に見られてしまうなんて…。

「いえ、何でもありません。それより、何か」
「ん?君の顔が見たくてね」
「はっ!?」

すぐ近くに彼の魅力的な眼差しがあって、梨華はまたもや全身の熱が顔中に集まってしまう。
―――体に悪いったらないわね。
だけど、『顔が見たかった』なんて、そういうことをここで言わないで欲しい。
ただでさえ、いつもより頻繁に内線電話を掛けては呼び出すし、今日一日できるだけ静かに過ごしたいと思っている梨華に対して、崇(たかし)は意図的に接触を計ろうとしているように感じるのは気のせいだろうか?

「そういう冗談は、やめていただけませんか」
「君だから、必要に思うんだけど」
「常務っ!!」

…さすがに怒らせてしまったか、崇(たかし)も少々度が過ぎたと反省しなければ。
こんなふうに子供みたいに彼女にちょっかいを出してしまうことなんて、人生を振り返ってみても経験のないことだったが、微妙に距離の離れた密室に二人きりというのは、いいような悪いような。

そんな時にまた、梨華の手の中にあった携帯が鳴り出す。
巨哉(なおや)に返事をしていなかったから、催促メールでも送ってきたに違いない。

「いいのか?」
「仕事中ですから」
「ならちょっと、それを貸してくれないか」

「え?」と思った時には、梨華の手から崇(たかし)は素早く電話機を奪い取ってしまう。
これまた見惚れてしまいそうなほどしなやかな指で何やら打ち始めたのは、どうやら彼が自分のアドレスを登録後、空送信しているからのようだ。

「俺の携帯の番号とメールのアドレス。できれば、すぐには消して欲しくないんだけど」

―――勝手に登録しておいて…とは思いつつ、いくらなんでも常務の番号を消すことはしない。
掛けることもメールを送ることもあるかどうかは、わからないけど…。

「そんなことは…」
「蒼井 巨哉(あおい なおや)か?」
「えっ」

―――うそっ、常務に見られた…。

「適当に言ってみたんだが、図星か。この件に関しては今すぐにでも抹消と言いたいところだが、俺もそこまで性格は悪くないつもりだからな。でも、今後はできるだけ慎んでもらいたいというのが本音か」

「すまないが、コーヒーを入れてくれないか」そう言い残して、崇(たかし)は部屋に戻ってしまう。
メールを見られたわけでもなかったし、例え常務に言われたとしても巨哉(なおや)との関係はこれ以上にもこれ以下にもならない。
だけど…。
送られてきた巨哉(なおや)からのメールよりも、梨華は崇(たかし)が打ち入れた電話番号とアドレスをジッと見つめていた。


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